六話
一体あれは何だったのか。
レティはよく状況が飲み込めないまま、二人の警備兵が嵐のように過ぎ去って行ってしまった。
後に残ったのは静寂だった。いや、少し違う。他の席では複数の人達が談笑していた。
先程までレティを取り囲んでいた人達だ。レティに付き添ってくれた女性が店に着くまでにあっちこっちに呼びかけた結果、あれよあれよという間に出来上がった人垣にいた人達だった。
意味が分からないまま店に着いてしまい、奥の席に通されて座らされるとあっという間に輪ができてしまった。
彼ら彼女らは口々にレティに話し掛けてくれた。内容は主にロイさんについてだったけど。
胸がすいた、とか、良い男だね、とか、強かったね、とか。
対面に座った男女はカップル、らしい。良い彼氏さんだねと言われても全くピンとこなかった。
レティはまともな相槌も打てず、話しかけられる度に右往左往しているだけだったが、ロイさんの姿を見た時は正直ホッとしてしまった。
カップルが座っていた席に座ったロイさんをチラチラと覗いてくる人がいる。
だけど、市場にいた時とは違いそこには訝しげな視線や嫌悪の表情が無かった。レティと目が合うと親しげに微笑んだり手を振ったりする人さえいる。
向かいのロイさんを見る。彼だけは別れる前と変わらないように見えた。内心で落ち着きを取り戻し始めたレティは、取り敢えず気になったことだけを聞いた。
「あの、ロイさん。先程の方達は?」
「あぁ、さっきの二人は見た通り警備兵だ。……その前に一つ。すまない、回復薬は警備兵に売った」
「……ふぇっ?」
レティが馬鹿みたいな声を出すとロイさんは訥々と事情を説明してくれた。
レティがいつも行っていた店だと値段が安過ぎたこと。そこにマースと言う警備兵の案内でしばらくは警備兵に薬を卸せないかということ。二ヶ月に一度なら一本につき一銀貨で売ってくれるということ。十七銀貨で売れたこと。
驚いて言葉を返せなかったレティをどう思ったのか、ロイさんが再度すまないと小さく呟いた。
「あ、いえ大丈夫です。それよりも……」レティは気になることを聞いた。
「私が売っていたお店……そんなに、安かったですか?」
純粋に疑問として聞いたのだが、ロイさんは少し呆れながら答えてくれた。
「あぁ。あの効果で十銅貨などおかし過ぎる。そんなんだと余計な物は買えなかったんじゃないか?」
「え、そんなことないです。ちゃんと必要な物は買えていました」
「……因みに、普段どんな物を買っていたんだ?」
「そうですね。日持ちがするパンとか野菜などでしょうか?」
「後は?」
「へ?後ですか?……あ、時々服とか買っています」
「……他は?」
「他、ですか?特に何も」
レティが答えるとロイさんが物凄い溜息を漏らした。
何か変なことを言っただろうか。理由が分からずレティは首を傾げる。
家にある物はまだまだ使えるから買い替える必要は全然ないし、家の近くの畑では野菜も育てているから問題なかった。森に行けば木の実もあるから不便は無かった。
でもロイさんは思うところがあったらしい。頬杖をついて何事かを考えている風だった。
「あの、ロイさん?私、何かいけないことを?」
「いや、そういうわけではない。……この国の名前を知っているか?」
「え、この国ですか?王国としか知らないです」
「そうか。……この街のことは?」
「この街は……すみません、分かりません」
そう言うとロイさんは益々深い息を吐いた。眉間にはこれでもかと言うほど深い皺が刻まれている。
その顔を見てレティは己の無知に恥ずかしくなった。けれど仕方がない。レティの世界の殆どは森の中にある。森の外はこの街ともう一つの場所しか知らないし、時々訪れる街のことなど興味がなかったのだ。
「……すみませんロイさん。何も知らなくて」
「あ?ああ……いや、気にするな。ただの確認だ」
何だか気不味い雰囲気になってしまった。ロイさんが黙り込んだので、レティも口を噤んだ。
短い沈黙。だけど直ぐにロイさんが目を逸らしながら服、と呟いた。
「へ?」
「……そのローブ、汚れているだろ。食べる前に脱いだほうがいいだろ」
あ、っと思った。レティはずっと汚いローブを着込んだままだ。フードだってまだ被っている。誰も指摘しないからすっかり忘れていた。
