第5章 りょう、爆発?

 『清水屋しみずや』二階の奥の部屋の前で、りょうは動けずにいた。どういう顔をして入ろう……父の死に顔は安らかだろうか……後でみんなにどう言おう……そんなことを思っていたとき、聞き覚えのある松本良順の声がした。

「良蔵、何しとるんじゃ、入ったらよかろう」

りょうは覚悟を決めて、襖を開けた。

そこにいたのは、亡くなった歳三……ではなく、布団の上に起き上がって、足を投げ出して座っている、元気そうな歳三の姿だった。りょうは唖然としていた。

「土方……先生……ですよね?」

聞かれて歳三は吹き出した。

「おめぇ、俺の顔忘れちまったのか?まさか、死んでると思ってたんじゃあるめぇな?」

りょうは言い当てられてドキッとした。顔が赤くなるのがわかった。

「元気……なんですね……」

りょうは恐る恐る歳三の前に座った。確かに歳三だった。さっきの坊さんたちは、関係なかったのか……張りつめていたりょうの力が抜けた。

「おう。おめぇも元気そうじゃねえか。会津まで良く来られたな。その格好、どっから見ても薬屋だなぁ」

呑気に言う歳三に、りょうはだんだん腹が立ってきた。今までの自分の心配は、なんだったのだ……!?

「怪我、酷かったんじゃないんですか?」

りょうは聞いた。その時、何か言おうとした良順を歳三が制したことには気がつかなかった。

「足を撃たれちまったんでな、動けねぇから戸板で運ばれたんで、話が大きく伝わっちまったようだが、たいしたことはねぇよ。いい温泉もあるしな」

それを聞いてりょうは、

(お、温泉だって!?温泉にのんびり浸かってたって……?僕が心配で眠れなかったときに、温泉……?)

と、歳三を見つめた。

「……さぞやのんびり出来たんでしょうね……」

りょうが小さな声でぼそっと言ったので、歳三は聞き取れなかったらしく、

「あ?なんだ?」

と聞き返した。そのとたん、りょうがブチ切れた。


 「土方歳三の、!!!!」


 歳三も良順も、目を丸くして、りょうを見た。りょうは顔を真っ赤にしている。

「いつもいつも、人のこと無鉄砲、無鉄砲って言いやがって、自分の方がよっぽど無鉄砲じゃないか!!」

「良蔵……?」

歳三が元気でほっとした気持ちと、自分の心配が空回りしていたことに対する情けなさから、今まで押さえていた感情が爆発してしまったりょうであった。

「俺には弾はあたらねぇなんて豪語したって、当たるときは当たるんだ!足でなかったらどうすんだよ!?死んでたじゃないか!!!今市であなたのことを聞いたときの僕の気持ち、想像してみてよ!!近藤先生も死んで、総兄そうにぃも……!その上あなたまでなんて!……僕がここまでどんな気持ちでいたか、わかりますか!?心配で心配で……苦しくて……間に合わなかったらどうしようかって……そればかり考えてたんだ…!!それなのに、大したことないって?温泉に浸かってたって?……冗談じゃない!!どうしてもっと、自分を大切にしてくれないんだ!!先生だって命は一つしかないんだぞ!!」

おおよそ、『新選組の副長』に対する言葉ではなかった。良順は、ハラハラしながらりょうと歳三を見ていた。

りょうは、背中に背負っていた荷物から、隊旗にくるんだ沖田の遺髪と、大和守安定やまとのかみやすさだの刀を出して歳三の前に置いた。

「見て!!総兄ぃだよ!!僕は……僕は一人で見送ったんだ……どんどん冷たくなっていく総兄ぃを……」

それを見た歳三は言葉が出なかった。春に別れた沖田の顔が浮かんだ。最後まで笑顔で自分を見送った弟分……その遺髪に手を伸ばし、触れた。

(……総司……!)

「総兄ぃは、最期のときまで、この隊旗を離さなかったんだ!」

りょうが広げた隊旗は、歳三が沖田に渡したものだ。所々に黒ずんだ染みのようなものが見える。沖田の血であった。かなり、喀血もしていたのだろう……

「どんなに総兄ぃがあなたに付いてきたかったか僕は知ってる!だから来たんだ!総兄ぃの代わりに!新選組の一人として!あなたに会うために!あなたと共に戦うために!……あなたがいなくなったら……僕は……!」

りょうはそれ以上、言葉を続けられなかった。拳で畳を何度も叩いた。涙があとからあとから溢れて、畳を濡らした。

「良蔵、もう、いい加減にせんか!」

良順も見かねて、声を出した。


 「わかった。良蔵、俺が悪かった。心配させたな……」

歳三の声にりょうは顔を上げた。そこには、少しやつれた父の顔があった。つい先日まで熱を出していたと、たえが言っていたのを思い出した。

「総司を連れてきてくれて、ありがとな……よく頑張ってくれた……辛かったよな、総司を亡くして……おめぇも……」

もう限界だった。りょうは歳三の首に抱きついた。

「先生~!土方先生~!」

りょうは声をあげて泣いた。それは、沖田が亡くなってから初めてのことだった。りょうにとっての沖田の存在がどれほどのものかわかるのは、歳三だけであった。りょうは、父が生きていることが、これほど嬉しいと思ったことはなかったのだ。


