7章:笑ったのは誰

一話

陽が傾きつつあって、通りを歩く建物の影が細長く伸びている。細い道を半分ほど覆っていた。

レティとロイさんが歩いている通りは、中央の通りからかなり外れていた。道は細く、馬車は一台しか通れそうにない。代わりに等間隔に並木が植えられている。

閑静な場所だった。ロイさんと一緒に人混みを避けて歩いていたらこの道に辿り着いてしまった。検問所から森に戻るには結局大きな道を通るため、かなり迂回している形になっていた。

商店街で一騒動あった後、道行く人が二人をチラチラ見てくるので、逃げるようにこの道に入っていた。そのためか、他と比べて閑散としている。時々通行人とすれ違うこともあるが、まだ商店街での噂を耳にしていないのか、見てくる人は少ない。

レティとロイさんは黙々と歩いていた。商店街を出てから殆ど話すことなく、ただ手だけはしっかりと握られていた。

結局、朝から殆ど手を繋いで歩いていた。

最初は戸惑いの方が大きかったが、慣れてしまったのか今は心地良くさえ感じている。

どうしてそう思ってしまったのか不思議だった。幾度もレティを助けてくれた手だから安心を覚えたのだろうか。

考え込みながらチラリと繋がれた大きな手を見ると、同時にローブの袖も目に入った。


「ぁ……」

「ん、どうした?」


レティの声が漏れたのを聞いて、ロイさんが不審そうに歩みを止めた。そんなに大きな声を出したつもりはないのに、いつもレティの声を拾ってくれる。今も二人の横を馬車が一台ガラガラと通り過ぎて行ったのに、耳がいいんだな、と思ってしまう。

けれど、レティはそれを追求する余裕はなかった。


「ごめん、ちょっと……」


そう言いながら辺りを見回す。幾ら人通りが少ないとはいえ、道の真ん中で立ち止まっていれば他の人の邪魔になってしまう。他に空いた場所がないかと探す。

もう少し行った先に、広い十字路が見えた。中央には噴水があり、隅にはベンチや小さな露店まで見える。


「あそこまで……」


グイグイと、握ったロイさんの手を引っ張る。抵抗なく付いて来てくれるが、彼がかなり驚いていることに、焦っているレティは気付かなかった。

程なくして噴水の所まで辿り着いた。憩いの場所なのかまばらに人が集まっている。何人かはベンチに座り談笑している姿もあるし、母子で散歩している姿も見える。レティとロイさんの後ろから同じ通りを歩いていた少年が、二人を追い越して露店に向かって歩いていった。幌付きの馬車がゆっくりと曲がって遠ざかって行った。

