第4章 会津日新館にて
日新館は若松城の西側にあり、広い敷地を持っていた。水練場(プール)や、天文台も作られており、藩校として、かなりの規模であった。戊辰戦争当時、診療所、外科手術室、病室を兼ね備えた『病院』が、ここに作られていた。しかし、何度も行われた白河の戦いで、日新館には怪我人が溢れていた。りょうは、表門から呼んでも無理だと思い、西側の通用門に向かった。
「あの~、すいません!」
通用門で叫んだが、誰も気づいてくれない。門をくぐり、奥の講堂の中を覗くと、数人の医師が、何人もの怪我人を診ていた。
「松本良順先生はいらっしゃいますか~!?」
もう一度大きな声で呼び掛けると、少女がこちらを振り向き、駆け寄ってきた。
「あの……」
りょうが言いかけるよりも早く、少女は言った。
「あなたでもいいわ、手伝ってください!早く!手が足りないのです!」
りょうは少女に引っ張られて講堂の中に入った。少女らしい女の子が、兵士の足の傷を診ていた。うまく止血ができていない。りょうは思わず叫んだ。
「どいて!!そんな止血ではダメだ!」
兵士を診ていたその少女はびっくりして手を緩めた。とたんに傷口から血が溢れた。
「
りょうの声に反応して、りょうを引っ張ってきた少女が晒しと縄を持ってきた。りょうはてきぱきと大腿部に晒しと縄を巻き、ぎゅっと縛った。
「い、痛てぇ~!」
兵士が叫んだ。するとりょうは、
「痛いのは生きてる証拠だよ!少し我慢しなよ、男だろ!」
と言った。それを聞いた少女は、
「良順先生みたい……」
と呟いた。りょうは、少女に言った。
「今の時間を書いておいて。四半時たったら一度縄を緩めて。血が止まらなかったらまた縛ってください」
少女は、りょうの手際の良さにあっけにとられていたが、
「は、はい」
と言われた通りに時間を書き留めた。
「こっちの方もお願いします!」
声の方に行くと、ぐったりした兵士が横になっていた。見ると、腕に破片が刺さっている。
「これは、傷を開いて破片を取り出さなければ!手術のできるお医者はいないのですか?」
りょうが聞くと、少し年長の女が来て言った。
「お弟子の方がいらっしゃいますが、今、他の怪我人を診ていて、手が離せません。良順先生は今日は非番で、他の先生が半時もすると戻られるはずです。今、お城に呼ばれていて……」
「そんなんじゃ、間に合わないですよ!」
りょうが怒るように言った。
「じゃあ、僕がやります。どなたかお手伝いお願いします」
すると医師らしい男が来た。
「君は手術が出来るのか?私は藩の内科医で鈴木
「ありがとうございます。僕はまだ見習いですが、このくらいの傷なら、鳥羽伏見で見慣れているので、できると思います」
りょうは言った。大坂で、戻ってきた新選組の隊士や幕府の兵士の傷には、砲弾の破片が入った傷が多かった。良順の傍らで何人も診た。手術の手伝いもした。
(大丈夫、できる)
と、りょうは自分に言い聞かせた。鈴木という医師は、子供のように見える行商の格好をした者が、鳥羽伏見を経験していると聞いて驚いた。
「これ、お借りします」
と、そばにあった医療器具の箱を取った。
「あ、それは、良順先生の……」
と少女が言ったが、もうすでに、りょうは器具を消毒しはじめていた。
やがて、他の治療を終えた医師たちがやって来た。彼らは、りょうの処置を見て、
「ほう、手際が良いね」
と感心していた。砲弾の破片は除かれ、消毒と傷の縫合を終えると、拍手が起こった。
「すごい!上手なのね、傷を縫うの……」
少女が言った。
「刀傷の治療が多かったので、縫合は一番始めに教えてもらったんです」
新選組の治療で、山崎
りょうは、そこにいた医師たちに、