 歳三は、泣きじゃくるりょうの背中を、ただ黙って、ぽん、ぽん、と叩いていた。良順はそんな二人を見て、そっと部屋を出た。

「全く……親に心配かける子どもは多いが、あれだけ我が子に心配かける親も、そうはおらんじゃろうの……これで土方も、少しは自分を大切にしてくれるといいんじゃが……」

良順はそう呟きながら、日新館に戻っていった。


 「良蔵、おめぇ、湯をもらってこい。ひでぇ顔してるぞ」

歳三は言った。確かに、りょうの顔は涙と埃でぐしゃぐしゃだった。風呂に入って出てきたりょうを見て、宿の仲居が驚いた。

「あんれ、わらしかと思ってたら、おなんこかよ………めんこいなし」

仲居は笑いながら、夕食の膳を運んだ。浴衣を着ると、体型で女の子だとわかるらしい。

「旦那さんの、妹だべか?遠くから来んさったかし?」

りょうを歳三の妹だと思ったらしい。歳三は若く見えるのでそれも仕方がない。りょうはとりあえず、

「はい」

と返事をしておいた。


 仲居がいなくなってから、歳三は、

「俺は商談で会津に来て、怪我をしたことになってんだ。毎日、武士や坊主や、いろんな人間がここに来るんでな」

と言った。行商の格好をしたりょうが来ても、不思議に思われなかったのは当然だった。

「夕方来ていたのは、屯所になってる天寧寺てんねいじの坊主どもだ。色々状況を教えてくれている」

「そうなんですか……」

だから、たえさんと一緒に出てきたのか……落ち着いてきて、歳三をよく見ると、先程と同じ姿勢で座っており、そばに杖があった。

「先生、足……本当は、どうなんですか?まだ良くなっていないんでしょう?……さっきはすいませんでした。僕、先生に酷いことを言ったかも……」

なんとなく、歳三にかなりの暴言を吐いたことは覚えているのだが、興奮していたせいか、何を言ったのか、詳しく覚えていないりょうだった。歳三はむすっとして、

「『土方歳三のバカ野郎』、と言ったぞ」

と答えると、りょうはびくっとした。

「それから、俺の方が、自分よりよっぽど無鉄砲だろう、とも言った」

りょうは、背中が寒くなるのを感じた。

「『弾は当たらねぇなんて言ったって、当たるときは当たるんだ、この大洞吹おおぼらふきの、クソ副長!』」

「す、すいません、すいません!もう言いませんから、許してください!」

りょうは、頭を畳に擦り付けるようにしながら詫びた。歳三は笑って、

「とは言ってねぇな。まぁ、頭ん中では言ってたかもしれねぇが」

ととぼけた。りょうは神妙になって、

「先生……もう、勘弁してください」

と歳三を見つめた。歳三はどきりとした。浴衣を着ているためか、りょうの顔が一瞬、うめの顔に見えた。なんだか、うめに、『勘弁してやれ』と言われた気がした。歳三は気を取り直して、

「ま、まあ、おめぇが言った半分くれぇは当たってるかもな。近藤さんのこともあって、俺もまともじゃなかったかもしれねぇ。動けなくなって、逆に冷静に頭を働かせることができるようになった。足はもうすぐなおる。心配するな。歩く練習もしているんだ。東山の湯治場とうじばは傷に効くというのは、本当のようだ」

と言った。

「無理しないでください。これからは、僕もおそばで働きます」

りょうに言われ、なんとなく照れくさくなるのを感じた歳三は、

「東山温泉は、昔から、山ん中に湧いている温泉で、狸や熊も傷を治しにくるんだ」

と話題を変えた。りょうが驚いて、

「たぬきとか、熊と一緒に入るんですか!?」

と聞くと、

「嘘だ」

と真面目な顔をして歳三は言った。りょうはプッと吹き出し、歳三も笑った。


 そんな歳三を見て、安心して疲れが出たのか、りょうは、座ったまま、うつらうつらし始めた。

「明日の朝、はじめが来るから、屯所に連れてってもらえ。今は新選組はあいつに任せている。鉄や銀もそこに居るから……おい、良蔵、そのまんまで寝ちまうやつがあるか……まったく、仕方ねぇな……」

歳三は苦笑いをした。行商の薬箱と、鴨居にかかっているりょうの着物を見ながら、

(全部俺が使ってたもんじゃねぇか……姉さんがよこしたのか……ということは、彦五郎義兄貴あにきたちも、無事だったんだな……良かった……)

と、安堵の表情をした。


 「あんれ、妹さ、寝ちまったべか?蒲団さ、寝がそか?旦那さん、足が悪いっから……」

膳を下げようと入ってきた仲居が、座ったまま眠ってしまっているりょうを見て、歳三に聞いた。本当は、まだ歳三は歩ける状態ではなかったのだ。毎日、部屋に食事を運ぶ仲居には、わかっていたようだ。仲居は眠ってしまったりょうを蒲団に寝かせた。

「ありがとう。きっと疲れが出たのだろう」

仲居はりょうの顔を見ながら、

「めんこい顔して……あにさは、嫁こさ行がせたくねえなし」

と、歳三をからかった。

「嫁か?まだまだ先の話だ……」

と歳三は笑って言った。


 (確かにまだ先だ……しかし、こいつの嫁入り姿を見ることは、たぶん、俺はないだろう……なぁ、総司よ……おめぇも、こいつを残して逝くのは辛かっただろう……せめて、生きてる間は、おめぇの分まで、こいつを守らなきゃな……)

りょうの寝顔を見ながら、歳三は刀掛けに置いた大和守安定に語りかけた。

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