噴水の側には誰もいなかった。いつもなのか偶々なのか分からないが、ここなら落ち着いて話せると思い、そこまでロイさんを引っ張っていく。

噴水は静かに水を上げていた。ここならロイさんの耳が良いとは言え、レティの声も良く通るはずだ。


「どうした?」


ロイさんがまた問い掛けるが、レティは無言でゴソゴソと懐に手を遣る。絶対に落とさないように財布と一緒に入れていた、小さな紙袋を取り出した。

手の平に載せて、ロイさんに差し出す。


「お土産、です」

「………………は?」


ロイさんが聞き返してきた。聞こえているはずなのに、分からないと言った顔でレティを見てくる。


「これ、前にロイさんがローブをくれたので、そのお返し、にと思って」


言ってて少し恥ずかしくなってきた。表情は変わらないが、身体に熱が籠もる。

言われたロイさんはジッと紙袋を見ている。焦れるくらい長い時間見つめていた。

受け取りたくないのかな、とレティが心配するほど経った時、ようやくオズオズと手を伸ばして受け取ってくれた。

レティの手の平サイズの袋は、ロイさんが持つとより小さく見える。


「……開けてみても?」

「どうぞ」


ロイさんは右腕の買い物袋を抱え直してガサガサと紙袋を開けた。

中から出てきたのは、小さな花が複数集まった形をしたブローチだった。ロイさんが指先で摘んで目の高さに掲げる。濃い銀色が日陰の中でも鈍く輝いていた。

先程、小物屋で見つけた物だった。ラフィのお土産にどうかと手に持っていたチョーカーの輪っか越しに見つけて、そのまま目を奪われてしまった。

かなりの時間買おうか悩んでしまった。いつの間にかロイさんがいなくなっていたことにも気付かなかったくらいだ。

でも、ロイさんにも何か形として渡したかった。いつも色々と助けてくれるロイさんにお礼がしたかった。


「これは……?」

「ブローチ、だよ」


ロイさんは困惑気にブローチを見ているが、気に入らなかっただろうか。

不安に思っていると、突然ロイさんがレティに目を合わせてきた。湖と同じ色の瞳が真っ直ぐにレティを捉える。

その瞳がゆっくりと細まる。目尻が下がり、頬が小さく緩んでいく。


「……ありがとう。大事に使わせてもらう」


本当に小さな変化だが、初めて見る表情にレティは面食らってしまった。

けれど、ジワジワと胸の内が温かくなってくる。この感情が何か分からないが、買って良かったと心から思った。


「着けてみても?」

「うん、良いよ」


と言っても片手に買い物袋を持っているロイさんだと着けるのは難しいだろう。


「貸して」


摘んでいたブローチが渡されて、マントの留め金の横に着けてあげる。

……が、今までブローチなんて触ったこともなかったから上手く留められない。

悪戦苦闘しているレティを見下ろしながらポツリとロイさんが呟いた。


「……ローブの礼なんぞ、別によかったのに」

「…………ううん。いつも、お世話になってたから」

「厄介になってたのは俺の方だぞ」

「でも…………。いつも、助けてくれてありがとう」

「……礼を言われるほど大したことはしていないが」

「そんなことない」


キッパリと言い切る。

先程だって、鞭から助けてくれた。

ロイさんは全く相手にしてしてなかったのに、レティがついムキになって勝手に言い返したのが悪いのだ。

あの時は妙に胸がモヤモヤしてしまって、衝動のままに前に出てしまった。鞭でぶたれても、最悪家に戻れば回復薬があるからいいやと思っていたのに、ロイさんが難なく受け止めてくれたお陰で事なきを得たのだ。感謝してもし足りない。

ふと、ロイさんが居なくなった時のことを考える。出会って僅か十日程度しか経っていないが、それまでに色々とあり過ぎた。もし、今直ぐにロイさんが目の前から消えてしまったら、レティは今まで通りに一人で暮らしていけるだろうか。出会う以前の自分を思い出そうとするが、普段から自身の生活なんて振り返ったことなかったから上手く思い出せない。


「……レティ?」


何とか無事にブローチを留め終えたというのに、手を止めてしまったレティを不審に思ったのだろう。ロイさんが小さく呼びかけた。

ハッとして思考を中断すると、ブローチが目に飛び込んできた。同時にマントに手を掛けていた自分の手も見える。袖に縫われた刺繍を見て、胸中のわだかまりが一気に吹き飛んだ気がした。

ブローチと袖に縫われた刺繍を交互に見遣って、知らずポツリと呟いていた。


「……これで、お揃い、だね」

「お揃い?」


ロイさんが訝しげに聞いてきた。ブローチを覗き込んでいるが、何のことかサッパリだろう。


「これ、です」


何故か分からないけど、可笑しくなってレティはロイさんに見えるようにローブを掲げた。刺繍が良く見えるように袖口を引っ張る。

淡いクリーム色の刺繍が、噴水の水に照らされてキラキラと輝いているような気がした。


「この、刺繍の花と、ロイさんのブローチの花。……これ、カモミールの花なの」


言われてロイさんはしばらく無言で袖の花を見ていたが、やがて意味が追い付いたのか目を見開いて驚愕を全面に表わしていた。息を呑む音が聞こえてくる。

あ、この顔も新鮮だな、と思いながらレティは悪戯っぽく首を傾げた。

しばらくロイさんの様子を見ていたが、固まったまま一向に動く気配がなかった。

流石に心配になって手をロイさんの目の前にかざすと、我に返ったロイさんが慌てて目を明後日の方に向けた。

その態度に、お揃いは嫌だったかなと不安になった。最初に渡した時はお礼を言ってくれたが、同じモチーフの物を渡されるのは流石に気持ち悪いかもしれない。

やっぱり要らないと突き返されたら、どう反応すればいいのか想像もつかない。下手なことを言わなければよかったと後悔していると、恐る恐ると言った感じでロイさんがレティに目を合わせてくれた。

いつの間にか普段の仏頂面に戻っている。だけど、いつもより湖と同じ瞳の色がキラキラと光っているように見えた。噴水の水を反射しているのが原因かなと思ったが、違うような気もする。

