第1話 魔女の走る海

 レイテ沖の魔女─たった一隻で敵艦隊をかき乱し、味方艦隊の救援まで持ちこたえさせた悪魔的な戦艦。そんなこと、言われなくてもわかっている。そして、それが幻想でしかないということさえも。

 僕の顔を見て、桜蘭が悲しそうな顔をする。


 「艦長、敵艦隊の一部が突出してきています」


 敵艦隊が一部戦力を抽出して、厄介にも生き残ってしまっている艦隊を直接叩きに来る。雷撃機はいつの間にか敵艦隊の方向へと引き上げていた。


 「第1目標、敵突出部隊。味方艦隊は本艦の突入後一斉雷撃」


 脳外端子から各艦長と各艦魂にそう告げる。巡洋艦級以上の大型艦船でなければ艦長は基本配置されないから、艦魂にも伝える必要があった。


 「突出部隊の戦力は、戦艦三、駆逐八か…」

 「敵高高度爆撃機、味方要塞へ向かう」


 敵高高度爆撃機は、どうやら味方要塞を攻撃するつもりらしい。だが、それを阻止するすべはない。こちらは抽出部隊相手に陣形を建て直さなければならない。


 「…」


 沈黙が流れる。

 別に、何もしていないわけではない。実際、敵艦隊は今も行動を続けているし、両方とも何もしていないわけではない。ただ単に、命令するべきことがなかった、問返す必要がなかった、それだけだ。


 そう、あの時もだ。


 レイテ沖海戦。

 僕らは、敵艦隊に前方を防がれ、後退しようにもこれ以上交代すれば島嶼部を射程に抑えられるという状況にあった。第一主力艦隊は、敵の大攻勢を受けてこんなところまで追い込まれた。


 レイテ沖海戦初戦、第一主力艦隊はその時発見していた敵艦隊に対して十分に対抗できると考えて、打って出るという愚策を犯した。結果は悲惨なものだった。


 囮艦隊に釣られた第一主力艦隊はいつの間にか完全包囲され、その包囲網を突破できたのは僅か22隻に過ぎなかった。

 これだけ聞けば大戦力だが、第一主力艦隊は主力である旗戦艦級二隻、基幹戦艦級六隻のうち、旗戦艦級は殲滅、基幹戦艦級も「桜蘭」と「飛藍ひらん」のみ、しかも「飛藍」は主砲塔一基を破壊され、機関出力もかなり落ちていた。


 「飛藍」艦長は、僕の一期下だった。

 完全包囲された時、最初に突撃したのは、本来それをするべきである僕ではなく、一期下であるはずの「飛藍」だった。そして、「飛藍」はたった一隻で大戦果を上げた。


 戦艦三隻撃沈、巡洋艦七隻撃沈、一隻大破という、到底信じられるものではない大戦果だった。

 将来を有望視されていた、「飛藍」艦長を、しかし僕は見捨てた。


 一緒に突撃した「桜蘭」は、「飛藍」が致命傷を受けるまで、援護できる位置にいたにも関わらず、見捨てたのだ。


 「艦長、敵艦隊が前進を始めました」


 あの時と、あの瞬間と、全く同じ声が、僕の脳内で交錯する。そして、僕は現実へと引き戻される。


 「ちっ…! この際、敵抽出艦隊は巡洋艦隊に…」


 いや、それはだめだ、と心の中の良心が言う。どう考えても、巡洋艦隊と抽出艦隊では戦力差が大きすぎる。どうあがいても、戻っては来れないだろう。

 なら、抽出艦隊をともにたたくか?

 否、それをすれば敵艦隊の大規模前進を防ぐことができない。何が何でも、敵艦隊の浸透は防がなければならない。だが、確実にそれを阻止できるか?


 「愁、私は艦長の指示に従います。たとえ、どれだけ非人道的な戦術だったとしても」


 桜蘭がそう言った。

 知っている。あの時、もう「飛藍」が助からないとわかった時、僕は「飛藍」艦長に何を命じた? 副艦長に反対されてまで、何を命じた?

 僕は、自分の保身のために、「飛藍」を見捨ててでも自分が助かるために、こう言ったじゃないか。貴艦はそこにとどまり、敵艦隊を惹きつけよ、と。


 「飛藍」艦長は絶叫して、助けて、と脳外端子へ救援を求めるでもなく、こちらの無能を罵るわけでもなく、ただ、ただ、命令を受領します、と言った。「飛藍」が撃沈されたときも、「飛藍」艦長は僕を恨むこともなく、ただ運命なんだろう、と言って。


 「…、結局、僕は自分が一番、なんだな」


 そんなこと、ずっと前から気付いていた。両親に感謝しないのも、結局自分のためでしかないんだ。こんな僕を、両親はなんて思うんだろうか。

 いや、そんなこと、もう興味はない。所詮、小心者の僕に、できることなんて、自分の保身のために味方を見捨てる程度のことでしかない。


 「本艦は、敵主力艦隊の中枢へ突入する。各艦は、自身の判断にて抽出部隊および要塞に接近する敵艦隊を殲滅せよ」


 不可能だろう。ああ、なんて僕は馬鹿な命令を出しているんだろう。そんなこと、できるわけないのに、机上の空論なのに。

 でも、不思議と命令を撤回する気にはならなかった。随分前から、こうすることは決めていた気がする。というよりも、僕の決断なのかどうかすら分からない。


 「艦長…」


 桜蘭は、たかが機械だ。どれだけ大切に、人間として扱っていたとしても、所詮は機械に過ぎない。もしもその時が来たら、僕は、僕を心配してくれる桜蘭ですら、見捨てるんだろう。


