三話
街に入っても前みたいな嫌な視線は何処からも飛んでこなかった。中には忌避する目も存在するが、人通りの多さから比較して驚くほど少ない。
警備兵が言う通り市場が立っていないにも関わらず朝、からあちこちに人がいた。道の中央では馬車が頻繁に行き来し、とても活気に溢れている。
それらをボンヤリと眺めながらレティは建物の一つに背を預けていた。左手には小さな紙袋を抱えている。中身は家に必要な食材ではなく、なんとお菓子が入っている。
ちらほらと立っている露店で買ったものだ。細長い棒状の形をしていて油を使ったお菓子らしく、中からは今も香ばしい匂いが漂っている。
お菓子を買おうと提案したのはロイさんだった。レティは遠慮したが、俺が食べたいからと言われればレティに断る理由はない。十銅貨もしたのはかなりの驚きだったが。
ロイさんと並んで歩きながら食べた。一口食べた時はサクッとした食感が衝撃的で、砂糖もまぶされていて甘い味がとてと美味しかった。
でもロイさんにとっては甘過ぎたらしく顔を顰めていた。今は隣の店で飲み物を買いに行っている。
飲み物を待っているロイさんの横顔をチラリと見た。甘い物が苦手ならどうして買ったのだろうと不思議に思うが、前にケーキは平気で食べていたから何か違いがあるのかもしれない。
袋の中のお菓子を改めて覗いた。お菓子を買ったのも初めてなら、歩きながら何かを食べるのも初体験だった。
ロイさんといると初めてが後から後からやってきてレティを落ち着かなくさせる。だけど全く嫌な気持ちじゃない。
どちらかと言うとフワフワした感覚で、地に足が着いてないんじゃないかと思わず足元を見た。
「……何をしてるんだ?」
ジッと自分のブーツを眺めていたら、頭上から声が降ってきた。
見上げるとロイさんが眉根を寄せている。レティの奇怪な行動に怪訝な様子だった。
その顔は見慣れたものだ。だけどそれよりも、距離がかなり近い。何かあったのかと思われたのか、綺麗な顔が目の前にあった。湖の瞳と、最近発見した長い睫毛までつぶさに見える。
整った顔立ちが近くにあることだけはレティも慣れなかった。寧ろ、どんどん内心の狼狽が大きくなっているような気がする。
ロイさんの方も近付き過ぎたと思ったのか、焦った様子で一歩後ろに下がっている。チャポッ、と微かに水の音が聞こえた。
「……おかえりなさい」
「……ああ、待たせた」
お互いそれだけ言うとロイさんがスッと両手に持っていたコップの一つをレティに渡してきた。
反射的に受け取る。中身を見れば茶色い液体が小さな湯気を上げていた。微かに爽やかな酸味が香ってくる。
「……これは?」
「お前の分だ」
事も無げに答えながら、ロイさんは早速自分の分のコップに口をつけていた。
ロイさんの飲み物は離れていてもレティの元まで香りが漂ってくる。以前レティも飲んだことがある、珈琲の香りだ。帰ってからもロイさんから珈琲とは何なのか簡単に教えてもらっていた。
「え、これくらいなら払うよ。幾らだったの?」
「ついでだ、気にするな」
あっさりと返されてロイさんはヒョイ、とレティの紙袋を取り上げた。器用に片手で袋を開けて差し出してくる。
「それより、これを食べてから次に行くか」
話が切り替えられたことでお金を受け取る気は全くないな、とレティは心の中で嘆息した。いつも支払わせてしまっているが、彼の金銭は大丈夫なのだろうか。
それよりも、
「……ロイさんは食べないの?」
紙袋の中身はレティの方に向いている。一本を摘まみ取り出すが、ロイさんは一向に食べる気配がない。
「俺はもういい。残りは全部食べていいぞ」
「残りって……」
見れば袋の中は残り三本。レティが摘んだお菓子を合わせると計四本もある。
「これ全部食べたらお昼が入らないよ」
「……可愛らしい腹してんな」