不思議に思ってロイさんの目を凝視していると、気まずそうに眉を顰められた。


「……どうした?」

「いえ、綺麗な瞳だな、と」


正直に答えると、ロイさんの顔は益々顰められた。憮然としたと言ってもいい。

それでもレティは、ロイさんの顔をじっくり見ていた。

近くを幌付きの馬車が通って行く。そのためか褐色の肌は影に沈み掛かっているが、傾く陽の光と噴水の水の反射に照らされた白金色の髪は、影と混ざって言葉では言い表せない絶妙なグラデーションを彩っている。

昼頃に言われた格好いい、素敵だと言われていたことが脳裏を掠めるが、同時にもう一つのことも思い出した。


「あっ」

「……今度は何だ?」


ロイさんが問い掛けてくるが、レティはそれどころではなかった。どうして大事な質問を今の今まで忘れていたのか、自分の脳みそに呆れてしまう。


「あの、ロイさん」

「何だ?」

「お昼に聞いたんだけど、どうして薬ーー回復薬はロイさんが作ったことになってるの?」


言われて理解したのか、ロイさんがまた、目を少しだけ見開いた。

その様子にレティは慌てて弁解する。


「いえ、本当なら私が作ったと言えば良かったんだけど、どうしても本当の事は店員さんに言えなくって……。でも、そのせいでロイさんに迷惑が掛かってないか心配になってしまって」


レティが回復薬を作っていると公言すれば、レティも魔力を持っていると周囲に認知されてしまう。只の魔法使いの扱いなら問題ないが、レティは影の魔法しか使えないのだ。そうなると魔女として認識されてしまう。

しかし、このまま黙っていれば問題の全てがロイさんに向かってしまう。

さっきだってロイさんの外見だけで偏見を持つ人は少なからずいるのだ。その上、もしも回復薬のことで問題になった時、矛先がロイさんに向けられるとなると申し訳ないどころの話しではない。


「……いや、特に問題はない。気にするな」


そう言ってロイさんはレティの頭をポン、と置いた。驚いて頭に手を遣ったが、同じくらいに胸がキュウッ、と締め付けられたような気がした。

詳しく説明できない気持ちがさっきからよく訪れるな、と思いながらも、感情のままに小さく口から溢れた。


「いつも助けられてばかりなのに……。やっぱり、回復薬は私が作ったと、言えばよかったのかな」

「…………えっ、君が作ってるの?」


突然、聞き慣れない高い声がレティとロイさんの会話に割って入ってきた。

レティは驚いて声がした方向に振り向く。

そこには少年がいた。レティとロイさんがこの広場に到着した時、後ろから追い抜いた少年だった。

少年は露店で買ったのか片手にはお菓子の入った袋を持っている。

だけどもう片手には、少年が持つには不釣り合いな細長い剣を掴んでいた。

剣の切っ先がゆっくりと動くのを見つめていると、急に腕を掴まれて前に思いっ切り引っ張られた。


「きゃっ」


情けない声を出しながらバランスを大きく崩して倒れそうになる。だけど寸前で顔に何かが当たり、肩を大きな手が支えてくれたから転ばずに済んだ。


「わっ」


今度は少年が驚いた声を上げていた。顔だけで見ると、少年は大きく飛び退いていた。足元には紙袋が落ちていて、中身が辺りに散乱していた。ロイさんがレティを抱いたまま後方に下がり、そのまま咄嗟に紙袋を投げ付けていたのだ。


