真月。
人生において、必ず誰かが「衝」の位置に入ることがある。月で言えば望、最も明るく光る満月のよう。僕にとっての渚は、その位置から徐々に移動して行き「十六夜」となった。
クリスマスイブに誘い、短い文で拒否されてそれきりだった。あけおめメールも来ない。本当に連絡が無いまま1月は終わり、2月は半ばとなった。僕は最初こそ意地を張って連絡すらしなかった。お互いに「いつまでも一緒にいる」と言う実感があったので、たかが1か月ぐらいは、イブのデートが流れたとは言え楽観していた。ただ、流石に音信不通のまま2か月が経とうとした頃には、僕からメールをしていた。日中の、いや夕方の仕事終わりだろうと思える時間に直電をしたことも何度かあった。メールに返信は無く、直電は呼び出し音こそするのだが、留守電になることも無く一定時間で切断された。
僕たちは愛し合っている。この惑星(ほし)と月のようにお互いを引き付け合って生きてきた。ソレは渚が「衝の位置」に入ってからの1年半だけのことだけれど、この先も続く「はず」であった。
人の心は変わる、月のように満ち、三日月のように欠けていくこともある。今、僕に見えるのは赤く弱く光る三日月・・・
2月が終わり、3月に入った。ようやくこの街にも春の息吹を感じられる頃、僕はあの言葉を思い出していた。渚が僕に紹介した初めての友達、京子の言葉。
「何かあったら電話して。何も無ければ電話しないで」
京子は僕に興味が無いらしく、僕の電話番号を知らない。渚を探すとしたら、僕に残されたたった一つの手段。僕は渚について「何も知らない」のだ。渚は必ず僕に「会いに来た」から、渚がどこに住んでいるかすら知らない。使っている駅は知っているし、勤務先も知っているが、色恋沙汰で職場に電話をかけるほど、僕は常識知らずでは無い。
何故、渚は何の予兆も無く連絡をしてこなくなったのか?嫌われたならそれでもいい。「ああ、そうか」と思うだけだ。別れの言葉だって受け入れる。ただ、何も言わずに消えられるのは、心の持って行き場が無くて宙ぶらりんだ。僕は京子に電話することにした。電話番号を教えてもらった夜。僕はスマホの電話帳に登録しておいた。名字も無くただ「京子」と・・・090で始まるケータイの番号を。
京子はキャバクラ勤務なので、日中の電話を避けた。夜になれば店に出ているだろうから、夕方の時間を狙うことにした。しばらく呼び出し音が続くが、留守電になることも無く京子が電話に出た。
「この番号、京子さんの番号でよろしいですか?」
どう切り出していいか分からない。僕のことを忘れているかもしれない。
「誰?」
「安元と言います。憶えてますか?渚の・・・いえ、谷口さんの・・・」
「ああ、あんたか。何の用?」
木で鼻でくくったような塩対応だ。
「実は、渚と連絡がつかなくて・・・何か知ってますか?」
嫌な沈黙が流れる。京子は息を呑んだように黙り込み、僕は「しつこく言い寄る振られた男」の気持ちになって言葉が継げない。数秒の沈黙の後、京子が意を決したように言う。
「明日、時間ある?」
待ち合わせには最適な駅の改札前。待ち合わせ時間ピッタリに京子が現れた。水商売の女には見えない、普通の格好だった。化粧気も無い。京子は僕の目の前に立って言った。
「どういう意味?」
質問の意図が計りかねた。僕は「渚と連絡が付かないから、何か知っていますか?」と尋ねただけだ。
「何が?」
本当に話が見えないのだ。
「まさか、何も知らないってことは無いでしょ?」
「何がだよ」
京子は深く大きなため息を吐いて・・・
「渚は先月の終わりに死んだじゃない」
言葉の意味が分からない。いや、理解は出来ても「現実味」が無い。
「何であんたが知らないの?信じらんない・・・」
京子の言葉は針のように僕の顔面に刺さった、耳には届かないように・・・感じた。いや、聴こえてはいたが心に届かない。僕は「渚が死んだ」と言う言葉を理解したくない。
挑むような視線を駅のコンコースの床に落とし、僕も視線を落とした。駄目だ、信じられる何もない。30秒は黙り込んでいただろうか。京子は深呼吸をしてから言った。
「少し、話そうか?」
いつも渚と会っていたベックスは避けた。心が痛い。駅ビルに入っている喫茶室に入ることにした。ここには渚の幻影はいないから。そして僕はほとんど京子の言葉を聞くだけの木偶となった。言葉も無かったのだ。
「あんた、渚の病気のことは?」
「治ったって・・・」
「通院のことは?」
「知らない」
短く答えるのがやっとだ。京子の尋問は続くが、答えることも出来ない。
「あんた、渚の何を知ってたの?」
答えることが出来ない。渚と出会ったのは病院で、渚はその病院に入院している理由を「白血球がゼロになっちゃって」と言っていた。薬の副作用で脱毛していて、ウィッグを使っていた。そんなこと、京子に話せるかっ!
「分かった。あんたのこと、渚は本当に大事にしていたんだね・・・木曜日のデートは必ず通院帰りだったんだよ。最近は具合が悪くてひと晩泊ることもあったみたい。ガンじゃないよ、いやガンだけど、白血病だった」
「なぜ?」
「なぜって、なに?」
「渚は一言もそんなことを言わなかった」
「あんたが心配するからじゃない。あの子が退院してあんたと付き合いたいと言い出したから、私はあんたを確認したかった。悪い男ならその場で追い返すつもりで。退院と言っても緩解しただけで、治ったわけじゃないのは、あとから聞いたんだけどね。あんたが悪い男じゃなかったから何も言わなかったよ」
「死ぬほど悪化したのなら・・・」
「言えなかったんだろうね。あんたが大事で大事で・・・治ればまた会えるって」
心が冷え切って涙も出ない。
「分かったよ、あんたが渚のことを知らない理由」
「なに?」
「あの子は最後には、自分が死んだあとの連絡先を書き残していたの。当然、実家には連絡が行って、あとは友達、私とかえりなの電話番号。そこにあんたの番号が無かった。悲しませることが嫌だったんだね」
「それで消えるように?」
「そうだろうね、消えてしまえば怒りを買っても、悲しませはしないって思ったんじゃない?」
「でも、こうやって知るだろう」
「だからね?あの子は弱っていく自分を見せたくなかったし、看取ってもらうことも嫌だったんじゃないかな?」
「・・・でも最後くらい・・・」
「あの子は命日すら残さなかったんだ、悲しませたくないから」
「命日?」
「病院から来た電話でも、いつ死んだかを教えてくれなかった。それが患者の意思でしたって」
「毎年、思い出しては悲しむから・・・か」
「渚の葬儀も実家でやったそうだよ。だから私たちも何も知らないんだ」
「恋人を悲しませないように、わざと別れてから死ぬ・・・」
「ソレだよね」
「絶対にやったら駄目だ。残された方は2倍苦しむ・・・」
短い会話に30分はかかったと思う。
カフェを出て、その場で京子と別れた。京子が僕の背中に声をかける。
「あんたは死なないでよ」
死なねーよ。
月は満ち、月は欠けても・・・新月となって姿を消しても。
真の月は必ずそこにあるから。
2010年2月。22歳のまま渚が死んだ日は知らないままだ。
ー衝ー 四月朔日 祭 @Memorial-Sky
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