三話
突然顔に冷たい水を掛けられて、レティはゆっくりと瞳を開けた。
頭がかなりボンヤリとする。何が起こったのか、今はどういう状況なのか周りを確認したいが、思考が霞がかって上手く働かなかった。
身体も同じだ。全身が気怠く、身を捩るのさえ億劫だった。
眠気がまだ全然取れていない。森以外で魔法を使った反動が、レティの身体に色濃く残っていた。
もう一度、瞼が閉じそうになるが、また顔に思いっ切り水を掛けられた。
鼻や口に水が入ったから呼吸が苦しくなり、レティの意思とは関係なくむせてしまう。
だが、咳き込んだお陰で少しだけ意識が回復した。焦点が合わないが、それでも周囲を見回す。
空は見えず、建物もなかった。代わりに豪華なシャンデリアが天井にあったが、火は灯されておらず薄暗い。天井から視線を下げれば壁と扉。どうやら何処かの部屋にいて、自分は床に寝転ばされているらしい。
そしてあちこちに飾られている調度品と数名の人影が、レティを囲むように立っていた。
「おい、もう一度だ」
誰かの声が聞こえた。聞き覚えのない声だった。誰なのかその人物を見ようとすると、また顔に水が当たってしまい、咳き込む。
口に手を当てたいと身体を動かすが、思うようにいかない。何でと両腕を動かすが、ようやく後ろ手に縛られていることに気付いた。かなりきつく縛られているのか僅かでも動かすと手首が物凄く痛い。
「おい、いい加減起きろ。貴様に聞きたいことがある」
頭上から先程と同じ声が降ってきた。
何だろうと思って顔を上げようとするが、その前に胸ぐらを凄い力で掴まれ引っ張り上げられる。ローブと服の襟が締まって息が詰まった。パサリと、被っていたフードが後ろに外れていく。
呼吸を整えようと苦心しているレティのことなんか気にも留めず、男はレティの襟を締め上げたまま威圧的に問い掛けた。
「貴様が回復薬を作っていると聞いた。それは本当なのか?変異種ではないのか?」
「確かにコリンが聞いたと言っていました。魔法もこの女が使ったとなると恐らく間違いないか、と」
「煩いフーナル。貴様には聞いていない。私はこの女に聞いているのだ」
ギリ、と苛立ちからか更に襟がきつく締まる。
口を開こうとするが、呼吸がままならない。その上全身の疲労が蓄積されているから声を出すことすら思うようにいかない。
パシッ、と左頬に衝撃が走った。
「いい加減答えろ、貴様が作ったのか作ってないのか」
何も言えないレティに業を煮やしたらしい男が、今度は反対の頬を叩いてきた。
衝撃の後に痛みがやってくるが、レティは男の言葉についつい別のことに気を取られていた。
回復薬のこと。ロイさんのこと。
レティの首を締めている男は、どうやら回復薬について何か知りたいらしい。知って何をしたいのか分からないが、余り良いイメージが浮かばない。
だから、声が出せるようになったら自分が作っていると正直に言おうと思った。これ以上ロイさんに迷惑をかけるのだけはどうしても避けたい。
ーーロイさんは、大丈夫だったかな。
最後にロイさんを森の家に転移する時、レティは意識を手放す寸前だった。もしかしたら位置が少しずれているかもしれない。あの怪我なのに回復薬から遠い場所に移動させたとしたら申し訳ない。無事に辿り着いていることを祈る。
そんなことを考えているとバシッ、と先程よりも強い衝撃が顔に当たった。そのまま床に倒れ込んで肩に強い痛みが走る。
急に襟を締めていた手を離されて、酸素が一気に肺に入ってくる。ゲホゲホと大きく咳き込みながら、何とか男を見上げた。
「貴様、私を舐めているのか?……醜い魔女の癖に」
魔女、という単語に少しだけ身を震わせる。
そう言えばバレたんだと、記憶が呼び覚まされた。炎の魔法を見て条件反射的にレティも魔法を発動したのだ。あれだけ盛大に使えばバレるのも道理で、何人か目撃者もいたから今頃は街中で噂になっているかもしれない。
今度この街に来た時、住民はどんな反応をするのだろうか。ロイさんの綺麗な氷の魔法と違い、レティは影を操る魔法だ。
蠢く闇の魔法は見るだけで恐ろしい。ロイさんを森に転移させる時なんかはゆっくりと闇の沼に沈んでいったのだから、きっとかなりの恐怖映像だっただろう。
魔女と知られても不思議と後悔はなかったが、住民が恐れていた場合、次の街を探さないといけない上に結局ロイさんに迷惑が掛かっている。それだけが唯一心残りだった。
けれど、魔女だとバレたのならとレティは開き直った。
体力が回復すれば、また魔法も使えるからレティも家に戻れる。