 もう、どうだっていいんだ。

 もう、別に何も関係ない。


 そんな言葉で、僕はひたすら逃げ続けよう。自分のエゴのために、他人を見捨てたという罪から。ずっと、そうしてきたことじゃないか。どうして、あの日のことを思い出すんだ?

 もう、いくら悔やんだとしても、過去を変えることなんてできない。


 「桜蘭、僕のこと、どんなふうに思っているの?」


 そういえば、前も同じことを聞いた気がする。

 あのときもまた、同じことを思い出して。


 「私は、艦長のことを、性格のいい人だと思っています」


 そして、桜蘭の答えも殆ど同じだ。

 結局、僕は何があっても僕。保身優先、エゴ優先のクズ。それがどうした、と流すことも、自分の中で妥協することもできない、変なところがナイーヴな、正真正銘のクズだ。

 それ以外、何者でもない。


 「…、そうか…」


 僕は。

 僕は、結局何がしたいんだろうか。大切な何かを守るとか、そんな高尚な生き方がしたいわけでもないだろうに。それなのに、生をもとめ、自分のために死んだものを悔む。


 「桜蘭、敵艦隊の中枢部隊を叩く。敵の旗艦を割り出せるか?」

 「敵旗艦を通信量から把握すると、これらの目標の一つが旗艦だと思われます」


 示されたのは三つの目標。それぞれ、120度離れている。読み違えれば即敗北が確定する。だが…。


 「桜蘭、敵艦の総数はどれくらいか、概算で構わない」

 「敵艦総数、約240」


 それだけの大艦隊を、たった戦艦一隻が統括指揮する?

 そんなの不可能だ。となると、これらの敵艦は、すべてが旗艦であり、同時に旗艦ではない。三隻が情報的に繋がることによって、一隻の旗艦として機能しているのだろう。


 「桜蘭、要塞の中距離SAMの指揮権を移譲してほしい。四箇所で構わない」

 「要塞の四箇所の中距離SAM指揮権移譲を要請。軍令部より返信、三箇所までなら認めるとのこと」

 「…、しかたない、三箇所でも構わない。それらのミサイルを、本艦の進路方向延長線上から遠い二隻に集中して攻撃させてほしい」


 桜蘭が、目標艦船を復唱する。そして、要塞から多数のSAMが放たれる。


 「本艦は正面の敵艦に全砲門を集中して攻撃する。右舷側高角砲座と主砲全てを敵艦に対する射角に入れる。赤35度」

 「とりかじいっぱい!」


 「桜蘭」の巨体は、しばらく前進を続ける。そして、曲がろうとしたとき、桜蘭から敵艦隊の砲撃が開始されたことが伝えられる。


 「勝負だ、敵艦隊」


 僕は、敵艦隊へ一方的に交戦エンゲージを告げる。敵艦隊のはなった無数の弾丸は、それらがたった一隻への攻撃である為か、空中で高低差をつけて一点へと集中していく。

 超音速によるソニックブームが大気を揺るがす。数百という弾丸が、大気を揺るがし、そして目標とする艦へと向けて飛翔を続ける。しかし、それらの弾丸は目標のはるか手前で落下する。


 「目標、敵旗艦。急斉射、砲撃準備」

 「指向可能砲塔、砲撃準備終了。敵艦への砲撃用意」


 手を上げ、そしてそれに倍する速度で振り落とす。


 「砲撃ファイア!!」


 そして、これがこの海戦にて最初に放たれた、対艦主砲弾だった。

 主砲八門の全力砲撃が、艦を揺さぶる。そして、その揺さぶりが収まると同時に再び全力砲撃によって、艦が揺さぶられる。文字通り、全力射撃だった。

 高角砲は、活火山かくあらん、とばかりに砲撃を続ける。


 超音速で飛翔する弾丸は、目標とする敵艦へと殺到する。しかし、わずかにずれて着弾、水柱が敵艦を覆い隠す。高角砲弾も殺到する。

 敵艦は、しかし撃たれてばかりではない。砲撃が僅かにやんだその瞬間に主砲弾八発を超音速で撃ち放つ。それに続けて、麾下の艦隊の砲撃がただ一艦を目指して殺到する。


 数百という弾丸と十数発の弾丸が、空中で交錯する。超音速のソニックブームによって、耳障りな高音が耳を襲う。

 そして、敵艦の何百という弾丸のうち、二発が「桜蘭」を捉える。中口径砲弾が着弾、甲板に火災が発生。すぐに消火。

 しかし、敵艦の火力の暴力が「桜蘭」の甲板に殺戮を醸し出す。全力斉射を続ける高角砲座に着弾した中口径砲弾は、容赦なく高角砲座を破壊する。一基沈黙。


 二基、三基と次々に高角砲座が沈黙する。

 そのたびに爆発が襲いかかり、「桜蘭」の艦体を小刻みに破壊する。そして、大口径弾は「桜蘭」を包み隠す。何度も轟音が襲いかかり、そのたびに「桜蘭」に破滅の未来を及ぼそうとしてくる。


