第3話 遠征─第一段階

 愁は情報を集めなければならなかった、まあ当然だろう。愁としては、できる限り「水の都」要塞の全市民を移動させたいのだが、日本管区派とUSGEO少数派、さらに旗色を鮮明にしない国防軍、さらにアジア系管区など、要塞内部の権力情勢は混乱を極めている。

 すべてを助けるにしても、これらの権力抗争に巻き込まれれば貴重な時間を大幅にロスしかねない。それに、愁は日本管区を救うべきではないとすら考えていた。今の状況を引き起こしたのが日本管区の責任である以上、市民はともかく政府中枢を助ける必要性はない。


 とはいえども、情報を必要とするのは変わりない。


 「美沙、状況はわかっていると思うんだけど…」

 「手伝うのね、わかった。一時休戦、とりあえず私は日本管区派の所属者と反乱軍側を全部調べるから、そっちはその他を」


 美沙に権限を譲渡する。

 エラーコードが表示されて、軍機違反の可能性ありという表示が出る。黙認、その上でジェームズ・ロバート特殊戦司令の認証ありと表示し返す。数瞬待って、エラーコードが解除される。

 美沙に軍機のアクセスを可能にさせる。軍内部の人間関係が分からないのは状況としては極めてまずい。


 「これは軍も調べろってことでオーケー?」

 「お願い、こればかりはどうしても必要だから…」

 「はあ…、わかった。そっちは頼んだよ」


 美沙が呆れかえるような声を出してそう言った。

 軍機クラスにアクセスできる権限を与えたことと、たかが市民にそんなことを任せてしまうことに対する呆れだろうと解釈しておく。そんなことよりも状況把握のほうが大事だった。


 そして、政府関連の情報を開示させようとしたときだった。


 脳外端子に強制アクセス許可。拒否しようとして、いやこのままのほうが良いと判断する。軍内部の事情を把握するためには必要だと思ったからだ。

 脳外端子に意識を集中する。

 目の前に現れたのはベアトリクス軍令部総官だった。


 「私はこの重大な報告をし、またこれらの事項を速やかに達成するべく貴官らにこれを伝える」


 ベアトリクス軍令部総官の目にくまが見える、しかもかなり濃い。その声も疲れ果てているようだった。ベアトリクス軍令部総官が何をしようとしているのかはわからないが、少なくとも嫌な予感しかない。


 「本日1800時を以て、我々は、我々が「メビウス」と呼ぶ敵性勢力と和睦する。この宣言は本日1200時に行われ、この宣言後、「メビウス」に対するあらゆる敵対行動を禁止する。

 貴官らはその準備を整えるように」


 ベアトリクス軍令部総官の顔が苦々しく歪む。

 その顔だけで、ベアトリクス軍令部総官の本意ではないことがわかる。おそらく、ベアトリクス軍令部総官は政府によって半ば強制的にこの宣言を行わせられたのだろう。

 ベアトリクス軍令部総官派の議員は当人の意に反した行動をしたであろうことは想像に難くない。


 それよりも、「メビウス」に降伏できるという根拠のほうが重要だ。


 「愁!どうする、このままだと間違いなく俺達は武装解除だ」

 「どうするって…、従うしかないと思うよ。軍事は政治の延長なんだから、政治がそう言っているんだから従うしかない、と思う」

 「その物言いだと、やはり納得してないんだろう」


 それは自覚のあることだった。

 「メビウス」に対して降伏する、まあ表現の上では和睦だが、それができるという根拠がどこにもないのだ。にも関わらず降伏する、というのは意味が理解できない。「メビウス」との交信は不可能だ、というのが今までの通説である。

 それに、体質的にも受け入れられない。


 「メビウス」に対して確かに不利な状況にあるのは確かだが、でもハワイの総司令官直轄艦隊は主力艦隊級の強力な艦隊だし、未だに第四主力艦隊は無傷だ。そもそも、決断時点では「メビウス」の艦隊の情報は伝わっていない。

 つまり、決断時点ではまだ「メビウス」に対して優位な状態にあったはずなのだ。どう考えても、理性的判断とは思えない。


 「…、ベアトリクス軍令部総官を説得できれば、もしかしたら…」

 「無理だな」


 ジェームズは愁の期待をすぐに不可能だと断ち切らせる。


 「ベアトリクス軍令部総官はいわば政府の傀儡だ。実権を握っているのは政府の軍部大臣と総務大臣、もしも反対意見を唱えたとしても握りつぶされる。それに、ベアトリクス軍令部総官の身を危険に晒すわけには行かない」

