第16章 歳三の心③ 親として
「そんな、嘘です!中村さんは妻がいるなんて、ひと言も……」
そのりょうの言葉を聞いて、逆に冷静でいられなかったのは歳三の方だった。
「おめぇ、まさか中村と何かあったんじゃあるめぇな!?」
りょうはびくっとして顔を背けた。りょうの脳裏に
歳三は、奥手ではない。女がそういう反応をしたときには、何かあったことは明白だと冷静に判断できる男だ。だが、目の前にいたのが自分の娘だと、考えるよりも先に体が動いてしまった。頭に血が上った歳三が、思わずりょうを殴ろうとしたとき、
「総督!」
という安富の声と同時に、歳三は腕を掴まれた。
「土方先生、鉄と銀が見ています。ここは穏便に……」
安富が小声で言うと、歳三は、はっと我に返った。鉄之助と銀之助がおろおろしている。安富はその手を離した。歳三は拳を下ろしながら、
「あ、あぁ、才助か。今戻ったのか?」
と、精一杯、冷静を装った。安富は、
「はい」
と答えた。
「すまん……報告はあとで聞く」
歳三が言うと、
「土方先生、何があったのかは存じあげませんが、どうか冷静になってください」
優しげな、穏やかな声で安富が言うと、歳三も少し落ち着いてきたようだ。歳三がりょうを見ると、りょうは下を向いたまま呆然としている。歳三はふぅっと息を吐いた。
「どんな甘ぇ言葉で誘われたか知らねぇが、やつにとっちゃ、おめぇみてぇな小娘を騙すなんて、訳のねぇことなんだ。少しは目が醒めたか?この馬鹿者が!」
すると、りょうは歳三を睨んだ。
「中村さんは、僕を折浜まで送ってくれただけです!!」
りょうの目は、涙で潤んでいた。それは、自分の言葉を信じてくれない父親への、悔しさの表れだった。歳三は、自分の言ったことを少し後悔した。
「もういい……俺も口が過ぎた……鉄、銀、こいつを、おめぇたちの部屋まで連れていってくれ。こいつは新選組で預かることになったからな」
と言い、りょうから離れた。鉄之助たちは、
「はい。良蔵、行こう。また一緒にいられるなんて、俺たち嬉しいよ」
と言いながら、りょうを促した。りょうは静かに頷き、鉄之助たちと部屋を出ていった。
「才助、すまねぇ。みっともねえところ、見せちまったな……つい感情的になっちまってな」
歳三は呟いた。安富は、
「折浜を出港してから、ずっと心配されていたのですから、当然のことです……でも良蔵が元気そうで、私も安心しました。鉄や銀も、良蔵に会えて喜んでいます。
と言った。
「見つからなかったのか?」
「はい。やはり、松前藩の者に捕らえられたようです。船でどこかに送られたらしいのですが、そこから先はどうしてもわかりませんでした。鉄や銀もこれ以上は無理だと、納得したようです。可哀想ですが、仕方ありません」
安富は、少し悔しそうに呟いた。
「小姓たちには、以前から言っておいた。捕まっても何も隠すな、自分を一番大切にしろと。馬之丞は、案外したたかなやつだ。生きていることを願おう。ご苦労だったな、才助……」
歳三は、安富の肩に手を置いた。
「土方先生、良蔵のことですが……」
安富が問いかけると、歳三はふぅっと大きく息を吐いた。自分を落ち着けようとするとき、歳三はこんな仕草をするのだ。安富は、歳三が悔やんでいるのだとわかった。
「あいつが初めて俺の前に現れた頃は、まだガキだと思ってたが、いつまでもガキじゃねぇんだということが、よくわかった……男のことであいつと言い争うとは、思ってもみなかったぜ、俺らしくもねぇ……自分や近藤さんのことを棚に上げて、あんなことを言うなんてな。どうもあいつのこととなると、俺はおかしくなっちまうようだ」
と、歳三は自嘲するように呟いた。
「それは、先生が、お父上である証拠です。親が子の心配をするのは当たり前のことです……でも、今回のことは、信じてあげてもいいのではないかと……」
安富は歳三をなだめるように言った。歳三は黙ったままだった。京の新選組の頃、幹部たちに『休息所』という、愛人を置く家を与えたのは自分だ。そんな自分が、同じような立場の男を非難するとは滑稽だ……と、歳三は思っていた。
「中村半次郎が、あいつには手を出さなかった……というのは、たぶん本当だろうな。確かに、あいつの言うように、あいつを捕らえて、囮として使うのは可能だったはずだ。あいつを人質にされたら俺が動けねぇことは、伊東から聞いていただろうからな」
歳三は自虐的な笑みを浮かべた。
「薩摩の方針が変わったか、中村の気持ちに変化があったか……ということですね?」
安富が聞くと、
「薩摩の方針は変わらねえだろう。俺はあいつらに捕まったら、間違いなく死刑だ。新政府にとっちゃ、悪名高き新選組の土方だからな」
と、歳三は答えた。
「先生……」
「中村という男にどんな変化があったのか……本人に会ってみたくなったぜ」
歳三は、ニヤリ、と安富に笑ってみせた。それはもう、いつもの歳三の表情だった。
松前城内の、家臣の控えの間が、小姓たちの部屋として割り当てられていた。そこに、鉄之助、銀之助、りょうが座っていた。
「え?馬之丞が行方不明!?五郎さんが大ケガ!?本当に!?」
りょうは、ふたりの話に驚いた。五郎作は、蝦夷に着いてすぐの、
銀之助が言った。
「松前城の攻防戦のあと、残っている人質や、女性や子供がいないか、僕たちは見て回っていた。単独行動は避けるように、土方先生から言われていたんだけど、別れたほうが手っ取り早く済むからって、つい、三人が別れてしまって……」
「気がついたら、馬之丞が戻ってこなかったんだ」
と鉄之助が続けた。りょうが、
「土方先生、怒っただろうね?」
と聞くと、銀之助が答えた。
「最初はね。命令違反をしたのは僕たちだったから。でも、『自分達のしたことは自分達で責任をとれ』と、馬之丞を捜すのを許してくれた。安富先生まで護衛につけてくれたんだ。土方先生はずいぶん変わったと思う……あまり、怒鳴らなくなったよ」
それを聞いたりょうは、
(嘘だろう、さっきは殴ろうとしたぞ。変わってなんかいるもんか……鬼オヤジ……!)
と心の中で呟いた。
「お前は先生には、特別だからだよ。俺たち、先生の怒鳴る声を聞いて、お前があの部屋に来ているとわかったんだもの」
りょうのふくれっ面を見て、鉄之助がクスッと笑った。銀之助も頷いた。
「それで、馬之丞は……?」
りょうが聞くと、ふたりはかぶりを振った。
「僕らがわかったのは、松前の侍たちが、若い捕虜らしき男をつれて、船に乗った、ということだった。それ以上は何もわからなかった。それが馬之丞かどうかも、どこに行ったのかも……」
「土方先生はなんて?」
「何も言わない。最初に、自分達で納得したら戻ってこいと言われた。で、俺たちは戻ってきた。そうしたら、お前がいた」
鉄之助の言葉に、りょうが、
「……納得したってことなんだね」
と言うと、ふたりは頷いた。馬之丞の消息は、もう追わない。前を向いて進む、ということなのだ。歳三の信念は、小姓たちの中にしっかりと根をはっていた。
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