 こちらも黙って撃たれているわけではない。敵艦に火災を起こす。

 敵艦は最初こそ消火できたものの、やがて処理が追いつかなくなり、砲弾が直撃するごとにこちらも小刻みに敵艦を破壊する。その影響なのか、敵艦隊の一糸乱れぬ一斉射撃に乱れが生じていく。


 「今だ! 左舷側サイドスラスター全開、機関過負荷!」

 「左舷側サイドスラスター全開、機関過負荷へ移行」


 急激に進路を変更した「桜蘭」に敵艦隊は追いつけず、弾着が遠くなる。


 「主砲、方位0-8-9、仰角42,5度、徹甲弾。発射のタイミングは艦長」

 「主砲、方位0-8-9、仰角42,5度、徹甲弾、用意よし」


 徹甲弾が、敵艦へと命中するべく主砲塔の中に待機する。


 「てっ!!」

 「てっ」


 主砲から、徹甲弾が放たれる。そして、それらは四十秒後、敵艦の艦橋へと直撃する。頭が痛い。

 敵艦のピンポイントを狙うような砲撃は、タイミングも、仰角も、そして運も必要だ。そして、今回は全てが予想通りに行った。


 上空の様子、風、重力…。その全てを、頭で処理して砲撃した結果だった。


 敵艦隊の列が乱れる。旗艦を破壊されただけなのにも関わらず。そういえば、どんな海戦のときも旗艦を破壊されたとき、敵艦隊は一時的に列を乱していたな、と思い出す。


 しかし、勝利が確定したわけではなかった。敵艦は、砲撃が直撃する直前に弾丸を撃ち放っていた。そして、それらの弾丸は、「桜蘭」への直撃コースを辿った。


 「!」


 嫌な予感がした。すぐに椅子に掴まる。

 直後、「桜蘭」への直撃弾が、艦首と艦尾を破壊する。艦首、艦尾が大破して、大量の海水が侵入する。


 「遅延爆発!?」


 どうやら、敵の砲弾は甲板を貫いたあと、艦内で爆発して、浸水を巻き起こしたようだ。


 「桜蘭、隔壁閉鎖!」

 「隔壁閉鎖不能! 艦首、艦尾の回戦切断!!」

 「艦中央部の隔壁を閉鎖!!」


 艦首、艦尾の隔壁閉鎖に失敗する。そして、それに続いて、多数の砲弾が「桜蘭」に襲いかかる。「桜蘭」が四方八方に揺られ、そしてそこらじゅうで火災を起こす。


 「桜蘭、高角砲座すべての弾薬庫に注水!!」


 このまま弾薬庫が誘爆すれば最悪の被害が出る。桜蘭が注水するが、それよりも早く高角砲の誘爆が始まる。

 甲板がもげるような轟音とともに、艦が大きく揺られる。そして、それに続いて、敵艦の大口径砲弾が殺到する。艦中央部が轟音を立てて装甲を破られる。


 「…、主砲弾薬庫に注水!!」


 躊躇している暇はない。このまま行けば、「桜蘭」は轟沈してしまう。そして、注水がかろうじて間に合う。注水直後に主砲塔が爆散。「桜蘭」の武装が次々に崩壊していく。


 「…、ここまでか…」


 そう思った矢先だった。

 弾丸の嵐が、止んだ。そして、その代わりに脳外端子から声が聞こえる。


 「救援に到着した、これより支援する!」


 愁は、安心のあまり、その場にへたりこみそうになった。


 特殊艦隊は、その広範囲殲滅能力を全力発揮するべく、機関を最大までふかしたうえで、救援に到着した。


 「暴風シュトゥルムヴィント、SSM28発を発射」

 「疾風ヴィルベルヴィント、超高速魚雷多数を発射」

 「超高速魚雷、敵艦隊に命中、敵艦隊の半数に命中、敵艦隊健在」


 窮地を脱した「桜蘭」で、その一方的な戦闘を愁は眺めていた。文字通り、ワンサイドゲームだった。特殊艦隊はたった三隻でありながら、敵艦隊を文字通り殲滅しつつあった。


 「なんで、こいつらを始めに投入しなかったんだ?」


 それだけが疑問だ。

 これらが開発されたのは、絶対にこの海戦の直前ではないだろう。もしもそうならば、いくら性能が良くとも完璧にはそれを出し切れまい。


 「出し惜しみ…、いや、島嶼部が陥落しそうなのに、か?」


 桜蘭も疑問に思っているようだ。

 すでに敵艦隊は殲滅され、完全にその場から姿が消失していた。文字通りのワンサイドゲームだった。


 「何の、つもりだ…」


 それだけが、疑問だった。

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