「悪いが、もう少し手伝ってくれないか?あちらの軽傷の方々の手当てを頼むよ」
と言われ、手伝った。包帯を巻きながら、
「新選組の怪我人は、ここには来ないのですか?」
と聞いた。会津兵士は、
「ここは、会津さ兵でいっぺぇだがらな……
と答えた。
「福良……ってどこに在るんですか?」
「猪苗代湖の南だ。歩くにはちっと遠いんでねぇが」
「あの……土方歳三も、そこにいるんでしょうか?」
「……わがんね」
その時、先程の女が、りょうと兵士の会話を聞きつけ、りょうの方に静かに近寄ってきた。別の兵士が、
「土方参謀は、宇都宮で怪我をされてから、消息がわからないよ。白河の戦いにも参戦されていない」
と言ったので、りょうはつい、声を大きくしてしまった。
「では、土方歳三は、どこに……!」
その時だ。後ろから首もとに短剣が差し出され、りょうは、思わず言葉を飲み込んだ。すると、女が後ろに立っていた。
「あなたは誰!?なぜ土方さまのことを探っているの!?返答によっては許しません!」
女は武芸のたしなみもあるらしく、短剣はりょうの頸動脈を確実に狙っていた。りょうにとって、この形勢を逆転することは
「剣をしまってください。僕は怪しいものではありません。新選組土方歳三の小姓、玉置良蔵というものです」
「証拠は!?」
女はまだ剣を引かない。
「証拠は……」
薬箱の中身を見せれば、納得してくれるだろうが、隊旗や沖田の遺髪を広げるのは嫌だった。袖章は、その中に入っていた。
「ありません。あなたが信じてくださるほかには……」
りょうは振り向き、女の顔をまっすぐに見つめた。相変わらずのりょうの癖である。相手を信頼しているときに出てしまう。女は短剣を引いた。鈴木医師がやって来て言った。
「信じていいのではないですか?
すると、時尾、と呼ばれた女はうなずいた。
「わかりました、あなたを信じます。あなたは兵士の方々を助けてくださった。そのお心に、嘘はないでしょう。私は、会津藩大目付、高木
二人の少女は、りょうに会釈をした。たえが、りょうのそばに近寄り耳打ちした。
「土方様は、
それを聞いたとたんに、りょうは、
「わかりました。行ってみます。ありがとうございました!」
と言って走り出した。時尾はあわてて、
「ちょっと!待ちなさい、玉置さん!……たえさん、ダメよ、追いかけて!」
たえも驚いて追いかけた。りょうは足が早い。背中に薬箱を背負っていなければ、たえには追い付けなかったであろう。たえは外堀のそばで、りょうを捕まえた。
「玉置さん!ダメよ、勝手に行っては!」
「どうしてですか!?」
りょうはたえに掴まれた手を振りほどく。たえは、息を落ち着かせながら小声で言った。
「土方様は、新政府軍の追手の目を逃れて療養していらっしゃいます。勝手に行っても会わせてもらえません!落ち着いてください。私が一緒に行きますから……」
あっ、とりょうは気がついた。だから兵士に聞いてもわからなかったのだ。
(……当たり前だ、どこに薩長の間者が潜んでいるかわからない。父さんの命を奪いにくるかもしれないんだ……)
「すいません。僕……状況をわかってなくて……」
りょうは素直に謝った。たえは笑って、
「玉置さんて、あわてんぼうなのね」
と言ったので、りょうも、
「いつも土方先生に叱られるんです。無鉄砲、って」
と言って笑った。
りょうとたえは並んで、
「あれは、たえさんじゃないか?一緒にいる男は誰だ?ずいぶん楽しそうだな……これは、
源吉は若松城に急いだ。白虎隊士の訓練が、三の丸で行われる予定だったからだ。儀三郎こと、篠田儀三郎は、士中二番隊の
「源吉!遅いぞ!」
儀三郎が走ってきた源吉を見て言った。源吉は、はあはあと息を切らせながら言った。
