「HarvestMoon」(2)
懐が寂しくなった。勿論、渚のパソコンに使ったせいなので恥じることでは無い。生活に困ることは無いし、支払いにも支障はない。しかし、給料日を迎えるまでは節約しないとデート代に乏しい。残り3週間。ここを乗り切ればまた多少の余裕が出てくる。いつもの「フォトデート」ならば特にお金がかかることは無い。お茶して、写真を二人で撮って歩いて、飯を食うだけだ。街を散策するだけで渚は満足しているようだし。そうか、今後はホテル代も必要になるんだと思った。パソコンを買った日の別れ際、渚は「今度はしようね」と言っていた。コレだけで十分勃起できる破壊力を秘めた言葉である。しかも、次回からは「緊張で勃たない」と言うことは無いだろう。あのあと、2回出来たし。あまりがっつくと嫌われそうで、前回のデートでは渚の住む街の駅で別れた。今はメールをいつしようかと悩んでいる。メールの頻度は安定していない。次のデートの約束があれば、平気で1週間は音信不通であるし、次の約束をしようと思えば3日に1回とか2回ペース。なので、デートから3日経った今日あたりならメールをしても大丈夫かと思うが、何となくこちらからメールをするのは、渚のプライベートに踏み込むようで憚られた。
遠慮ばかりしていても仕方ない。渚は「お付き合いする自信」を僕に与えてくれたはずだ。思い切ってメールすることにした。
「元気?」
相変わらず、僕のメールは素っ気ない。元気でなければ返信は要らない。元気になったら返事をくれればいいのだ。そしてそのメールは3日間、放置された。素っ気ないのはお互い様であろう。ただ、必ず返信はあるので気長に待つ。直電はしない。それこそ迷惑であろう。
そう言えば、渚は僕といる時はケータイの電源を切っている。僕も渚と会ったらすぐに電源を切っていた。いつだったか、どうしても電話をする用事があったようで、おずおずと「あの・・・電話して、いい?」と訊いてきたことがある。勿論構わないのだが、その時にケータイの電源ボタンを長押ししていたので、電源を切っていたんだなと思った。スマホは何となく僕との連絡専用になっていたようだ。
メールの返信は4日後。「忙しかった」とだけ。ほぼチャット。しかし間隔が長い。僕は「今度はいつ会える?」と返信を打ちかけて、ちょっと修正した。
「今度はいつ暇?」がっつくな、がっつくな、暇なら会えると言ってくれるだろう。僕の返信が早かったので「電話していい?」とメールがすぐに入る。当然だろう。家でゴロゴロしているから煩悩が生まれるのだから。性欲も煩悩だったっけ?すぐに電話が鳴る。
「はい」僕はいつだって名乗らないし「もしもし」と言う間の抜けた返事もしない。
「洋ちゃん?」
「はいよー。待ってたよ」
「時間、大丈夫?」
「今、家にいるから大丈夫」
「えーとね、写真教えて?」
「今もそんな感じじゃん。また撮って歩こう」
「じゃなくてっ!なんて言うの・・・?編集?フォトショとか?」
「いいけど、パソコンが無いと無理だよ。場所も無いしさ」
「洋ちゃんみたいな写真にしたいの」
「うーん・・・渚のノートパソコンだと画面が暗いしなぁ」
当時はまだ「ネットカフェ」は珍しかった。その前身とも言える「漫画喫茶」が隆盛を極めていた時代だ。まだまだ映画もレンタルDVDが主流、どうかすればレンタルショップの片隅にはまだ「VHSのビデオテープコーナー」あった。レンタルコミックが流行り出すのは、実はこの後になる。貸本屋までやらないと経営が出来ないレベルになっていたのだろう。
「時間、かかる?」
「ソフトの扱いは1日で憶えると思うよ。難しいもんじゃないし」
「キャノンのソフトは訳が分からない・・・」
「どうすっかな。ソフトとか環境を考えるとうちが一番いいんだけど」
「うち?」
「俺んちか渚んち。あ、強引に行ったり誘ったりはしないよ」
「洋ちゃんち、行っていいの?」
「あー、いいけど狭いよ。散らかってるし」
