八話
薄汚い路地裏を通って黒い扉を見つけて中に入ると、これまた汚い空間が迎えてくれた。
隣のマースがあからさまに胡散臭そうにしている。外で待つのかと思いきや、店の中まで同行していた。
露骨に顔に出ているが窘める気にはなれない。ロイドも同じ気持ちだ。こんな所でレティは回復薬を売っていたのか。
棚には商品が幾つか並んでいるが、これまた胡散臭い。盗品と言われても納得してしまいそうな高級そうな商品から汚いガラクタまで乱雑に置かれていた。
カウンターには痩せた四十絡みの男が座っている。客が入って来たのに立ち上がりもしなければ挨拶すらしない。逆に一人は変異種、一人は警備兵だからか不審そうに二人を見てくる。
ロイドも無言で歩を進める。カウンターの上に籠を置いた。
籠に見覚えがあったのだろう。鼻に皺を寄せてフンと鳴らした。
「いつもの女は?」
「所用があって来られない。代わりに来た」
ロイドも短く答える。正直早く終わらせて出て行きたい。
男が籠に掛けていた布を乱暴に取り払い、中身を無造作に取り出した。ガラス瓶がガチャガチャと音を立ててカウンターに置かれていく。安っぽいというか脆そうというか、それだけで瓶が割れてしまいそうだった。
見ていてかなり不快な扱い方だ。
「おい、いつもより三本足りないぞ」
「訳あって使った。今回はそれだけだ」
「フン、一日半も無駄にしたのか」
ほらよ、と男はカウンターに硬貨をバラ撒いた。その値段を見てロイドは眉を顰め、マースは唖然とした。
カウンターに散らばった硬貨は銀貨一枚と十銅貨七枚。圧倒的に安い値段だ。
「これは…………どういうことですか?こんな値段など」
今まで沈黙を守っていたマースがつい店主に反論した。
店主はさも煩わしそうに手を振りながら口を開く。
「煩いな。今までこの値段だったんだ。三本も持ってこないお前等が悪い」
「一本十銅貨だ、と?この回復薬の効果をご存知ないのですか?」
「知っているがそれがどうした?今まで文句言われなかったんだ。お前の知ったこっちゃないだろ」
「……先程、一日半損をした、と言いましたよね?薬を一つ作るのに掛かる時間をご存知だとお見受けする。でもこの値段では四日分の食費ですら無いではないですか」
「だからどうした?さっきも言ったがお前の知ったことではないだろう」
「……っ!この回復薬なら!もっと大金を積んで欲しがる人は山のようにいますっ!失礼ですがこの薬は普段何処に流れているのですか!?」
とうとうマースが声を荒げた。言わんとしている事は良く分かる。これだけ高い効果を発揮する回復薬なら噂に上らない方がおかしい。
「お前馬鹿か?他の客の情報を言うわけないだろう。そう言うなら他の所へ行け。言っておくがこれ以上上げる気はないぞ」
マースがギリギリと歯を食い縛っている。回復薬を売る権利を持ってはいないのだからこれ以上は反論しようがない。
だが、売る権利を持っている者だとしたら?
