第17章 悲劇の8月23日② 西郷家の悲劇
りょうが西郷家に入る半時ほど前に、西郷家に入った男がいた。
そこは、壮絶な自刃の間であった。西郷家一族、21人が白装束をまとい、死に絶えていた。男は屈強な風貌であったが、さすがに、この光景には息を呑み、すぐには動くことができなかった。
逆さに置かれた屏風の奥には、この家の女主人とその家族であろうか、小さな子供たちが胸を突かれて死んでいた。ふと、一人の女が手を動かした。男はそばに寄り、その女に聞いた。
「生きちょるんか?ないをしてほしかど?」
女の目はすでに見えていないようだったが、小さな声は聞き取れた。女は懐剣を持ったまま言った。
「お味方……ならば……介錯……ください……ませ……」
男は言葉に詰まった。一瞬、胸が締め付けられるようだった。こんなになってまで、敵の手にはかかりたくない、という武家の女の誇り高さを見せつけられたのだ。女はまだ若い、少女のようだった。男は、
「味方だ。あなたの願い、聞き届ける」
と、聞き覚えた関東の言葉を使った。少女は、
「あ……り……がと……」
と言った。男は少女の持っていた懐剣を取り、その胸を刺した。少女は間もなく息絶えた。
まさに、その時、
「たえさん、どこだ!?生きているなら答えてくれ!」
と声がして、部屋に入ってきたのが、りょうであった。りょうは、その惨状に愕然としていた。つい先日訪れた時は、子供たちの楽しそうな笑い声が聞こえていた、明るい部屋であった。それが、今は物言わぬ
しかし、たえの母や妹たちではなかった。奥の屏風のところに人影を感じたりょうは、誰かが生きていると思い、
「たえさん!!」
と屏風を開いた。そのとたん、男が振り向いた。男とりょうの目があった。りょうは思わず、
(しまった!!)
と思い、身構えた。まさか、すでにこの家に新政府軍が入り込んでいるとは思わなかったのだ。
男の方も、かなり驚いたようだった。しかし、男の方はりょうを覚えていた。
「わいは、江戸で会うた小僧じゃな?確か、玉置、てったか。会津まで来ちょっとはな……」
その言葉使いでりょうの記憶がよみがえった。平五郎宅の離れで沖田を看病していたときにやって来た、新政府軍の、旧幕軍残党狩り……!薩摩の西郷隆盛付きの小隊長と言っていた……
「中村……半次郎……!」
りょうは呟いた。それを聞いた中村は、
「ほう、覚えてくれちょっとは、光栄じゃな。『土方ん泣き所』……」
と言った。
りょうは、中村が抱えている女がたえであることと、中村がたえの懐剣を掴んでいることに気がついて、
「たえさん!!……お前が、たえさんを殺したのか!?」
と、中村を睨み、刀に手をかけた。中村は、そんなりょうの動きにも、眉ひとつ動かすことなく、答えた。
「ふん、こんおなごは、わいん知り合いか。けしみきれんで苦しんどったで、介錯してやったど。母ごも幼子ん命を絶ったあと、自害したようじゃな」
りょうはびくっとして、中村の示した方を見た。新しい布団に、3人の子が寝かされている。一番小さな遺体には、赤い晴れ着が掛けられていた。五女の
「すえ……!」
りょうは子供たちの遺体の側に寄った。季と並んでいたのは四女の
中村が、たえを横たえた。そのとき、たえの懐から落ちたものがあった。中村がそれを拾った。
「なんじゃ、守り袋か。若かおなごが好みそうなもんじゃ」
すると、りょうは叫んだ。
「汚い手でさわるな!!」
「なんじゃと!?」
中村はりょうを見た。りょうは怒りに燃えた目で、中村を見ていた。
「それは、たえさんが大切な人のために作ったものだ。お前のような侵略者が触れていいものではない!」
すると、始めて中村の表情が変わった。
「我らを侵略者ちゆか……笑わすっな、徳川ん飼い犬が!」
侵略者、と言われて、中村も少し頭に血が上った。りょうは、
(僕を新選組と知っているのか?)
と思ったが、怒りに任せているので、言葉が止まらない。
「お前たちの方からしむけた戦争じゃないか!徳川も会津も恭順していた!何もしていないのに、勝手に踏み込んできて荒らすものを、侵略者と言って何が悪い!」
「
言い返して中村は、はっとした。こんな小僧になぜ本気で受け答えしてしまうのか、と自分が信じられなかった。一方、りょうは勢いで、つい余計なことを言い返してしまった。
「ニセモノの錦の御旗のくせに!」
その途端に、中村は拳でりょうを殴った。りょうは床にひっくり返った。中村は、りょうの襟首をつかんで言った。
「言葉に気を付け!聞いちょった通りんびんてんよか小僧じゃな。あんまりびんてがまわっと、そん口を塞がんなならんくなっど!」
(聞いた通り?なんのことだ?)