「儀三郎、大変だ。西郷さまのたえさんが、見知らぬ行商の男と、郭の外に出ていった!」
「何だって!?」
儀三郎は動揺した。その様子を見ていた、同じ二番隊で同い年の
「儀三郎、嚮導役は俺たちがやっておくから、行ってこい。変なやつだったらやっつけてしまえよ!」
二人に言われて、儀三郎は、
「すまん、頼む」
と頭を下げた。
「七日町方向に行ったぞ」
源吉の声に頷き走っていく儀三郎。あとの隊士たちは、ニヤニヤしながら見送った。
「あの二人、お互い好きあってるくせに、強情だからな」
白虎士中二番隊は、皆、仲が良い。会津の子供たちの『什の掟』では、女性と外で話してはいけない、という決まりがあったらしいが、思春期の少年たちには、あまり関係ないようである。
清水屋旅館は、木造三階建てで、当時としては結構大きな宿であった。吉田松陰も、会津を訪れた時にここに泊まっていた。
「土方様はずっと高熱が続いて、起き上がれなかったのです。その間、松本良順先生が通われて……」
たえは話したが、歳三が心配なりょうは、話も上の空だ。
たえが、待っていて下さい、と旅館の中に消えて、四半時が過ぎた。歳三の具合が悪いのでは、もしも間に合わなかったら……とりょうは気が気でない。
やがて、たえが出てきた。
「玉置さん。良く聞いてください。土方様のお部屋は二階の奥です。土方様はもう……」
と言いかけたとき、たえの後ろから僧侶が二人出てきたので、りょうは頭が真っ白になった。
(父さんが死んだ!)
思いっきり勘違いをしたりょうは、たえの話も聞かずに旅館の中に飛び込んでいった。
「玉置さん!?……もう、ホントに無鉄砲なせっかちさんだこと……もう起き上がられてますって言おうとしたのに……」
たえはクスッと笑った。その時である。
「たえさん!!大丈夫か!?何もされていないか!?」
血相を変えて走ってきたのは、儀三郎であった。
たえはドキッとして、顔を赤らめた。
「儀三郎さん……ど、どうしたのですか?そんなに慌てて……」
たえは少し恥ずかしかった。二人きりで会うことなど、なかったからである。
「たえさんが、行商の男に連れられて
「拐かし?」
たえはクスクスと笑った。儀三郎はあっけにとられた。
「道案内をしてきただけです。心配されることではありません」
たえが、あまりにあっけらかんとしているので、儀三郎は頭に血が上ってしまった。
「あ、あなたは、国家老のお嬢様なのですよ!見知らぬ男と郭外に出るなど、軽々しいこととは思わないのですか!?」
いきなり叱られて、たえも黙っていない。
「父は父、私は私です!!なんであなたにそんなこと言われなければならないのですか!」
自分を迎えに来てくれたと思い、久しぶりに話ができると思ったのを裏切られて、たえは悔しかった。
「俺はあなたのことを心配して言っているのです。何かあったら、また御父上のお立場が……」
父の立場、と言われて、たえは我慢ができなくなった。
「心配など、してくださらなくて結構ですわ!!そんなことを言う儀三郎さんなんて、嫌いです!!」
たえはそのまま、元来た道をスタスタと戻っていった。儀三郎は取り残されてしまったが、たえの後ろ姿に向かって叫んだ。
「なら、もうお好きになさるがいい!何があっても、俺は知りません!」
たえは、涙を流しながら思った。
(儀三郎さんの馬鹿!私の気持ちなんかわかってくれないんだわ!)
儀三郎もまた、思っていた。
(俺がどんなに大切に思っているか……たえさんにはわからないんだ…!)
その日の白虎隊の訓練は、相当厳しく行われたようだ。皆、いつもより数倍怖い儀三郎に、悲鳴をあげていた。
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