6章:兆しを見せたのは誰
一話
ベッド近くの窓から小鳥の囀りが聞こえてくる。外を眺めれば雲一つなかった。ここのところずっと晴れているが、今日は一段と良い天気だった。
そう思いながらレティは青いローブを纏っていく。
ロイさんに買ってもらった新しいローブだ。一度ラフィに毛だらけにされてしまい、洗って綺麗するのはかなり骨が折れたから、それ以降はずっとクローゼットに仕舞っていた。
きっちりと前のボタンを留めてから窓に薄っすらと映っている自分の姿を確認する。この家には大きな鏡を置いていないから、全体を見たい時は鏡か湖しか方法がない。唯一小さな手鏡があるが、小さすぎて顔も半分程度しか映らないから殆ど使ったことがなかった。
窓に映った上半身と顔立ちは地味だな、と思った。化粧っ気の無い上に日中の半分以上は家にいるから健康的でない肌。手入れが面倒で肩辺りで切っている長くもない髪。どれ一つ取ってもパッとしない。
余り覚えていないが、昔いた家では女性達は皆、綺麗に着飾っていた。時々訪れる街でも綺羅びやかな女性が通り過ぎると目で追いかけることもある。
森に戻れば途端に興味が無くなるし、普段の装いも無頓着だが、本当にーー本当に稀に、お洒落を気にしてしまう時がある。
何が切っ掛けで関心を向けてしまうのか未だに分からない。今回は何だろうか。ロイさんと一緒に街に行くことが起因しているのか。それともこの纏っているローブのせいなのか。
改めてローブの袖口を見る。細い紋様の刺繍が縫われている。所々にある小さな花はレティの好きな花だった。名前は知らないが、いつも茶葉に混じって入っている。ロイさんは気付いているだろうか。殆どが崩れて原形を保っていないが、偶に花の形がそのまま残っているのを。そしてその花が、台所の窓際にある鉢植えの花と同じであることを。
今度教えてもいいかもしれない。その前にその花の名前をレティも調べないといけないが。本で探したいが、果たしてこの家に植物図鑑とかあっただろうか。
詮無いことを考えながらローブのフードを目深に被って準備は終了する。懐には銀貨が入った財布。今回は籠を持って行かないのでそれ以外の荷物はなく、一見すると手ぶらだ。
ベッドから離れていつもの居間に向かう。本棚が壁と出入り口の代わりで、どの角度から見てもテーブルと椅子は見えないようになっていた。
居間ではロイさんが椅子に座って相変わらず本を読んでいた。ロイさんは料理好きの本好きらしく、ここ数日はレティが回復薬の調合をしている時は大抵読書か食事の準備。時々掃除などの雑務を引き受けてくれていた。
レティの気配に気付いたらしく、ロイさんは振り向きながらパタンと本を閉じてテーブルに置いた。
「ごめん、待った?」
「いや、そんなには」
「そう」
いつも通り二人の会話は素っ気ない。喋る時は喋るが、喋らない時はずっと沈黙が続く。傍目には喧嘩でもしたのかと思われそうだが、これが二人の日常だった。
椅子から立ち上がったロイさんを見る。剣は持っていないが、既にマントは着込んでいた。動きに疲れは見えなかったが、昨夜はロイさんが日課を引き受けてラフィと行ってしまった。日付が変わる前に戻って来て、レティが起きて待っていたら何故か早く寝ろと柔らかく窘められてしまった。
「……ん、どうした?」
「いえ。疲れてないかな、って」
「……お前より体力はあるつもりだが」
「私だって、慣れてるよ?」
「そうじゃない」
そう言ってはあ、とロイさんは溜息をついた。
じゃあ何なんだろうと思うが、ロイさんはいつもその辺りの事を口にはしなかった。ただ、溜息も呆れた表情も見続けたせいで最近は気にならなくなってきた。ロイさんのいつもの癖が出たな、と軽く流すようになってきている。
「昨日の討伐数は?」
「三十体くらいだな。それ以上は覚えていない」
「…………凄い、ね」
「ラフィが頑張ったからな」
ロイさんはさらりと言ったが、三十以上ともなると中々難しい数字だ。レティなら探す時間も合わせて日付を大きく超えてしまうだろう。
森の中であれば、影魔法が常時発動しているから気配を探ることもできる。が、動物と魔物はあちこちに生息していて雑多になっている。森全体の気配が濃い薄いで魔物の数が多くなった少なくなったの違いは分かるが、方向や居場所となると途端に分からなくなるのだ。
確かに若干、森から魔物の気配が薄くなっているからロイさんの言葉に嘘は無いが、一体どうやって位置を割り出して倒しているのだろう。ラフィが手伝ったとしても索敵と誘導に時間が掛かるのはレティが一番良く知っている。かなり頑張ったのだろうか。
