第16章 悲劇の8月23日① 混乱する城下
その日の朝、若松城下に早鐘が鳴り響いていた。敵が近いことを知らせる鐘であった。多くの人々が、籠城の知らせを聞き、城に入っていった。松本良順と南部精一は、昨日から登城したままであった。戻るのか戻らないのか、それすらわからない。りょうは、日新館に戻ってきた鈴木医師と古川医師と共に、患者の治療にあたっていた。
この2ヶ月、日新館でりょうは、古川医師や良順から学べるだけの医療技術を学んだ。医師たちも安心して、りょうに簡単な手術などを任せられるようになっていた。朝の診察が済んだ頃、一人の医師が来た。身なりの立派な若者であった。
「
鈴木医師が聞くと、その若い医師は頷いた。鈴木医師の長男で、藩の奥医師を務める、金二郎であった。
「はい。
それを聞いた鈴木医師の顔色が変わった。しかし、すぐに冷静な表情に戻り、
「そうか」
と答えた。驚いたのはりょうであった。
「どうしてですか?白虎隊は予備部隊で、滝沢本陣で
すると、金二郎が言った。
「街道を守備していた本隊が戻るよりも早く、敵がやって来てしまったんだよ。予備部隊の戦力など、たかが知れている。敵が城下に入るのは時間の問題だ。容保様は、動ける男女は皆、籠城に協力せよ、と御触れを出された。それで皆、登城しているんだ」
戸ノ口が破られたということか?儀三郎たちは戻れるのか?天寧寺の新選組はどうしているのか……?と、りょうは気が気でない。それに比べ、息子が出撃したことを知っても冷静でいられる鈴木医師を見て、りょうは不思議でならなかった。
「鈴木先生は、落ち着いていらっしゃるのですね。源吉さんが戦場にでられたというのに」
りょうは鈴木医師に問いかけた。すると、鈴木医師は、少し目を落とし、
「私は、こうなることを、ある程度覚悟していたからね」
と答えた。
「敵が、会津のご城下に攻め込んでくることを?でも、それは、白虎隊が……」
守りきれず負けたことになる、と言いかけて、りょうは口をつぐんだ。鈴木医師は、りょうの言いたいことがわかったのか、
「毎日、多くの藩士が
と話した。りょうは、そう言って黙々と治療を続ける鈴木医師に、本当の武士の強さを見た思いがした。
その間にも、日新館の外を歩く人の数はどんどん増えていく。皆、籠城のために城に向かっているのだ。その足音を聞きながら、
「鈴木先生、お城には、どのくらいの人数が入れるのですか?城に入らない選択をする方々もいるのですか?」
りょうは鈴木医師に聞いた。鈴木医師は、りょうを見て答えた。
「例えば、武芸の達者なきみのようなおなごなら十分働くことができる。しかし、老人や女性、幼い子供などは戦闘の邪魔になると考える藩士も、多くいるだろう。会津のおなごは誇り高い。殿様の足手まといになることは、決して望まないのだ……!」
「そんな……!」
城下が砲撃されたら、自宅に残された女や子供はどうなるのだ……!いくら武士の家族だって……と、憤りかけたとき、りょうは、たえや、しんがまだ日新館に来ていないことに気がついた。
昨日、たえは妹たちが動揺しているから、と白虎隊出陣後、家にとどまったのだ。しんにも、幼い弟や妹がいた。しんも
だが、しんの家は、母上とおじいさま、おばあさまだけだと聞いていた。しんと
「鈴木先生、僕、しんの家に行って、しんと
言うが早いか、りょうは飛び出した。後ろで鈴木医師が叫んでいたが、気がつかなかった。
しんの中野家は、日新館からさほど遠くない、
中野家は静かだった。子供の泣き声などしていなかった。りょうは勝手口から声をかけた。
「ごめんください。日新館の玉置です。しんさんはおいでですか?」
いつもなら、はいはい、と、優しい顔をした、しんの母が出てくる。日新館から近いこともあり、夏の盛りには、よく冷やした瓜をごちそうしてくれた。しかし、今日は誰の返事もない。ふと、りょうは気づいた。ある意味、嗅ぎ慣れたにおいがしたのだ。
(血のにおいだ……!!)