「危ないなぁ……っと!」


紙袋を投げ付けた姿勢のまま、今度は指先から氷の細長い刃が一つ出現した。そのまま高速で少年に向かうが、突如少年の前に半透明の薄い紫の防壁が現れる。

氷の刃は防壁を貫通するが、勢いを失ったため少年に難なく躱された。

その光景をつぶさに見ていたレティは、驚愕に知らず口を開いていた。


「この子……」魔法使い。


けれど考えられたのはそれだけだった。

レティが少年に気を取られていると、通過していた幌付きの馬車が急に横転した。派手な音を立てて車輪が、中の荷物が大きくぶち撒けられる。

何が起こったのかと馬車の方を見ようとすると、いきなり向きを変えられて少年も馬車も見えなくなる。

が、直ぐに視界が開けた。

レティの肩を抱いていた腕が、力を失ってズルズルと滑り落ちていく。


「……えっ。ロイ、さん?」


問い掛けても返事が返ってこない。レティに体重を載せて膝から崩折れていく。

慌てて彼の身体を抱き締めるが、支えきれずにレティも一緒に地面に膝を付いた。

状況が分からず、混乱しながらもレティはロイさんの全身を見渡した。

あった。細長い短剣がマントごと、ロイさんの背中に突き刺さっていた。

ジワジワとマントが血に汚れていく。その光景を目にして、レティの血の気が引いた。完全に思考が停止してしまう。


「ぐっ、……レティ……」


ロイさんが何かを言おうとしているが、レティの耳には入らなかった。何も考えられず、茫然と眺めている。


「ちょっと!計画が違うっ!」


少年が非難の声を上げていた。その側にはいつの間にかもう一人男が立っていた。青白い顔が醜く歪んで嗤っている。


「貴様がちんたらしているのが悪い。男はこのまま連れ帰る。問題ないだろ」

「だからって……」


少年が更に何かを言い募ろうとしたが、遠くから激しい怒号に掻き消された。


「見つけたぞっ!今度こそ逃さん!!」


その声には聞き覚えがあった。バノン隊長と呼ばれていた警備兵の人だ。

そちらにノロノロと目を遣ると、バノンは憤怒の表情で走ってくる。片手には抜剣した剣を持ち、物凄い速さでこちらに向かってきている。


「ふん」


だけど、少年の横にいた男が両手を前に突き出した。手にパリパリと雷が集まったかと思うと、あらぬ場所に向けて一直線に放たれた。


「むっ」


気付いたバノンが直線上に身を割り込ませる。バノンの後ろには母子連れの二人。男の放った魔法は、その二人を狙ったのだ。

バノンは剣で受け止めるが、雷の衝撃を吸収し切れず膝立ちになる。全身が痺れたのか、剣は手放していないが立ち上がることもできないみたいだった。


「ひひっ、馬鹿な男だ」


男は嗤いながら今度は両手を頭上に掲げる。その中心からは炎が渦を巻き始めた。


「なっ!?馬鹿止め……」


少年が静止しようとするが間に合わず、そのまま四方八方に炎の蛇を走らせた。

馬車が。そこに乗っていた人が。バノン隊長が。母子が。露店にいる人達が。

無差別に炎に飲み込まれそうになり、周囲には悲鳴が轟いた。

その光景を、レティはいた。

時間がゆっくりと進んでいるのか、炎の広がりは遅く感じた。

しかし、レティの止まっていた思考は急激に復活する。

過去に培った経験から、炎の魔法を見て反射的にレティも魔法を発動させた。

足元に魔力を放出する。そのまま建物の影と連結させて一気に暗闇の影を展開した。

炎の蛇が何かに着弾する前に影の壁を出現させる。誰一人として、何一つとして当たることなく炎は壁に阻まれて轟音を上げながら消えていった。


「なっ!?」


全身に脱力感を覚えるが、構わず次に地面から複数の影の棘を突き出す。

少年は顔色を変えて間一髪で後ろに跳んでいた。一応仲間なのか、男の服も掴んで一緒に回避している。


「この女っ……!」


身体から力が抜けていく。強烈な眠気が襲ってきて両手で身体を支えようとするが敢え無く失敗に終わった。

ロイさんの身体の上に倒れそうになる。その前に、最後の力を振り絞った。

ロイさんの真下の影と、森の、家の中の影を繋げる。いつもより遥かに遅くロイさんの身体が影に沈み始めた。


「……あぁ?何だありゃ!?」

「逃がすなっ!」


少年でも顔色の悪い男でもない、新しい声が聞こえてきた。一人は何処かで聞いたことがある声だったが、レティにはもう思い出すことさえできなかった。

ただ、ロイさんの周りにもう一度だけ影の壁を作り出す。恐らく破られるだろうが、時間さえ稼げればそれでいい。

ロイさんを連れて帰る、と言っていた気がする。なら、彼さえ安全な所に移せればそれで十分だ。幸いなことに家には回復薬もある。

レティは自分も森に戻ろうかと思ったが、もう魔法を使う力は残されていなかった。無理をし過ぎた反動で、意識が薄れていく。

せめてロイさんの上には乗るまいと、身体を横向きに倒した。顔が地面にぶつかるが、最早痛みも感じなかった。

眠る直前に、ロイさんの顔が見えた。ボンヤリとしか見えなかったが顔を上げて焦って何か口を動かしているのが分かった。


ーー大丈夫。ただちょっと、眠い、だけだから。


そう言おうと口を開いたが、言葉が出ることはなかった。

ロイさんの身体が影の中に沈んだ。

それを見届けた瞬間、レティもまた意識を手放し、暗闇の中に沈んでいった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る