第36章 回天の決断

 「高雄(第二回天)が故障したって?」

歳三が、荒井郁之助に聞いた。山田湾で蟠龍を待つ間、機関室の修理をしていた高雄だったが、現れない蟠龍に見切りをつけて、回天と共に出港したあとのことだ。

「そうとしか思えないのだ。山田湾を出たときには一緒だったのだが、姿が見えなくなってしまった」

回天に乗船していた、箱館政権海軍奉行の荒井は、この作戦の指揮官だ。荒井が悩んでいるのをみて、歳三は、

「荒井さん、戦法を考え直すべきじゃねぇのか?もともと、三艦揃っていることを前提として立てた作戦だ。甲鉄艦に接舷する船がねぇなら、アボルダージュにならねぇじゃねぇか」

と提案した。


 アボルダージュを実行する斬り込み隊は、蟠龍と高雄に多く乗船しており、回天にいる者は、援護射撃の予定であった。剣の得手不得手も考慮して選んだ戦力である。陸軍として、一隻では兵士の数が少なすぎるということを、歳三は懸念していた。荒井も、その通りだと思っていた。回天は外輪船なので、甲鉄に横付けできないのだ。高雄を待ってみよう、という荒井の考えで、しばらく待ったが、高雄はついに現れなかった。回天は単独、宮古湾へと進んだ。


 回天艦長の甲賀源吾は、フランス士官のニコールと共に、アボルダージュの提案者であった。彼は強硬に実行を主張した。甲鉄が新政府軍に有る限り、箱館は守れない、奪えなければ甲鉄を破壊する、という甲賀の強い意志に、荒井と歳三は従うことにした。


 ついに、アボルダージュを回天一隻で決行することになった。


 歳三は船室に降りて、回天一隻でアボルダージュを決行することを告げ、甲鉄への斬り込みを志願するものを募った。新選組でいう『死番』である。それに真っ先に手を挙げたのが、野村利三郎であった。その他、海軍士官や、元彰義隊士などが手をあげた。

「野村さん」

りょうは野村に声をかけた。鮫港での野村の様子が、気になっていたからだ。だが振り返った野村の顔を見て、りょうは息を飲んだ。今までにないような、晴れやかな、清々しい顔をしていたのだ。

「良蔵、俺は銃よりも、剣のほうが得意なんだ、知っているだろう?」

野村は嬉しそうだった。

「俺は、局長にも、副長にも、生きる道を作ってもらった。とても感謝している。俺は新選組、野村利三郎として甲鉄を奪いに行く!」

野村はそう言って、りょうの肩をがしっと掴み、立ち上がった。りょうはその背中に向かって、

「必ず戻ってきてくださいね!」

と叫んだ。


 甲板の上には、歳三と、相馬、大島のふたりの添役がいた。

「野村利三郎!」

相馬が呼んだ。野村は、相馬に頷き、渡された白の鉢巻きを額にギュッと結んだ。


 その少し前、野村に次いで手をあげようとした相馬だった。しかし、その手を野村は押さえた。相馬が野村を見つめると、野村は言った。

「お前は奉行の添役だ。斬り込みはだめだ!」

相馬が、

「お前だけを行かせられるか!俺だって……!」

と言うと、野村は静かに、

「今度こそ、副長を信じて、離れるなよ、相馬」

と言い、その手を離した。野村は

『副長』

と言った。『奉行』でも、『総督』でもなく、歳三を『副長』と呼べるのは、京の頃から生死を共にした、新選組だけだ。その自負が、野村にあった。

(やっと守ることができる……俺は……あのときの分まで……)

その心は、相馬にも伝わっていた。

「わかった。俺は添役の任を尽くすと約束する」

相馬は答えた。


 3月25日、宮古湾に夜明けが訪れていた。アメリカ国旗を掲げたまま、回天は甲鉄に近づいていった。りょうは、董三郎に、衝撃が来るから器具を全て固定するように言われて、その作業に追われていた。

道具箱を固定し、医療器具は蓋のある箱に入れた。もしものときの用意にと、止血用の器具や晒を入れた薬箱は、背負っておいた。


 新政府軍の殆どの艦は静かだった。上層の幹部は艦を留守にしており、停泊中の乗組員も気が緩んでいたのだろう。すでに起床時刻は回っていたが、湾内に入った回天に気を止めるものは少なかった。


 しかし、薩摩の軍艦、春日丸の三等士官、東郷平八郎とうごうへいはちろうは、近づいてくる外輪船を訝しんでいた。

(なんじゃ、あん船は?アメリカん船んごたっどん、まっすぐ艦隊に向かってきちょらんか?)

やがて、国旗がスルスルと降ろされ、代わりに日の丸が掲げられたとき、東郷はそれがなんであるか悟った。

「敵艦だあっ!!空砲を鳴らせ!」

東郷は叫び、春日丸から、危険を知らせる空砲が鳴った。


 「アボルダージュ!!!」

荒井の声と共に、回天は甲鉄艦に急激に近づいた。轟音と共に、ものすごい衝撃が、甲板にも船室にも走った。しかし、外輪船である回天では、そのスクリューが邪魔になり、抜刀隊が甲鉄に飛び移れるほど接舷することは無理だった。艦長の甲賀は、再突入を試みた。

「良蔵くん!どこかに掴まっておけ!もう一度来るぞ!」

董三郎が叫んだ。りょうは船室の柱に必死に掴まっていた。

「正面から突っ込むぞ!!」

再び轟音と衝撃が走り、回天が止まった。


 りょうは、野村が心配で、思わず階段をかけ上がった。

「あっ!馬鹿!外に出るな!!」

董三郎が叫んだが、りょうは甲板に上がった。甲板には異常な緊張感があった。回天の舳先は、甲鉄に斜めに突っ込んでいた。舳先からでないと甲鉄に移れないのだ。甲鉄に乗り上げているので、高さはかなりある。抜刀隊は、すぐに移ることできずに躊躇していた。

「大塚波次郎、参る!」

と、最初のひとりが飛び降りた。


 次に控えていたのが、野村だった。野村は、一度振り返り、歳三や相馬に笑顔で会釈した。そして、その体が一瞬宙に浮き、船の陰に消えた。それが、生きている野村を確認した最後だった。

「野村さん!」

りょうは、その姿を追おうと、船のへりから下を見た。ふたりに触発された抜刀隊が次々に飛び降りていた。しかし、舳先からはひとりかふたりずつしか降りることができなかったため、最初は右往左往していた甲鉄の兵士たちも、応戦体制が整ってきており、小銃や槍で迎え撃てるようになった。


 「馬鹿野郎!なんで出てきた!戻れ!」

と、りょうを見つけた歳三が叫んだ。それに気づいた相馬がりょうの方に走った。

りょうは、飛び降りた抜刀隊の者たちが、小銃で狙い撃ちされるのを見た。必死で野村の姿を探した。

「良蔵くん!船室に戻れ!ここは危ない!」

董三郎は言い、りょうの手を引こうとしたが、飛んできた流れ弾を避けようとしてころんでしまった。

「でも、野村さんが……あっ!」

りょうが野村らしき人影を見つけた。男は敵のひとりを甲板の際に追い詰めていた。


 その時だった。銃声と共に、男の体がのけぞり、海に落ちた。

「野村さんっっ!!」

りょうの声に、銃を撃った男が顔をあげた。そして、男とりょうの目が合った。


 りょうに、凍りつくような電撃が走った。













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