第61章 父の背中

 4月29日。戦闘は数日前に終わっていたが、歳三たちは二股口に陣を張ったままでいた。いくら勝ったとはいえ、敵を全滅させたわけではない。敵が増強することを想定して、援軍を要請する必要もあった。箱館までの最短ルートである二股口から、歳三は離れるわけにはいかなかった。


 ただし、何度新政府軍がこの地の突破を試みても、決して引くこともなく、打ち破ることができると、歳三は確信していた。なぜなら、市渡いちのわたりの陣からは、絶え間なく弾や火薬が運ばれていていたのだ。それらの弾薬は五稜郭の中で作られていた。そして、五稜郭と市渡とを結ぶ線上に、有川の地があった。


 新政府軍は、二度の二股口攻略の失敗から、半ばここを突破することを諦め、二股口を迂回するルートを構築し始めていた。その代わり、味方に引き入れた地元の猟師を使い、彼らしかわからないような獣道けものみちに幾人かを潜ませていた。


 彼らに課された命令は、そこにいる、『旧幕府軍の指揮官土方歳三』を狙撃することだった。猟師たちには自信があった。新政府軍の侍たちには狙えなくとも、山を知り尽くしている自分達には、獲物に気づかれぬように近づく術がある、と。彼らは使い慣れている火縄銃を手に、茂みの中を進んだ。


 りょうは歳三を探した。すると、胸壁の陰に、見慣れた洋装軍服に陣羽織を着た歳三の姿が見えた。戦場で父と呼ぶわけにはいかない。りょうは落ち着いて、

「先……!」

と、声を出そうとした時、さぁっと風が吹いた。りょうは、その中に火縄の臭いを嗅いだ。体に緊張が走った。

(父さんが狙われている!!)

りょうは風上の方角に目をやった。すると、茂みの中に、わずかに太陽の光を反射している箇所があった。りょうは思いきり叫んだ!

「火縄銃だ!みんな伏せろ!」

そう言いながら、自ら歳三の前に向かって走り出した。猟師の本能で、きっと動いているものに向かって撃つだろう。1発でも外すことができれば、歳三が身を隠す時間が稼げるに違いない。案の定、りょうの声に驚いた猟師たちは、歳三ではなく、反射的に飛び出してきたりょうに向かって火縄銃を撃った。

「あのバカ!!」

歳三が叫んだ。りょうは、間一髪で茂みの陰に飛び込んだ。火縄銃は一度撃つと次の弾込めまで時間がかかる。

「向こうの茂みだ!逃すな!」

大野の掛け声で、一斉に銃が炸裂した。

「わぁっ!」

という声と共に、猟師が逃げ出した。ある者は伝習隊の銃に倒れ、ある者は火縄銃を捨てて震えていた。逃げられたのは、ひとりかふたりだった。敵の、土方歳三狙撃計画は失敗に終わった。


 りょうは茂みの中にうずくまったままだった。片足が熱かった。どうやら、火縄銃の弾に当たってしまったらしい。銃撃がやんだとき、ザザッと音がして、りょうの目の前に現れたのは、五郎作だった。

「良蔵、怪我をしたのか?肩を貸すぞ!」

「五郎さん!矢不来やふらいが落ちたんです!早くここから撤退しないと!皆さんが挟み撃ちになってしまいます。早く!」

りょうの必死の形相に、五郎作は、

「わかった。先生に伝えてくる。ここを動くなよ」

と言って茂みから離れた。


 りょうは傷口を縛るものを探していたが、運悪く何も見つけることが出来なかった。白衣の袖を引き切ろうとしたとき、目の前に白い布がヌッと出された。顔をあげると、歳三だった。

「これで縛っておけ。止血ぐらいにはなるだろう。全く、この無鉄砲が!銃の前に飛び出るやつがあるか!」

それは、歳三の首に巻かれていたスカーフだった。りょうは驚いて、

「い、いいです!汚してしまうから!」

すると、歳三は言った。

「医者が怪我を放っておいちゃ、話にならねぇだろが。さっさと手当てしろ。五稜郭に戻るぞ!」

いつもの通り口は悪いが、心配してくれているのはわかった。りょうはそのスカーフを受け取ると、傷口をきつく縛った。

「すいません。余計お荷物になってしまって……」

とりょうが言うと、歳三は榎本から届いたばかりの撤退命令書を見せた。

「お前の伝令の方が釜さんの書状より早かった。おかげで挟み撃ちになるのは避けられそうだ。どうだ、歩けるか?」

と歳三が聞いた。

「こんなの、カスリ傷ですから。大丈夫です」

そう言って立ち上がろうとするりょうだったが、支えきれずに倒れた。歳三はその体を受け止めながら、

「しょうがねぇな。俺がおぶっていってやる。ほら、乗れ」

と背中を向けた。りょうはびっくりして、

「そ、そんな!大丈夫です!」

と言った。五郎作が、

「俺がおぶっていきます、先生」

と申し出たが、歳三は、

「おめえも弁天台場からの連戦で疲れてる。こんな重てぇの背負ったら、コケちまうぞ。ほら、いいから、早くしろ」

とりょうを促した。

「恥ずかしい……」と言いながらも、りょうは歳三におぶさった。


 それは、初めて感じる父の背中であった。大きな、温かい背中であった。

「親父が娘をおんぶするんだ。何も恥ずかしいことあるめぇよ」

歳三は、そう言って微笑んだ。りょうの目から、涙が溢れた。

「父さん……!」

聞き取れるか聞き取れないかくらいの小さな声で、りょうは言った。

「なんだ?足が痛むのか?」

と歳三は聞いたが、りょうは答えず、歳三の背中に顔をうずめていた。


 「こっちの陣が空っぽだと敵に悟られないように、置いていけるものは置いていけ」

という歳三の指示に従って、皆、帽子やら、使えなくなった武器やら、弾薬の空箱やらを、目立つように置いた。歳三は、殿しんがりの伝習隊に、持ってきた地雷を埋めてくるように言った。この地雷の効果もあり、歳三たちが二股口を去ったことを新政府軍が知ったのは、しばらくあとだったようだ。


 背中に娘の重みを感じながら、山道を市渡に向かう歳三。

「先生、良蔵、寝てますよ」

という五郎作の一言を聞いて、大笑いした。

「全く、たいした伝令だぜ!」

皆、りょうの寝顔を見ながら笑った。撤退なのに、まるで勝利の凱旋のような雰囲気だった。


 歳三は思った。

(おめえが恥ずかしいなんて感じない年の頃に、もっとたくさんおぶってやることができればよかったなぁ、りょう……)

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