第38章 無念の帰艦

 「相馬さん、相馬さん、眠らないでください!」

りょうは、意識が途切れがちな相馬に声をかけ続ける。出血の酷い相馬は、朦朧とした意識のなかで、近藤や野村の夢を見ていた。


『新選組は、お前に任せたぞ、はじめ(相馬主殿は新選組入隊時、相馬肇と名乗っていた)』

それは近藤の声のように聞こえた。

『お前はまだ死なない。お前はまだすべきことがあるんだ。すべてを終えるまで、こっちには来るなよ。すべてを終えるまではな……!』

野村が晴れやかな笑顔で、そう言いながら遠ざかっていく。

「局長!野村!」

相馬は自らの声で目を覚ました。

「俺は……?」

董三郎が、相馬の額に手をあて、肩口の包帯を見て、血が乾いているのを確認した。

「相馬さん、もう大丈夫です。良蔵くんの早い止血で、助かりましたね」

あのとき、甲板でりょうが襷で縛ったのが、効を奏したようだ。


 「相馬さん、気がついたんですね!良かった……!」

やって来たりょうの両頬が、赤く腫れ上がっていた。

「どうしたんだ、その顔……奉行か……?」

相馬に聞かれて、りょうは思わず頬を触った。唇の端が切れていたのか、手に血が着いた。董三郎も驚いて、慌てて手拭いを濡らして、りょうに渡した。

「ほら、冷やさなきゃ!……奉行もきつすぎる。ご自分の娘を殴るなんて……!」

「仕方ありません。悪いのは僕ですから……」

董三郎とりょうの会話を聞いていた相馬が驚きの表情をした。

「え……?娘って……お前、女だったのか?それに……奉行の……?」

目の前の小柄な少年(と今まで相馬は思っていた)を見つめ、今までのりょうや歳三の言動を思い返しながら、相馬はふうっと大きく息を吐いて、目を閉じた。

(……まったく、切られても切られてもひたむきに追いかけてくる小姓……そういう訳だったのか……それにしても、周りに気づかせないとは、あの方はなんという……)

「黙っていてごめんなさい、相馬さん。最初は新選組の一部にしか伝えていなかったんです。僕のことを松本良順先生が榎本先生に伝えて、それで知った方がいる程度なんです」

りょうが相馬に謝った。董三郎は、

「女であるとか、奉行の娘であるとか、私たちは一切関係なしに良蔵くんと接することができています。彼女は我々の仲間、箱館病院の医師のひとりであることに変わりはありません。だから、あえて本当のことを明かさなかったんです。隠していた訳ではないので、良蔵くんを責めないでください」

と言った。相馬は黙って頷いた。りょうは痛む頬を触りながらうつむいていた。


 半時ほど前、一通りの手当てが終わったりょうを、歳三は呼んだ。平手打ちがりょうの両頬にとんだ。

「なぜ殴られたのか、わかっているな!」

「はい……大変申し訳ありませんでした!」

命令違反、注意欠如、状況把握怠慢、そして奉行添役を負傷させた罪……殴られることは覚悟していた。甲板が血の海になったのは、全て自分の責任だとりょうは思っていた。

「おめぇは従軍医師として、失格だ!!」

歳三はそう言い放つと、りょうに背を向けた。一番無念なのは誰か、りょうは痛いほどわかっていた。

(ごめんなさい……父さん……)


 回天は、追いかけてくる甲鉄をなんとか振り切り、箱館港に向かっていた。高雄(第二回天)は、浅瀬に乗り上げ座礁、自焼し、乗組員は降伏したと聞く。蟠龍の行方は相変わらずわからなかった。


 りょうは、箱館につくまでの間、眠らずに患者を診ていた。

「良蔵くん、少し休まないと……」

董三郎が心配して言ったが、りょうは、

「大丈夫です。僕の不注意でこんな事態になったんですから。それに、止血帯は常に見守っていないといけないので。董三郎さんこそ、休んでください」

と言い、休もうとしなかった。りょうは、患者ごとの止血時間を記入していた。止血帯がきつすぎたり、時間をおきすぎたりすると、血流が悪くなり、壊死に繋がる。気を抜けないのは確かであった。しかし、本当の理由は他にあった。中村のことを考えたくなかった。何かで忙殺されていないと、気が変になりそうなくらい、りょうにとって、中村に裏切られたと思った衝撃は大きかったのだ。


 回天が箱館に着いたとき、榎本はじめ箱館政権の幹部たちが皆、迎えに出ていた。誰もが無言だった。榎本は、荒井と土方に、

「よく生きて戻ってくれた。感謝する」

と言った。


 りょうは、怪我人の搬出を見届けるまで、船内に残っていた。最後に艦を出た怪我人は、甲鉄へ抜刀隊として斬り込み生還できた、彰義隊の伊藤弥七いとうやしちだった。伊藤は艦を降りるとき、りょうに、

「良い腕だったぜ、チビ先生。助けてくれて、ありがとう」

と言った。

「チビ先生って……ひどいなぁ……」

りょうは一瞬、苦笑いをしたが、笑顔はすぐに消えた。外には、箱館病院の高松凌雲が怪我人たちを運ぶ手配をしていた。りょうは凌雲を確認すると、一礼して言った。

「死亡者と、怪我人は、全員、艦から下ろしました」

凌雲は、りょうの肩に手を置き、言った。

「よく、頑張った。あとは任せなさい」

「はい。よろしくお願い致します」

「顔色がよくない。寝ていないのか?これから、五稜郭に報告に行くのだろう?大丈夫か?」

凌雲は心配したが、りょうは、

「大丈夫です。こんなに死傷者を出してしまったのは、僕の責任なんです。僕が未熟で、愚かだったから……」

と答えた。凌雲は、そんなりょうの後ろ姿を見送りながら思った。

(戦況は想像できるが、それを別にしても、あんな良蔵は初めて見たぞ…….絶望に打ちひしがれたような顔をしている。いったい何があったんだ……?)


 鉄之助と銀之助が走ってきた。

「凌雲先生、良蔵は!?」

ふたりは学校から走ってきたのだった。

「今、戦の報告のため、五稜郭へ向かったが、まるで人が違ったような顔をしていた。お前たち、良蔵を迎えに行ってくれないか?なんだか心配だ」

凌雲の言葉に従い、鉄之助と銀之助は、急ぎ五稜郭へ向かった。


 さて、残る一隻、蟠龍艦はどうなったのか。


 鮫港で回天と高雄を待っていた蟠龍だったが、二隻とも現れなかったので、艦を南下させると撤退中の回天に遭遇し、箱館に戻るよう命令された。その後に甲鉄に追いかけられたのだが、強風で海域の波が荒くなり、そのおかげで助かったようだ。甲鉄は船縁が低く、波が侵入しやすい。波が入ると船の安定が保てず、砲撃や銃などを使いにくくなるらしかった。甲鉄の追撃から逃れた蟠龍が箱館に戻ったのは、回天の帰港に遅れること数時間から半日後、その日の夕刻のことだった。


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