座りながらソロソロとフードを外し、脱いでいく。隣の椅子に置く前に状態を確認するとかなり汚れていた。胸からお腹の辺りには大きな染みが出来ていたし、袖にも斑点がついていた。
洗っても落ちないかもしれない。そう思うとちょっと落胆した。
ローブをボンヤリと見ながらどうしようと考えていると、ここまで案内してくれた店主が料理を運んできてくれた。
「お待たせしました。当店で人気メニューの中の一つです。後でもう一品お出ししますので楽しみにして下さいね」
「あぁ。礼を言う」
「いえいえ、それではゆっくりしていって下さい」
そう言って店主はいそいそと厨房に戻ってしまった。
テーブルの上に置かれた皿の上を見る。大きなお皿にはカットされたサンドイッチが載っていた。間に挟まれているのは黄色い何か。小さな緑も見えるが野菜でも入っているのだろうか。
サンドイッチの横に添えられているのはサラダだった。色とりどりの野菜は鮮やかで、透明な液がかけられていた。
もう一つのお皿は深くて取っ手が付いていた。中はスープみたいだが見たことないトロリとした黄色いスープだった。黄色い粒が数個浮いている。
見たことない料理に凝視していると、ロイさんは慣れた手付きでサンドイッチを手に取った。齧り付き咀嚼している。
レティも遅れてサンドイッチを手に取った。黄色い具はよく見れば白い粒も入っていた。まじまじと見つめていたが小さく齧って口の中に入れた。
想像以上に柔らかで目をパチクリとさせた。パンもフワフワしているし黄色い何かは思ったよりもホクホクとした食感だった。少しピリッとする辛味が舌を刺激した。
「これ……何ですか?」
「ん?あぁ、卵サンドだ。……もしかして、食べたことないのか?」
「卵はあります。でも」日持ちが悪いから偶にしか食べたことない。調理も解かしてスープに混ぜていたから卵の味なんて殆ど分からなかった。
そうか、とロイさんは言葉少なに返事をしてから少し考える素振りを見せた。
「……美味いか?」
「はい、美味しいです」
「そうか。良かったな」それだけ言ってロイさんは食事に戻った。
レティも手に持ったサンドイッチを食べることに専念する。やっと一つ食べ終わった頃にはロイさんは既に幾つかの他の料理にも手を出していた。
次はフォークを持ってサラダを突き刺した。サラダなら家でいつも食べているから知っている味のはずだ。
そう思って口に運んだのに、口の中には食べたことない酸味が広がってきて手を止めてしまった。
「どうした?」
「このサラダ、少し酸っぱいです。でも、爽やかで甘いです」
「多分レモンのドレッシングを使ってるんだろ。レモンは知っているか?」
「はい、店で偶に。でも食べたことはなかったです。……このスープ、トロトロしています。とても甘いですがこれは?」
「トウモロコシのポタージュだな。黄色い粒が浮いてるだろ。それをすり潰してスープにしたのがそうだ」
食べたことない料理に一々手を止めてしまい、感想を言えばロイさんが律儀に応じてくれた。
そうしてレティがやっと全ての料理を食べ終わった時にはロイさんはゆったりと水を飲んでいた。
レティも水を飲んで一息つくと、次のお皿が運ばれてきた。
「デザートになります。後で珈琲もお持ちしますね」
「ほう、珍しいな」
「少ないですがそれなりに流通はありますからね」
こーひーとは何だろうと聞いていると、食べ終わったお皿は片付けられて、代わりに置かれたお皿はさっきよりも小さかった。
上に載っているのは小さな四角のナニか。パンに似ているが見た目がパンよりも更に柔らかそうだった。
ロイさんがフォークで割ってから口に入れている。そうやって食べるのだと思い、同じように切り分けて小さくなった欠片を口に入れた。
今までにない甘みが口一杯に広がった。しっとりとした食感で噛めばどんどん解れていく。
料理も一つ一つ驚いたが、最後に出された物はその比ではなかった。いつの間にか夢中で食べていた。
向かいのロイさんが頬杖をついてジッと見ていたのも気付かなかった。今まで見たこともないほど、目が穏やかになっていたことも。
最後の一欠片を名残惜しげに食べ終えた頃、ロイさんがフッと息を吐いた。