ロイさんの呟きにレティの顔が熱くなるのが自分でも分かった。可愛い、という単語に何故か過剰に反応してしまった。
可愛いの意味が違うと分かっていても内心で狼狽える。フードを被っていて良かったと心から思った。絶対に変な顔をされるに決まっている。
悟られないように顔を俯かせたレティをどう見えたのか、ロイさんは小さく息を吐いた。また呆れられたのかもしれない。
「……なら、少し適当に歩くか。何処か座る場所でも探そう」
そう言ってロイさんは行くか、と歩き始めた。
その方向は買い物に行く目的の場所とまるで逆方向で、レティは慌ててロイさんを追い掛けた。コップの中の液体がレティの動きに激しく波打ち、危うく溢しそうになる。
「え……待って。大丈夫だよ。お昼、私の分作らなきゃいい話だし」
余計な時間を使ってロイさんの時間を潰してしまうのは言語道断だった。それに、このお菓子を全部食べたら本当に自分の分は必要なさそうだ。ロイさんの分だけで済むし、いつもより多めに出してあげられる。
だけど歩き始めていたロイさんは訝しげにレティに振り向いた。
「……何で昼飯を作るんだ?」
「……へ?」
「は?」
お互いの動きが止まる。二人揃って疑問が顔に出ていた。珍しい表情だとレティは思っていたが、彼も同じことを思っていたとはお互い気付かない。
「え、だって買い物を済ませたら帰る、よね?」
「……そうだな」
「今から買い物したら、お昼ぐらいには帰れそうだし」
「レティは、早く帰りたいのか?」
「え?」
言われて考える。早く帰る理由ーー特に思い付かなかった。今から帰って回復薬を作ろうにも、時間が大幅に後ろにずれているから流石にやる気にはならない。掃除などの雑用は、最近ロイさんがしてくれているので急ぐ必要もない。
他に色々と考えたが、直ぐ森に戻る理由は思い当たらなかった。レティ自身が早く帰りたいかと言えば分からないのが本音だ。
だから、素直に言った。
「いえ、良く分からない、かも」
「……なんだそれ」
ロイさんが軽く息を吐き出していた。
また呆れたのかな、と顔を見ればそんなことはなく、逆に何処かホッとしたような表情をしていた。
「なら、もう少し付き合え。適当に散歩して、買い物でもしたら腹もこなれるだろう」
そう言ってまた歩き始めた。
いつも先に歩き出すのに気付けば横に並んだ状態になる。今回はロイさんが両手に紙袋とコップを持っているから手を繋ぐことはなかったが。
「昨日も言ったが…………昼は何処かで食べないか?ケーキの話もあっただろ」
言われて思い出した。確かにケーキとかお店の話をしていたような気がする。あとついでにラフィのお土産の話も。
「でも、もう甘いお菓子は頂いたよ。これ以上はちょっと贅沢な気が……」
「毎日する訳じゃないんだ。今日くらいはいいだろ」
ロイさんはさらりと言ったが、レティにとってはかなり一大事だ。
目的のない散歩も食べ歩きもケーキのことも。レティのこれまでの人生には一度だってなかったことだ。
また全身がフワフワと落ち着かなくなってくる。レティは取り繕うためにコップの中の液体を啜った。
控えめの甘い味とお茶の渋みと同時に仄かに柑橘系の味が後に残った。
何処かで味わったことがあるなと考えていると、急に閃いた。
「これ……レモン?」以前お店で食べたサラダの味に似ていた。
「良く分かったな。紅茶にレモンの汁が入っている。……美味いか?」
「うん、美味しい」
そう答えてもう一口コクリと飲んだ。渋みがやや強いが、その分甘いお菓子と合いそうだ。
温かいお茶が体内に入ってホゥッと満足気に息を溢す姿を、ロイさんが横目で見ていてまた満足そうに口元が緩んでいたのを、レティは知る由もなかった。
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