「いいの。そう言うの慣れてるし」
散らかった部屋を片付づけるのはいいとして、僕の部屋は6畳の1DKで、ダブルベッドが鎮座していて。残った空間に書棚と最低限の大きさのパソコンデスクとちゃぶ台。キッチンは狭くて使い物にならない。
早い話が、この部屋に誘い込まれた女の子さんは確実に警戒するだろう。ダブルベッドの存在が大き過ぎる。
「じゃぁ、来る?駅まで迎えに行くけど」
「うん、行く」
「いつにする?」
「来週は空いてる?」
「木曜日は大抵空けてあるけど、渚は?」
「木曜日、休みー」
「じゃ、昼前に駅前でいいかな?11:00くらいで」
「ん?いつもより1時間早くない?」
「写真を撮ってから、その写真で教えるよ」
「分かった。来週の木曜日ね」
「そ。待ってるから」
忙しくなってきた。先ずはこのボロアパートの掃除だ。掃除と言っても、あの悪夢の全治4か月が終わった時にかなりきれいに掃除をして、ある程度は維持していた。歩けない間にかなりの「ゴミ屋敷」と化していたからだ。パソコンデスクで使ってる椅子のせいで、畳が擦り切れているが仕方がない。キッチンは綺麗に掃除すればいい。狭いのでまあ大丈夫だろう。そして計算した。ベッドの環境整備である。そうそう渚とセックスが出来るとは思わないが、布団は買い替えないと臭い。こればかりは「42歳独身」なので・・・ベッドシーツも買い替えないと駄目だろう。洗濯では落ちないほど僕の皮脂が染み込んでいる。洗濯で匂いは消えても、やはり中央部に薄汚れた染みがあるベッドシーツは美しくは無いな。
日曜日の仕事帰りに安いデパートに寄って、ベッドシーツと一番安い羽毛布団を買った。これだけで1万円の散財だが、上手くすれば今後はホテル代がかからないと言う下衆い考えに股間は膨らんだ。
男は本当に愚かだ。
あとは特に準備は不要だろう。そうそう、昔使ってたコンデジの「パワーショット」をクローゼットから探さないと。800万画素、SDカード使用なのでちょうどいいだろう。渚のカメラを使わせる気は無かった。渚は相変わらずSDカードをアルバムとして使っている。数千枚の写真がSDカードに収まっているわけだ。その写真を全部僕のパソコンに吸い上げるのは失礼だろう。カメラもSDカードもこっちで用意して「作例」を撮ってもらえば済む話だ。そう、僕は「いい人」なのだ。
当日は夏のように暑かった。あの頃はまだマシだったと思えるのが酷いと言えば酷い。昨今の猛暑日は、まだ当時は無かったように思える。いや、十分に「真夏日」だったのであまり変わりはないか・・・
渚がメールをしてきた。
「ベックスにおります(*^^*)」
相変わらず可愛い生き物だ。
特に急ぐわけでもないので、僕はレジカウンターでアイスコーヒーを買って奥に進む。渚は必ず奥の席に座っているのだ。
「待った?」
「今来たとこ」
テーブルの上のアイスティは減っていない。
「今日はこのカメラを使ってくれる?」
「え?なんで?」
「渚のカメラだと、全部のデータを吸い上げちゃうからさ。このカメラ、意外と使えるよ」
僕はパワーショットを見せた。銀色のボディは単三乾電池で動く優れものだ。
「データ?写真のこと?」
「そうそう」
「選べないの?」
「渚が選んでパソコンに送れるなら大丈夫だけど、出来る?」
「そんなこと出来るわけないじゃん」
「そう言うこと。見せたくない写真だってあるだろうと思ってな」
渚は何だか感動しているように見えた。
「洋ちゃんはさ?」
「んー?」(アイスコーヒーを飲んでいる)
「そうやって、何人の女の子を騙してきたの?」
「ブフッ」(コーヒーを噴きかけた)
「ん?どうなのかな?」
「アホウ、女の子を騙したことはねーよ」
「そっかなー?そっかなー?」
傍から見たら「仲良しカップル」であるが、まだ関係は深まっていない。
「あ・・・」
「何か思いだした?」
「昔さ、明美って言う可愛い子がいたんだ」
「待って、聞きたくないっ!」