ロイさんを見れば、いつも通りの固い顔がそこにあった。
「気に入ったか?」
「えっ……あ、はい。美味しかったです」
「そうか」
そう言いながらロイさんは食べかけのお皿をレティの前に差し出した。
キョトンとしているとこれも食べるか、と言われて慌ててしまう。
「これは、ロイさんの分です。どうぞロイさんが召し上がって下さい」
「俺はもう十分に食べた。お前は朝食べてなかっただろ?気に入ったなら食べておけ」
「でも……」
確かに美味しかった。出来ればもう少しだけ食べたい。
しかしそのお皿はロイさんに提供された分だ。レティが食べていいものか逡巡していると、ロイさんは一つを切り分けてレティの口元まで持ってきた。
意味が分からずその欠片を見ていると、途端にロイさんの表情は渋面になった。
急に怒ったような顔をしたのでレティが、え、何でと思ってるととロイさんが促してきた。
「半分だが食べてくれ。残りの半分は俺が食うから」
そう言ってフォークをユラユラと動かす。
レティの眼前からフォークが消える気配が全くなかったので意を決してパクっと頬張ると、先程食べた甘みがまた脳を支配し、味わうようにゆっくりと噛み締める。
それを見たロイさんは渋面を解いて残りの欠片をさっさと食べてしまった。パンより柔らかいからか余り噛んでいなかったように見える。
「これ、とても柔らかかったです。これは何ですか?」
「ケーキ……だな」
「ケーキですか?」
「ああ。甘味の一つでなんだが……。甘味は食べたことあるか?」
「甘いものですか?木の実とか?」
「いや、砂糖とか蜂蜜とか使ったやつだ」
「食べたことないです。そもそも高くて買えないです」
レティがそう言うとロイさんはまた難しい顔になってしまった。
店で再開してから高い頻度で顰めっ面になる。悪いことをしている気分になってきた。
けれどその渋面も店主が飲み物を持ってきたので元の表情に戻った。
「お待たせしました。……おや、もう食べられてしまいましたか。お代わりをお持ちしましょうか?」
店主の言葉にロイさんはこっちを見てきた。
「いるか?」
「え、いえ。もう十分戴きました。美味しかったです」
レティがそう返すと店主は嬉しそうに微笑んだ。
「そうですか。もし宜しければ少し持って帰りますか?」
「そうだな。悪いが包んでくれ」
店主とロイさんの遣り取りにえ、え、とレティは狼狽してしまう。
また食べられるんだ、という気持ちと申し訳ない気持ちが同時に襲ってきて店主を見てしまう。
店主は気にしないでと言うように微笑んだまま、トレイに乗っていたカップと小さな容器をテーブルに置いてまた厨房に入ってしまった。
カップの中を見ると黒い液体が湯気を立てていて、嗅いだことのない香りが漂っていた。小さな容器は二つあって一つは牛乳みたいだったが、もう一つは白い粉が入っていた。
容器の使い方が分からずロイさんの方を見ていると、彼は容器を見もせずカップの中身を飲んでいた。
取り敢えずレティもカップを手に取る。これがこーひーなのかと口を付けたが、苦味に吃驚して口を離してしまった。
「……苦いんなら牛乳と砂糖を入れろ。少しはマシになるから」
レティの様子を見ていたロイさんが二つの容器を指した。
あ、これ砂糖だったんだ、とレティが白い粉を見ているとロイさんが耐えきれなくなったようにレティのカップを取り上げた。
突然の行動に目を白黒させていると、ロイさんはこーひーの中に牛乳と砂糖を少しだけ入れた後、スプーンでゆっくりとかき混ぜていく。黒い液体は白い牛乳と混ざって茶色に変わっていった。
ロイさんはしばらく混ぜた後スプーンを取り出してカップをレティに渡す。
受け取ったレティは色が変わった液体をしばし眺めていたが、恐る恐るもう一度飲んでみた。
まだ少し苦かったが大分マシになっていた。微かに甘みとまろやかさがあり、最初の頃よりは飲みやすくなっていた。
レティがコクコクと飲んでいるのを確認したロイさんも引き続きカップの中身を飲み始めた。
二人共無言でこーひーを啜った。相変わらず周囲は談笑で賑やかだから、ここだけ空間が切り取られたみたいだ。
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