 「…、納得できないし、まっとうな判断だと思えないんだ。でも、それを主張するのは民主主義に反しているし、それに軍部独裁政権化を招かないためにも、実力行使するわけにも行かない。

 せめて、どこかが反対意見を述べてくれれば…」

 「もしかしたら、というよりも賭けに近いが、一つだけ可能性がある」


 ジェームズは、聞く気があるかどうか愁に尋ねる。


 「どんな可能性?」

 「更迭された総司令官、スプルーアンス前総司令官だ」


 意味がわからない、と愁が告げる。ジェームズは順を追って説明する。


 「まず、前総司令官には権限はない。その点において、確かに正当性はない。だが前総司令官は次席ポストとして、左遷されない限りは議員資格とハワイ直轄艦隊臨時司令官権限を持つ」

 「でも、スプルーアンス総司令官は左遷されるはずじゃ…」

 「いや、スプルーアンス総司令官は更迭されたが、左遷はできないんだ。軍法会議の上では、スプルーアンス総司令官に対して法的責任と指導責任を問おうにも、どの軍法にも引っかからない。

 だれも反乱が起きるとは予想していなかったし、それに指導責任を問おうとしても作戦の失敗では左遷の直接的な根拠にはならない。作戦指導に問題があれば、それこそ参謀全員の反対を押し切ったような作戦ならば問題があるが、スプルーアンス総司令官に噛み付いたのは俺だけだ。

 しかも、作戦の失敗は前提にしていなかったし、代案も示していなかった。つまり、スプルーアンス総司令官を左遷するためには参謀全員を更迭する必要があるが、そうなると今度は当時の軍令部総官の指導責任を問わなければならない…」


 そういうことか、と愁が納得する。

 つまり、スプルーアンス総司令官を左遷するためには反対意見も代案も示さなかった参謀全員を更迭しなければならないが、そのためには参謀たちを任命した当時の軍令部総官であるベアトリクスに対して責任を取らせなければならない。

 しかし、ベアトリクスは軍法会議をさせる側であるから、軍法会議にされた側が裁かれるというのは暗黙理に不可とされている以上、軍法会議にすることができない。つまりスプルーアンス総司令官を左遷させることはできない。


 なるほど、ベアトリクス軍令部総官は最後の抵抗に出たようだ。


 「ベアトリクス軍令部総官がいい仕事をしてくれた。あとは、スプルーアンス前総司令官の意志を問うだけだ。議員資格を持つスプルーアンス前総司令官が反対意見を持っていて、しかもそれを議論することもなく、さらに市民の意見も反映されていないとなれば、最悪市民側から議会をリコールされる。

 そうなれば、議会は反講和派で埋め尽くされることになる。反乱軍であるアジア系管区の議員資格は奪われるから、必然的に反講和派が議会の多数を占められる。つまり、スプルーアンス前総司令官が反対だと、声高く叫んでくれれば、こちらは正当性を得ることができる」

 「でも、議会がそれを許すはずが…」

 「そう、それを逆用する。議会はスプルーアンス前総司令官の議員資格を剥奪させるべく奔走していることだろう。だから、まずスプルーアンス前総司令官を要塞外に避難させたあと、俺達と合流してもらい、市民に対して反講和を呼びかけてもらう。

 民意を反映していない議会を解散せよ、とでも言えばオーケーだ。おそらく市民ではリコールを求める声が出る。市民のリコール決議がなされれば、議会はこれ以上、何もできない。

 だから、おそらく議会は緊急立法でその手段を封じる。でも、これで民意を反映していない議会を、議員資格を持っていたスプルーアンス前総司令官の名において成敗できる。問題は本人の意志と時間だ」


 なるほど、と愁は納得した。


 「スプルーアンス前総司令官に直接会話する。それと同時に艦載機を発艦させて、要塞に着陸、スプルーアンス前総司令官を避難させる、これでオーケー?」

 「よし。まあ、スプルーアンス前総司令官だけが懸念材料だな…」


 とはいえ、正当性を得れればあとは何とでもなる。

 そして、愁はスプルーアンス前総司令官の脳外端子に直接アクセスした。

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