第62章 弁天台場の決意

 歳三たちが五稜郭に戻ったのは翌朝だった。箱館病院から高松凌雲が駆けつけ、矢不来やふらいや二股口の負傷兵たちと、りょうの手当てをした。幸い、りょうの傷は浅く、数日で杖無しで歩けるようになるとのことだった。一方、矢不来での損失は計り知れなかった。衝鋒隊の隊長が戦死し、会津遊撃隊の隊長が重体になり箱館病院に運ばれた。病院が満床になったため、伊庭八郎は箱館病院から五稜郭に移った。鎌吉もいっしょに来ていた。


 歳三は添役たちに兵たちへの手当てと休息を指示した。自らは休むことなく、簡単な報告と軍議のあと、弁天台場に馬を走らせ、新選組に有川への夜襲を命じた。戻るとすぐ、ブリュネらフランス人士官からの伝言を受け、箱館病院で彼らと面談した。榎本の命令で、蝦夷地を去ることが決定したブリュネは、自らが訓練した伝習隊を歳三に託すことを伝えた。このあと、5月2日に、フランス人士官たちは自国船で箱館を退去する。


 再度五稜郭に戻った歳三を捕まえたのは、凌雲だった。

「いい加減にしろ、土方さん。良蔵をつれて『丁サ』に戻ってくれ。軽傷といえども銃創だ。今夜までは熱が出る。あんたが動いていると、良蔵はじっとしておらん。それに、あんた自身も疲れきっているじゃないか。今はまず、身体を休めてくれ。これは医者としての命令だ!!」

歳三に負けず劣らずの鬼のような形相で凌雲は怒鳴った。さすがにこれには逆らうこともできず、歳三はりょうと共に、万屋よろずやの離れで休養することになった。


 もらった薬が効いたのか、りょうは静かに眠っていた。歳三も久しぶりに風呂につかり、ゆっくりと食事をとった。

「会津でも、りょうが倒れたと良順に呼び出されて、強制的に休養を取らされた。俺が休むのは、いつもこいつの具合が悪いときだというのも、困ったもんだな」

と歳三が呟くと、そばにいた安富が微笑んだ。

「子供というのは、無意識に親の不調や危険を察するのでしょう。幼子が泣いて親を引き留めた結果、命拾いしたという話もあるくらいですし」

「才助、おめぇ、子供がいたのか?」

と、歳三が聞いた。今まで、安富が家族の話をしたことは一度も無かったのだ。

「娘が……ひとり……私が江戸詰めの間に、養子に出されました」

安富はあまり感情を表に出さない性格だが、その話をしたときの顔は悔しそうだった。

「おめぇが脱藩したのは、それがあったからなのか……」

歳三は理由を聞いた訳ではなかったが、安富は独り言のように語り出した。


 「藩の勘定方であった父の跡を継いでまもなく、嫁をとりました。でも娘が生まれてまもなく、妻は病死してしまい……ある日、その娘が高熱を出して泣き止まず、私はお役目をやむをえず休んだのです。その晩、藩の蔵が夜盗に襲われ、その日私の代わりに勤めた者が、責任を取らされて腹を切りました。私は娘のお陰で罪を問われずに済んだのですが、同じことがあってはならぬと、親戚が娘を私から離すことを決めたようで……私にはそれがどうしても納得いかなかったのです……」