「可愛いから、かなり偉そうな態度でさ」
「ふんふん?」
「何となくいい雰囲気になったんで」
「悪い男じゃない」
「夜明けのコーヒーを一緒に飲まないかと誘った」
「やだ、聞きたくない聞きたくない」
「聞けよっ!」
「はい」
「漫画喫茶での徹夜明けコーヒーは美味しかったかなーと」
「最低ですね」
待ち合わせが11:00だったので、そろそろカフェも飯屋も混み始める時間だ。サッサと撮影を終わらせて、家に向かおう。真昼である。太陽は南中し容赦なく照り付ける。渚は長袖姿なので、マッハでバテ始めた。計算通りだ。体力を奪えば襲いやすい・・・と言う考えは無く、単に時間的な問題だった。駅から我が家までバスで30分かかる。1時間ほど街中でスナップ撮影をして、ちょっと買い物をして、家に着くのが14:00頃だろう。一から写真編集を教えるとして、大体2時間。あとは渚次第だが、応用まで教える時間は無いだろう。17:00には渚を駅まで送るつもりだった。セックスの時間は無い。あるけど無い。
「洋ちゃん、暑い・・・」
「バスに乗るまで頑張れ」
「バスで行くの?」
「行くと言うか帰るんだけどな」
「ふーん、遠いの?」
「家賃の関係でちょっと駅から離れてる」
「どのくらい?」
「30分あれば着くよ」
「田舎・・・」(ボソっと)
「元々この街だって田舎じゃんよ」
「ですね」
「そこから先の奥地に我が家があるんだ」
「うわぁ」
軽口を交わしながらバス停でバスを待つ。バス停からちょっと歩くことを覚悟すればバスの便は多いのだが、アパート近くまで行くバスに限定すると1時間に2本しかない。通勤時間帯でも3本だ、参ったか。幸い、2本のバスを見送れば我が家至近のバス停を通るバスが来た。流石に平日のこの時間帯だと、乗客は少ない。しかも老人ばかりで、この国の行く末が心配になって来るが、僕と渚で頑張って少子化に抵抗すれば大丈夫だろう。
バスを降りると目の前にスーパーがある。
「ちょっと寄っていこう」
「なんで?」
「お腹空いただろう?」
「うん。何か作ってくれるの?」
「弁当でも買う?」
「洋ちゃんの料理が食べたい」
「そこはさー、私が作るねって言えないかな?」
「私、料理下手だよ」
「作ります・・・」
凝った料理は必要無さそうなので、あっさりとした麺類を買い求めた。ハムと冷やし中華。渚はぶーたれた顔をしていたが、写真編集を教える前に軽く食べるだけだから十分だろう。あとは自分用に食材を追加して購入した。
バス停から5分も歩かない。割と駅から離れてはいるが、バスの時刻表を把握していれば悪い環境ではない。しかも住宅地の奥にあるので静かだ。実は最寄駅は一つ違うのだが、渚の都合に合わせて大きな駅の方を使っていた。最寄り駅までなら15分で着く。
我がボロアパートの前に立った。渚は視線で「ここ?」と尋ねてきた。「ここだよ、狭いぞ」と脅かしておいた。本当に狭いところに救いがない。
ドアを開け、渚を押し込んだ。キッチンは狭いので小さなカラーボックスを置いてるだけだ。すぐ目の前にドアがあり、和室6畳に繋がる造りで、ユニットとは言え、風呂トイレは別である。僕はあの「風呂トイレが一緒のユニットバス」が大嫌いなので、この物件で妥協した。ワンルームマンションなら、同じ家賃でもうちょいマシな部屋もあったのだが。
エアコンは回しっぱなしにしておいた。渚がバテるのはお見通しだったから。
「わ、エッチな部屋だっ!」
「何がだよ」
「ダブルベッド・・・」
「俺は寝ながらタバコ吸ったりコーヒーを飲むから、お盆が置けるスペースが必要なのっ!」
「さりげなく置かれたティッシュの箱・・・」
「あのさー?」
「あ、お腹空いた。作って」
「10分待ってて。だから弁当でいいと言ったのに・・・」
僕はキッチンで中華麺を茹でて、ハムとキュウリを刻んで乗せた。麺は氷水でキンキンに冷やしてあげた。これならバテバテの渚でも美味しく食べられるだろう。
