第22章 北海屋・お弓① 母を知る人

 祝賀会の行われた夜は、箱館の町には一晩中提灯が灯され、祭りの賑わいだった。雪が降り始めていたが、町中は明るかった。そんな中を、りょうは、ひとり、歩き続けていた。約二十日ほど前に、父に会いたい一心で、港からやってきた道を、港の方に向かって歩いていた。目的があるわけではなかった。ただ、自分の気持ちを落ち着かせるには、歩くしかなかった。そんな姿を、ほろ酔い気分の新選組隊士たちが見咎めた。

「あれ?良蔵に似ているけど……違うか」

「ガキが一人でこんなとこに来るかよ。ここは大人の場所」

箱館の町中には、異人揚屋などがあり、今夜は隊士たちの遊び場所として許しが出ていたのだ。りょうを気に留めるものはいない。


 やがて、港が近くなり、風が強くなってきて初めて、りょうは知らない通りに入ってしまったことに気がついた。箱館の町は、南西の山に向かって、同じような坂道が多くあった。その昔は島であったという山には灯りがなく、黒々とした影が浮かんでいた。りょうは急に心細くなった。同時に、寒さも襲ってきた。箱館の冬の海風は、京や江戸の北風とは比べ物にならない。風を避けようと、商家の看板の陰にうずくまったとき、女の声がした。