「そうか。なら今後ここで売るのは止めにしよう」
ロイドはそう言いながらさっさと瓶を籠に詰め直していく。間に布を挟み丁寧に並べていく。
喜色を浮かべたのはマースで、狼狽したのは店主だった。あっさりとしたロイドの態度に慌てて立ち上がる。
「待て待て冗談だ。なら一本二十銅貨でどうだ?」
「一本三銀貨だ。それ以上は負けん」
ロイドの速攻の切り返しに男は唖然とする。だがすぐ様正気に戻って口角泡を飛ばしてきた。
「ふざけるな。そんなの払えるわけがないだろ!そもそもテメエはただの代理人だろうが。何様のつもりで交渉しているんだ!?」
「いつ俺が代理人って言った?」
「普段はあのメスガキが持ってきているんだ!重い回復薬をよ。それともテメエが作ってるのか?だったら証拠を「これでいいか?」」
冷たく言い放つ。左手の指は男の方を向いていた。その指先、空中には氷の刃が店主の喉元まで伸びている。
ヒッと、声にならない悲鳴が上がる。ロイドの冷徹な気配に隣のマースも腰が引けていた。
「……一つ、見ての通り俺は変異種だ。二つ、これが証拠だが理解したな?そして三つ、彼女をメスガキともう一度抜かしたら腕を振る」
ロイドの静かな威圧に男は無言でコクコクと首を縦に振った。
手を振って氷の刃を消す。男はヘナヘナと椅子に座り直すのを一瞥しながら瓶を籠に移してく。ほどなくして全てのガラス瓶を詰め終えたロイドは男から背を向けて歩き出した。硬直していたマースの肩を叩くと我に返って同じく店を出ようとする。
と、後ろから男の小さな声が聞こえてきた。
「売れるもんなら売ってみろ。その薬は効果が高すぎて誰も買ってくれやしないぞ。または精々買い叩かれるのがオチだ」
その捨て台詞を聞きながらロイドとマースは店を後にした。
店を出て細い路地裏を歩き、元の青い看板がある店の前まで戻ってきた。その間二人は無言だったが、大通りに出ると揃って大きな息を吐き出した。
同時だったのでマースは苦笑するが、ロイドは苦渋の色を浮かべた。
その顔色を見てマースは不審に思ったが、籠を見て納得したように頷いた。
「ロイドさん、これからどうしますか?」
「取り敢えずコレを売らないとな。悪いが何か当てはないか?」
「そうですね……。いっそ屯所に行ってはどうでしょうか?先ほども言いましたが、最近はアイツ等のせいで負傷者が多いのです。ロイドさんが言った金額で売れるかは分かりませんが、一応私も交渉させて頂きます」
「……済まない。手間を掛けさせる」
ロイドの申し訳なさそうな様子にマースは声を出して笑った。
「……いえ、すみませんつい。さっきの怒ったロイドさんを見た後だったからギャップが凄すぎて」
「……だからって、笑う奴があるか」
「いえだからすみませんって!」
そう言いながらマースは案内を始めた。横に並んでロイドも追従する。
「……しかし、構わないのか。俺が行っても」
「勿論構いませんよ。どうしてそんなことを言うのですか」
「……お前、俺が誰だか忘れているだろ」
「忘れていませんよ、勿論。でも大丈夫だと思いますよ」
一体全体何が大丈夫なのか。ロイドは呻きたくなるのを辛うじて堪えた。
ロイドの人生でここまで頓着しない人間を初めて見た。……いや、最初にレティがいたか。
周りを見渡せば、通り過ぎる住人達も最初に来た頃より刺々しい視線が緩和されているように感じた。騒ぎの話でも聞いたのか、この辺をずっとウロウロしているから見慣れたのか。
この街の気質なのだろうか。だとしたらおおらか過ぎるだろ。
ロイドの渋面を横目に見てマースはクスリと、ロイドに気付かれないようにコッソリと笑った。
確かにロイドの予想通り、騒ぎが理由の一端となっているのは間違いなかった。住人の殆どがアラゴンを始め荒くれ者共の横行にずっと憤っていたのだ。
それをロイドが簡単に蹴散らしたのだ。溜飲が下がった住人達はロイドが変異種だとしても感謝の気持ちの方がずっと大きかった。更に言えば回復薬で少年と警備兵を無償で助けてくれたことも。
それと、理由がもう一つ。こちらの方が見た人達の心を大きく占めていた。
少女と少年が危険に晒された時、ロイドは血相を変えて飛び出していった。そして寸前で凌いだ時の彼の安堵の表情。少女の顔色が優れない時の心配気な様子。
それらを見て、住人達はロイドが変異種ではなく、自分達と何ら変わらない同じ人として感じたのだ。
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