森の外で魔法を使えばまた気絶してしまうかもしれないが、森でなら別に気を失っても大丈夫だろう。少なくとも、今みたいな痛みはないはずだ。
密かに決心を固めたレティだが、今の自分の状態と目の前の状況が許さなかった。
「この、魔女風情がっ!」
癇癪を起こした男が、思いっ切りレティの鳩尾を蹴り上げてきた。痛みと衝撃に呼吸が止まる。
苦しさの余りに涙が溜まるが、流れる前にもう一度同じところを蹴られる。
只でさえ全身が疲労に苛まれているのに、何度も呼吸困難になっているから意識が朦朧としてきた。
「……ボス、これ以上やると死ぬかもしれん。魔女と言っても見た目はただの貧相な女だ」
またレティの腹を蹴っていた男は、もう一人の男に言われてやっと動きを止めた。
「フン、そうだな。だがしかし、逃げられても困る。それにまだコイツが回復薬を作っていると確定した訳ではない。何か良い案はないのか?」
「…………それならば、逃げた男の行方を追うのはどうだろう。背中に致命傷を負わせたから今頃死んでいるかもしれないが、生きていれば少なくともお互い人質にできる」
「なるほど。それは悪い手ではないな。……しかし、その男は逃げたのか?この女の影に隠れている可能性は?」
「無い、とは言い切れないが、それなら女に逃げる手段は殆どないので問題ないだろう。逆に、転移の魔法が使えるのなら少し厄介だ。男を捕えないとこの女が逃げる可能性がある」
「貴様は転移の魔法とやらは使えないのか?」
「流石に無理だ。転移なぞ使える者など聞いたこともない。少なくとも王国では一人もいないだろうな」
「フン、そうか。……役立たずめ」
男が吐き捨てるように呟いた。
男達の会話を、荒い呼吸のままレティは聞いていた。酸欠のせいで内容は殆ど頭に入ってこなかったが、一つだけ気になることがあった。
「あ……なた、が、彼をけがさ、せたの……?」
「……何だ、女。口がきけたのか。質問しているのは私の方だ。さっさと答えろ。回復薬を作っているのは貴様か?」
「こ、たえ……て。あなた、が、やった……の?」
声は掠れきっていたが、レティはそれでも男達に問い掛けた。
焦点を合わせようと目に力を入れると、少しだけ輪郭が鮮明になる。
会話をしていた男達を見遣った。一人は見たことないが、もう一人は見覚えがあった。
無差別に炎の魔法を放った魔法使いだ。
あの時、ロイさんに怪我を負わせたのはこの人だったのかと魔法使いを見つめた。
けれど疑問が残る。あの時はどうやってロイさんを刺したのだろう。
ロイさんは気配にかなり鋭い、と思う。おまけに身体能力も高いから街での様々な揉め事も軽々と対処していた。ロイさんに何か別の事情があったのか分からないが、そうやすやすと刺されるほど弱い人ではない事をレティは知っている。
それに、この魔法使いは転移の魔法は使えないと言っていた。なのに少年の横に突然現れて、既にロイさんは刺されていた。
どんな魔法を使ったのか、知識が殆どないレティには理解できなかった。
もしもまた、同じ魔法を使われたらと思うと身の毛がよだつ。レティの魔法では防ぎきれないかもしれない。自分はともかく目の前でロイさんが怪我を負うのは嫌だった。
何か対策があるのではないかと魔法使いを見続けていると、フッと顔に影が差し込んだ。
何、と思う間もなく胸に強烈な衝撃が叩き込まれた。
「……あっ」
声にならない悲鳴が喉から漏れた。目の前が真っ黒に染まり、浮遊感が身体を包む。
背中と両手が壁か何かに強かに打ちつけられた。そして頭上から何かが降ってきたのか、頭に当たった。派手に割れる音が響く。
また呼吸が止まってしまって目眩がする。額から生温かい物が流れ、口の端から細い涎が垂れているがそれすらも気付かなかった。
「気持ち悪い魔女の癖に無視をするな。早く言わねば痛い目を見るぞ」
男の言葉にレティは背筋をゾッとさせた。今までの暴行ですら序の口と言うのだ。
レティが何か言うよりも早く男の手が伸びてきてレティの首を締め始めた。
もしかしたら、初めから返事などどうでもいいのかもしれない。ただいたぶりたいだけなのか、と。
レティの胸の内に、初めて恐怖の感情が湧き上がる。
どうにかして逃げないと、とレティは締められた影響で碌に動かなくなった頭を必死で働かせた。
けれど、思いとは裏腹に徐々に意識は薄れていった。
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