「あんた、何してんだい?そんなところで……」

 灯りをかざしたその顔は、商家の女将おかみのようであった。

「すいません。風があまりに強いので、避けようと……少し治まったら、すぐ離れます」

りょうは言った。その身なりをさっと見て、女将は声をあげた。

「やだよ、そんな薄着で!……半時もいたら、凍えちまうじゃないか!おはいり、おはいり!」

女将に促され、りょうは店のなかに入った。


 店の中は暖かった。囲炉裏に火が明々と燃えている。りょうはほっとした。祝賀会の最中に飛び出したので、上着を着て来なかったのだ。

「あんた、土地の者じゃないね?そんな格好で、この季節に外を歩くなんざ、死にに行くようなもんだよ」

女将に言われて、

「すいません。道に迷ってしまって……」

と、りょうは謝った。


 女将は鍋を囲炉裏にかけて暖めており、いい臭いがしていた。酒粕だ。女将は、鍋をかき混ぜながら、

「あんた、脱走の侍かい?まだ子供だろう?いくつだい?」

と聞いた。りょうは少し黙っていたが、偽る理由もないので、

「はい。来たばかりで、箱館こっちに慣れていなくて……歳は16です」

「16だって……?ほら、暖まるよ」

魚の粕汁をすすめてくれた。

「鮭のあらの粕汁だよ。骨に気を付けるんだよ」

「はい……美味しいです!ありがとう」

そう言って、りょうは顔を上げた。女将も初めて、りょうをしっかりと見た。すると、女将は驚いたような顔をした。

「どうしたんですか?」

りょうは聞いた。女将は、

「いや……あんたが、私の昔の知り合いにあまりにも似ていたんで、びっくりしたのさ……」

と言った。


 「女将さん、江戸の方ですか?」

りょうが聞くと、女将は、

「良くわかったね?あんたも江戸の生まれかい?」

と聞き返した。

「はい。といっても、6才までは神奈川で育ちましたが。女将さんの口調が、多摩の伯母に良く似ているので、そうじゃないかと思ったんです」

「6才まで神奈川?おっ母さんは?」

「流行り病で亡くなりました」

すると、女将は、りょうの顔をさらに良く見つめた。そして聞いた。

「あんたのおっ母さん、昔、大伝馬町の呉服屋に奉公していた、なんて言ってなかったかい?……いや、いいんだ。何でもないよ」

と、自問自答して笑う女将を見て、りょうはキョトンとして言った。

「そうです。僕の母は、若い頃呉服問屋で奉公していました……でも、どうして?」

りょうが女将を見つめた。女将はその顔を見て言った。

「そうだよ、その癖。相手をまっすぐ見つめる癖。おうめちゃんと同じだ。あんたのおっ母さん、『おうめ』っていうんじゃないかい?」

今度は、りょうがびっくりした。こんなところで、母の名を聞こうとは。

「女将さん、母を知っているのですか?」

すると、女将は微笑んだ。

「やっぱり……だって、おうめちゃんにそっくりな顔だもの……私は、おうめちゃんが奉公していた店の娘さ」


 女将の名は、お弓、といった。お弓は、りょうが幼い頃、うめが仕立て物をもらっていた呉服屋からの話を伝え聞いて、うめの居所を知ったのであった。しかし、その時は、もうすでにうめは他界しており、一人娘のりょうも、横浜からいなくなったあとであった。

「あんたのおとっつぁんは歳三さん……だろう?16だっていうなら、そうだよね?」

お弓が聞くと、りょうは頷いた。

「歳三さんとおうめちゃんには、あたしゃ、恩があるのさ」

と言ったときに、若い男が店に入ってきた。

「おっ母さん、ただいま。おや、お客さんでしたか?いらっしゃいませ」

品の良い、若い男だった。りょうより、2才くらい上だろうか?

「あたしの息子だよ。あの子が生きて今ここにいるのも、ふたりのおかげなんだ」

お弓はりょうを見て微笑んだ。りょうが不思議そうな顔をしていると、お弓は、

「あたしも若かったからね、親の言うことを聞かずに、奉公人の男と恋仲になっちまって、子が出来たのさ。親が認めなければ奉公人を婿にとるなんてできない。どうしようもなくなって、ふたりで死のうとしていたのを、歳三さんとおうめちゃんに助けてもらったんだ。あの頃から、歳三さんはおうめちゃんにぞっこんだったね……」

と、懐かしむように語った。


 りょうは、父と母には、まだ自分の知らないことがたくさんあるのだ、と改めて思った。いつか、父がそんな話をしてくれる日が来ることを、心の隅で、少しだけ願った。


 「おうめちゃんの子のあんたに、こんなところで出会うなんてねえ……でも、なんでそんな男の格好をして、脱走なんかに入ってるのさ?」

お弓は聞いた。

「小さい頃、母に喜んでもらえると思って、武士になる、って言ったんです。父がそう言っていたと聞いたから……僕は、母に悲しい顔をさせる父が許せなくて、そう言ったのかもしれません。でも、今は、そんな父と共に生きたいと思ってます。やっと追い付いたので……」

お弓はりょうの言葉に驚いたが、

「そういえば、歳三さんは、いつも、『俺はいつかは武士になる』って言ってたっけねぇ……誰も信じてなかったよ、あの頃は。歳三さんには、商売の才があったから、商人になるんだと思ってた……武士になったのかい、本当に……」

と、感心したような、呆れたような口調であった。


 りょうは、お弓に、神奈川宿を離れてから、日野で医師に育てられ、医術と剣術を学びながら育ち、父を追って京に行き、その後離れ、今また蝦夷で追い付いたのだ、と話した。すると、お弓は聞いた。

「歳三さんが脱走に?じゃあ、松前を落とした、脱走の大将の、土方、ってのは……?」

「父です。でも、名前まで知られているなんて、松前での話は、箱館市中に広まってるんですか?」

りょうが心配そうに聞くと、お弓は、

「あ、いや……」

と言葉を濁した。

「うちは廻船問屋、北海屋といって、松前藩の御用もさせてもらっていたからね、松前の話が入ってくるんだよ」

と、お弓は言った。そして、小さな声で、

「……まさか、敵方の指揮官が、歳三さんだなんて……」

と、呟いた。

(敵方?)

りょうはその言葉が気になったが、お弓が優しい人物であることは間違いないので、その時は聞こえなかったふりをした。




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