物静かな安富の中にある、理不尽を許さないという強い思いを、歳三は見た気がした。

「私は、土方先生と良蔵が一緒に過ごされることを、自分のことのように嬉しく思っております。本当なら……」

言いかけた安富を手で制して、歳三は言った。

「わかっている。だが、俺はもう決めたのだ……」


 5月3日、杖に頼りながら歩けるようになったりょうは、歳三と共に、弁天台場を訪れた。食料や、武器や弾薬などを補給するためだ。

「五郎さぁん!」

大砲の点検をしている五郎作ごろさくを見つけて、りょうが呼んだ。五郎作は振り返ると、走ってきた。

「良蔵、もう傷は大丈夫なのか?……おっと、『乙蔵おとぞう』って呼ばなきゃまずいんだよな」

五郎作は周りを見回すと、小声でささやいた。

「安富先生に相談したら、その名前に変えろ、と……どなたですか?」

りょうも小声で聞いた。五郎作は少し微笑んで、

「まあ、最近は新選組にも色々と事情があるんだ。あまり気にするな。安富先生に言われたなら大丈夫だよ」

と答えた。

「はあ……」

五郎作の曖昧な受け答えに、聞いてはいけないことなのだと、りょうは悟った。


 「しかしなあ、いい度胸してるぞ、お前は。土方先生におぶわれて寝られるなんて」

すると、りょうの顔が赤くなった。

「それを言わないでください。背中が暖かくて、つい……恥ずかしいです」

照れるりょうを見て、五郎作は微笑んだ。

「お前を見ていると、亡くなった義妹を思い出す」

「妹ぎみがいらしたのですか?初めて聞きました」

すると、五郎作は遠くに目をやった。その先には、小さなかもめが岩場で羽を休めていた。

「あ、いつか、鉄に聞きましたよ。五郎さんに好きな方のことを聞いたら、鴎だと言われたって。鉄は意味がわからなかったって言ってました」

りょうが言うと、五郎作はクスッと笑って、

「鉄はそっちの方には鈍感だからな」

と答えた。りょうは、

「五郎さんの好きな方は、その義妹ぎみだったのですね?」

と聞いた。五郎作は小さく頷いて言った。

「子供の頃から心の臓が悪くてな。でも負けず嫌いで、絶対に苦しいとか、痛いとか、弱音を吐かなかった。俺が脱藩する前に、ふたりで海に行った。その時、義妹が『死んだら鴎になりたい。鴎になって大空を飛び回るのだ』と言っていた……」

「義妹ぎみは、いつ……?」

「俺が新選組に入ってすぐの頃かな。死に目には会えなかった」

五郎作は空を仰いだ。

「帰りたかった……でしょうね……?」

りょうは、飛び去る鴎を目で追った。

「俺は養家の厄介者だったからな。帰る家は無いんだ……いいさ、いつか会える。そのうち俺も、そこに行くんだから」

「五郎さん!」

悟ったような五郎作の言葉に、思わずりょうは声を大きくした。

「冗談だよ。『乙蔵』が怪我してまで危険を伝えてくれたんだ。俺もその分、しっかり弁天台場を守るさ!」

と、五郎作は言ったが、有川まで進出してきている新政府軍が、箱館を攻める日が遠くないことはわかっていた。そして、その時真っ先に攻撃されるのは、この弁天台場であることも。


 そのころ、歳三は、相馬主殿とのもと箱館新選組隊長の森弥一左衛門やいちざえもんと話し合っていた。

「森どの、では、隊長の任を辞すると言われるのか?」

歳三は森からの申し出を受けている最中だった。森は落ち着いた表情で言った。

「左様。先月、桑名の殿が、無事蝦夷島を離れられた時から考えていたことでござる。やはり、新選組は京以来の古参の方が隊長を務められるのが筋というもの。相馬どのなら、その任にふさわしいと存ずる」

相馬は、

「しかし、それでは箱館ここに残った桑名の方々が納得しないのでは……桑名をまとめるのは、やはり森どのの方が」

と言った。すると、森は答えた。

「残った者は皆、新選組隊士として、『誠』を貫こうとする侍です。私もまた、ひとりの侍として、己の『誠』を全うする所存。先日、台場を攻撃された折り、相馬どのの見事な采配で乗りきったのは皆わかっております。今後はどうか、相馬どのにお任せしたい」

歳三は、森弥一左衛門の責任感の強さをよくわかっていた。桑名候が蝦夷を脱出したことで、責務を果たしたと安堵していることも。これ以上、重荷を背負わすこともない、それでも桑名の隊士たちのことは任せられる、と心を決めた。

「森どの、よくわかりました。お申し出の義、お受けしましょう。ただ、今そのような話をすれば、下の者たちは混乱するでしょう。後々の話として、相馬主殿を箱館新選組の隊長に任ずる、ということにいたします。主殿、良いな」

歳三は相馬を見つめた。相馬は、

「承知いたしました」

と答えた。


 相馬主殿は、弁天台場降伏の時に、新選組隊長になったといわれている。箱館や弁天台場が攻撃された時の新選組隊長は、記録上、森弥一左衛門である。しかし、相馬主殿が歳三から絶大の信頼を得ていたことは、彼が果たしてきた役目からも充分推察できる。憶測ではあるが、歳三から新選組を託された相馬は、5月11日より前に、実質的な隊長になっていたかもしれない。


 森弥一左衛門は、その後も桑名候を案じ、箱館戦争が終わったあと、藩主に代わり全責任を負い、切腹した。




 その晩、弁天台場で事件が起きた。台場の全ての大砲が、何者かによって塞がれてしまったのだ。

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