りょうは嫌な予感がして、庭に回り、木戸を開けた。においは家の中からだろうか?りょうは縁側からもう一度声をかけた。
「しんさん、しんさん、いたら返事をして!」
やはり答えはない。りょうは思いきって、障子を開けた。とたんに、目に飛び込んできたのは、白装束の人々が横たわっている姿だった。
「うっ!!」
りょうは言葉が出なかった。寝かせられて、顔に白い布を掛けられている子供たち。その中の一人は、姿形から、しんであることに疑いはなかった。その側には、武家の妻女らしき女と老女の自害した姿。よく見ると、しんの母の装束は、返り血で汚れていた。子供たちを一人一人、刺したのだろうか……?そのとき、鈴木医師の言葉がりょうの頭に浮かんだ。
『会津のおなごは、殿様の足手まといになることは望まないのだ』
しんの母は、小さな子供たちをつれて城に逃げれば、皆の迷惑になると考えたのか……!自分がもっと早く来ていれば、しんや
「しん!!」
りょうは、しんの体を抱き上げた。しんは眠っているようだった。りょうは、初めて会ったときの、しんのはにかんだ笑顔を思い出していた。
りょうは悔しかった。悔しさはそのまま、薩長への憎しみになった。もうすでにいない人々の顔がちらついた。鳥羽伏見で戦死した井上に山崎、斬首という屈辱的な死に方をした近藤局長、親しい人にも見届けてもらうことなく逝った沖田……!
(すべて薩長の侵略者どものせいだ!!)
りょうはしんを横たえ、顔に布を掛けた。するとそこに、新政府軍の斥候らしき兵士が二人来た。
「われ、そがなところで何をしゆー!?会津兵か?」
土佐兵だった。彼らは刀を抜いた。
「抵抗すると、容赦はせんぞ!」
りょうは彼らを睨んだ。りょうの怒りは頂点に達していた。相手が刀を抜いたのを確認すると、りょうもまた刀を抜いた。
「お前らも同じだ!侵略者め!しんに触れることは許さん!会津を土足で踏みにじることなど、絶対に許さない!!」
りょうの殺気に気圧された土佐兵たちは、
「こ、こな小僧!」
と無防備に斬りかかった。
日新館では、松本良順が戻ってきて、自分はこれから庄内に行く、ということを説明していた。南部精一は会津出身でないことを理由に、容保に会津を出るように説得されたらしい。日新館は、古川医師と鈴木医師にすべて任せる、と決まったことを告げたとき、良順は、その中にりょうがいないことに気づいた。鈴木医師から、りょうが、中野しんを心配して、飛び出して行ってしまったことを聞くと、
「何をやっておるんじゃ、あの無鉄砲は!?自分だとて、これから会津を出なければならんというのに!……
と、大きな声を出した。歳三が、後ろから声をかけた。
「先生、早くしてくれ、薩長が乗り込んでくるぜ!」
良順は言った。
「土方、良蔵が中野家に向かったまま戻らんのだそうだ。なんとかならぬかの」
すると、歳三は、
「放っておけ。時間までに来なければ、置いていくだけだ!行くぞ、先生!」
と答えた。それを聞いた良順は呆れた。
「何と……子が子なら、親も親じゃわい!心配くらいしたらどうだ!?」
すると、歳三は言った。
「あいつも新選組のはしくれだ。自分の始末くらい、自分でつけるだろう。鈴木先生、俺たちは塩川まで行く。あのバカが来たらそう言ってくれ」
歳三は、そう言って日新館を出た。良順は、もう何も言わなかった。本当は娘が心配でしかたないくせに、それを決して表には出さない歳三に、
(本当に、不器用な男じゃのう……)
と思う良順だった。
りょうは悔しさを噛みしめて、中野家をあとにした。たえが心配だった。たえの母も、小さな子供を抱えている。たえは責任感の強い女性だ。母と妹たちを残して、自分が城に入ることは考えまい。たえと上の妹たちだけでも日新館で預かることができれば、ご家老の奥さまが城に入れないはずはあるまい……りょうはそう思い、西郷家を目指した。
土佐の兵達は、先にやった斥候が戻らないので不審に思い、中野家に近づいたとき、中から出てくる、白衣の少年を見とがめた。
「医者の格好をしちゅーが、子供じゃな。往診か何かやろうか?」
中野家の中を探索した兵達が見たのは、斬られて死んでいるふたりの斥候だった。ふたりとも、喉元を剣で一突きにされていた。
「この傷は!……いや、そんな馬鹿な!」
と声を出したのは、元御陵衛士の男だった。一度は新選組にも席をおいた男だ。
「どいた?」
と、土佐兵に問われ、血の気の引いた顔で言った。
「これは……沖田総司の技だ……やつは生きていた……?そんなはずは……!」
その頃、斎藤
(あれは良蔵!あんなところでうろうろしていては危険だ!新政府軍が各屋敷を調べ回っているのに……!)
斎藤はりょうの後を追おうとしたが、土佐兵士の一団が近づくのが見えた。敵から見えないように、斎藤は西郷家の方に走った。
西郷家は、
中野家と同じように、ここも静かだった。そして、全ての来訪を拒むかのように、雨戸が閉じられていた。りょうは裏の玄関にまわった。以前に西郷家を訪れたとき入ったところだ。思ったとおり、鍵は開いていた。玄関から右に行くと、表玄関に通じる、執務の間や御成りの間があるが、そちらに人影はなさそうだった。頼母や家臣たちは登城しているのだろう。
りょうは、以前通された、玄関左側の棟に入った。
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