考え込んでしまいそうになったが、目の前ではロイさんがジッとレティを見ているのを見て現実に引き戻された。
待ってもらっていたというのに、これ以上引き延ばすのは申し訳ない。
「……そろそろ行く?」
「あぁ、そうだな」
「今日は剣は?持って行かないの?」
「荷物が嵩張るからな。……俺を見てちょっかいを出してくる奴はいないと思いたいが」
確かに。ロイさんは魔力量の高い変異種だし、悪党を直ぐに倒せる威力の魔法もある。レティは余り分からないが、恐らく身体能力も高いのだろう。
しかしそれよりも、聞き捨てならない言葉の方が気になった。
ーー嵩張るって、どれだけ買い込む気だろう。
腰に差している剣が邪魔になりそうなほど、一体何をどれだけ買い物するのか想像もつかない。足りない食材を買い足すだけではなかったのか。
「嵩張るって、何を買う気なの?」
「……さあな」
「さぁって……」
「余計な荷物は無いにこしたことないだろ。……そろそろ行くぞ」
何だか強引に切り上げられたような気がするが、ここでダラダラ会話を続けても仕方がないと思い直す。
二人揃って玄関を潜り、庭でいつもの定位置で足を止めた。ここが一番、何故か森の出入り口に転移しやすい場所だ。
「始めるよ」
「あぁ」
ロイさんの返事を聞いた直後、影が変色した。一瞬でロイさんの足元まで広げて転移を開始する。
視界が黒く染まるが、刹那で違う景色が目に飛び込んできた。
前を見れば遠くに街並みが見える。左右には天辺が白い山脈。後ろを振り返れば森の木々が立っているだろう。
陽射しは森と同じで暖かいが、山脈から流れてくる冷たい空気は森の時よりも肌に少しだけ刺さった。
寒さに身震いしたレティの横で、何事もなかったかのようにロイさんが動き出した。
初めて転移を体験した時は驚いたり感心したりと様々な反応を見せてくれたが、今ではすっかり慣れてしまったようだ。
お陰で渋面、呆れ顔以外の感情が中々見られず何を考えているのか今一つ理解できない状態になっている。ーーレティも人の事はとやかく言えた質ではないが、本人は気が付いていなかった。
数秒遅れてレティも歩き出す。ロイさんは基本的にレティに歩調を合わせてくれるが、時々早足になるから侮れない。
そう思いながらロイさんの後ろを歩いていると、百メートル進んだ辺りで突然彼が足を止めた。
さっきから色々と考えていたせいでボンヤリしていたレティは、危うく鼻をぶつけてしまいそうになる。
ギリギリのタイミングで止まれたが、目の前には大きな背中があって慌てて一歩下がった。
「どうし」たの、と続ける前にロイさんが半身だけ振り向き、無言で左手を差し出してきた。
意味が分からずポカンとロイさんの顔と手を交互に見ていると、焦れたようにほら、と声を掛けてきた。
「朝からはぐれるのも面倒だ。これなら離れないだろ」
要するに手を繋ぐ、ということか。言われて初めて一緒に街を訪れた時を思い出した。混雑した市場でロイさんを見失ってしまったことを。
そしてレティが人の波に流された結果、イザコザに巻き込まれた。自分から飛び出したのが原因だが、とにかく危険な目に合った。
それを未然に防ぐため、ということだろうか。理由は分かったが、まだ街にも入っていないのに繋ぐ意味はあるのだろうか。
ジッとロイさんの手を見つめていると、焦れていた左手が素早く動き、レティの右手を掴んだ。
「……ぁ」
小さく声が漏れてしまうが、ロイさんは気にした様子もなく前を向いてレティを引っ張るようにして歩き出した。
引っ張られる形となってしまったレティも歩くしかない。顔を上げてロイさんを見るが、朝日に照らされて頭頂部から毛先にかけてなだらかに金から白に色が変わっている白金色の髪しか見えなかった。
場違いに綺麗だな、と見惚れていたら追及するのをうっかり忘れていた。
止むを得ず握られたまま一緒に歩く。
ロイさんはしっかりと握ってくれているが、レティはされるがままだったから手が開いたままだった。
何の気無しにそっと握り返すと、途端にロイさんの手が強張った。
「どうしたの?」
「いや……」
ロイさんからはそれ以上返事が返ってこなかった。
レティは少し訝しんだが、答えたくないならいいかとロイさんの手を眺める。
触られる度に固い手だと感じるが、今日はいつもよりも少しだけ握った手が熱く感じる。
何で熱いのか不思議だったが、意外とその熱が心地良かった。
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