りょうは中村の言った言葉が気になったが、脅し文句に黙るような性格ではない。
「ふん、やっぱり噂どおりか。ニセモノの
りょうは、中村の手をふりほどき、刀に手をかけ、抜いた。
「ガキが刀なんぞ振り回すんじゃなか!怪我をすっだけじゃ」
中村はとりあわない。ふっと唇の端で笑った。
(良うできた構えだ。一応ん手ほどきは受けちょっようじゃな)
りょうは、その顔を見て、自分がバカにされているのだと思い、
「うるさい!僕と勝負しろ!」
と叫んだが、
「おいはガキと立ち合う気はなか。おいに刀を抜かせっな。おいが抜けば、わいはけしんど」
という中村の言葉には凄みがあった。さすがに、りょうもその時は背筋に冷たいものが走るのを感じた。だが、もう引くことはできなかった。
その時、遠くで銃声が聞こえ、大勢の兵士の来るのがわかった。最初に城下に進軍してきた、土佐兵の部隊のようだ。りょうは気が高ぶっているので気付いていない。
(こんままでは、土佐ん兵士に捕まって、こいつは殺されてしまうじゃろう。なんとかせんな……)
中村は、自分でも気づかぬうちに、りょうを守ろうとしていた。なぜそうしてしまうのか、このときの中村に考えている余裕はなかった。目の前に、刀を構えたりょうが立っていたからだ。
りょうが中村に斬りかかった。中村は簡単にりょうの刀をかわした。中村は
「せからしか小僧じゃな。おいん仕事ん邪魔をすっなちゆとに!」
中村は、りょうの刀を自分の鞘で受けた。刀を抜きたくなかったのだ。しかし、りょうは怯まずに向かってきた。
「こん、無鉄砲が!!」
りょうの突きをかわした半次郎は、りょうの腕を掴み捻りあげると、みぞおちにひと突きした。りょうは倒れて、意識を失った。
「まったく、とんでんなか無鉄砲な娘や!おなごじゃと知っちょらんじゃったら、斬り捨つっところだ!!」
中村は思わず怒鳴った。
中村や薩摩藩の一部は、かつて御陵衛士らと交流があった。その頃、高台寺には、中村も度々訪れていた。
「土方歳三ん泣き所じゃと?そげん
中村が尋ねると、伊東甲子太郎が、
「土方の小姓として入り込んできた小僧です。土方に物怖じせず言い返すので、土方も調子を狂わされているのですよ」
と笑って言っていた。
「頭が良くて、
「どげんしたど」
中村は、伊東があまり好きではなかった。弁舌巧みなのがかえって信頼できなかったからだ。
「男にしては、
伊東は、りょうが女ではないかと疑っていたのだった。
「ないちゅう名なんじゃ?」
中村は、興味が出て、その小姓の名を聞くと、伊東は答えた。
「私の死んだ
以前、残党狩りで出会ったときに、中村はりょうが女であることを確信した。だが、それは誰にも言っていない。中村は、無意識に持っていた、たえの守り袋を、りょうの懐に押し込んだ。
(大事なもんなら、ちゃんと持っちょけ!こん、命知らずが!)
中村は、りょうを仏間の棚下にある物入れに隠した。そのとき、りょうの頬が赤く腫れているのに気づいた。
(少しばかり強ううったっりすぎたか……)
この男にしては、珍しく反省の気持ちが出た。中村は、そんな己を、自嘲した。
(敵方ん人間を心配すっなど……こんおいもまだ、
中村がりょうを物入れの中に隠し、扉を閉めたとき、どかどかと靴音がして、土佐の兵士たちが一斉に部屋に入り込んできた。先頭にいた、
「これは、薩摩の中村半次郎どのじゃないか。薩摩軍はまだ後方におるはずや。どいて、こがなところにおるのやか?」
中村はふっと笑って言った。
「
すると、赤熊の指揮官は反論した。
「わ、我らは、総督府の決定に従い、屋敷ん中の確認のために発砲しちゅーのだ!」
それに対し、中村は冷ややかだった。
「銃弾じゃっち、無尽蔵にあるわけじゃなか。
中村の言葉に、土佐の兵士の一人が言った。
「我らも斥候を放ったんや。やけんど
「なんじゃと?
中村は、それがりょうを示しているのだとわかった。
(あいつ、土佐ん斥候を斬ったんか!?腕もそれなりに出来っちゅうわけか……)
中村は、ニヤリとした。それを見た土佐の指揮官が、
「中村さん、
と聞いたが、中村は、
「おいはないも知らん。そげん医者なんか見ちょらん」
と、とぼけた。
その時、中村は、土佐兵の一人が、死んだ千恵の体を足でころがしているのを見た。
「何も死ぬることはないのになあ。これだけの武家の女やったら、我らに助けを請えば、可愛がっちやったのに。どれ、この赤い着物でももろうていくか」
その兵士が、すえの遺体から晴れ着を取ろうとした瞬間、中村の体が動いた。それは一瞬の出来事であった。中村が刀を鞘に納めたあと、その兵士は血しぶきをあげて倒れた。他の土佐兵は皆、中村の居合に声も出なかった。赤熊の指揮官が、声を震わせて言った。
「な、中村さん。何をするがよ!?」
中村は、指揮官と土佐兵を見据えて言った。
「
中村の
中村は、たえとたきの間に、紙が落ちているのに気がついて拾った。筆跡が半分ずつ違っていた。
「姉妹ん辞世の句か……」
血にまみれていたが、読むことはできた。
(※)『手を取りて 共に行きなば 迷わじよ いざ辿らまし 死出の山道』
(あわれじゃな……西方浄土とやらで、姉妹仲良う、幸せに暮らせや……)
中村は、たえとたきの手をしっかりと重ねてやった。
(※筆者注:Wikipediaより)
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