ちゃぶ台に渚の分の皿を置いた。6畳間にダブルベッドを入れてるので、ちゃぶ台は壁に押しやられている。つまりは対面して座れない。僕はパソコンデスクのキーボードをどけて、椅子に座った。
「いただきまーす」
渚は行儀が良い。ちゃんと正座して食べ始めた。僕は椅子に座って、ちょっと後方に位置するちゃぶ台を眺めながら食い始めた。その時のことである。全く意識していなかった(本当に)畳の上のティッシュの箱がベッドの枕元にテレポートしていた。ちゃぶ台の前で正座している渚の邪魔になる場所では無かった。渚が動かしたので無ければ、この部屋にはポルターガイスト現象が起こっていることになる。そんなわけが無いので、渚が動かした。
(このえろ娘・・・)
僕はそう思いながら、それでも今日の目的を果たす段取りに入ることにした。写真編集を教えなければならない。そもそも、渚だって、今日の目的は写真編集を教わることなのだ。流れ的にわがアパートに来ただけで、他意はないはずだ。
「煙草、吸っていい?」
僕は無言で灰皿を差し出した。ペットボトルのお茶を飲みながら細い煙草を吸い始めた。僕は我が家なので、キッチンでアイスコーヒーをマグカップに注いで、ついでにグラスに氷を入れて部屋に戻る。
「お茶、温くなってるべ」
「あー、ありがとー」
僕も煙草を吸うことにした。先に煙草を吸い終えた渚が近づいてくる。僕は椅子から立ち上がって渚を座らせた。軽くマウスを振ると、パソコンが起動した。
「えっ?今何したの?」
「スリープ状態にしていたパソコンを起こしただけだよ」
「どうやって?」
「マウスを動かすか、キーボードのキーを叩けば起きる設定。どんなパソコンでも同じだ」
「私、毎回電源を切ってた・・・」
「気にしないでいいよ、俺も3回に1回は電源を落とすし」
「なんで?」
「パソコンも疲労がたまるからさ、再起動でリフレッシュ」
「へぇ・・・アレ?キーボードが大きい」
「普通にこの大きさが標準じゃね?」
「マウスも変な形・・・」
「持ってみ?」
「うわっ!すごく軽いっ!」
「デスクトップは周辺機器をあとから買うから、好みのモノを使うの」
「へぇ」
「で、先ずはこのソフトから憶えようか」
「ん。ピカサ3ってヤツ?」
「そーそー、無料でダウンロード出来るって教えたヤツ」
「まだ触ってない」
「それでよくも写真編集などと」(笑)
「だって分からないんだもん」
「ダブルクリックで起動させて、SDカードをカードリーダーに挿し込む」
「こう?」
「で、ここをクリックしてSDカードを読み込む」
「こうかな?」
「すると、SDカードの中の写真が並ぶから、そのまま編集したい写真をダブルクリック」
「・・・」
無言になった。
「その写真をどうしたいか考える」
「どうしたいって、どうするの?」
「何を見せたくて撮った写真だろうって考えればいいよ。あとはそのイメージに近づけるだけ」
「よく分からない・・・」
「やって見せようか」
「うん」
なんやかんややって見せたりやらせたりで、基本を教え込むのに2時間かかった。僕はまだメジャーなソフトが「日本語化される前」からいじっているので、ほとんどのソフトを扱える自信があった。
「はぁ、洋ちゃんは凄いね・・・」
「何が?」
「写真が上手くて編集も出来て、料理も出来て文章も面白い」
「誉め過ぎでしょ、ただのおっさんだよ」
先ほどから渚が近い。1つのパソコンモニターを2人での祖き込んでいるのだから当たり前だ。しかもいい匂いまでしてくる。家具と言うか、パソコンデスクの配置は、ダブルベッドの「足元」方向になっている。ここしか置き場が無いので仕方がないし、一人暮らしで不便は無い。しかし、パソコンデスクの椅子の高さはダブルベッドのマットレスと同じ高さだ。椅子からちょっとズレるだけで、そこはベッドなのだ。
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