9月はHarvest Moon.
僕は有頂天であった。あの渚を抱くことが出来たのだ。いや、抱いただけではなかったことと言うのが僕をすっかり有頂天にさせたのだ。正直、金を積めばどうにかなるのがセックスだが、心までは奪えない。「金で買える愛もある」ことに異論は無いが、渚はそんな「金勘定」でどうにかなるわけではないと思える。僕は家に帰り、翌朝の仕事に備えて支度をした。ご飯を炊いて、制服をハンガーにかけ直した。警備員の制服は「ノーアイロン仕様」なので、皺もハンガーにかけるだけで伸びる。皺くちゃ状態でも、湿気のこもった浴室にぶら下げれば元通りだ。「警備」の仕事は身だしなみも大事。そんな準備を手早く済ませてベッドに入った。今日の「最高の体験」を検証する時間だ。いつも通りデートして、渚が結構しつこくスキンシップを仕掛けてくるのをかわしていたら、怒られた。あの時のやり取りを反芻してみる。
つまり、「僕は渚と付き合える自信がない」と言った。渚は「私を抱いたら自信を持てる?」と訊いてきた。簡単に言えばこう言うことだ。僕は「渚と付き合える自信」を持たされたのだ。そうでなかったら、渚の話す言語は僕の知ってる日本語ではない。僕は「渚と付き合ってる男」なのだ。
いや、早計か?
「自信を持って欲しいが、まだ彼氏、彼女じゃないのよ」と言う主張もあり得そうだ。これからは「私に相応しい男性になってね」と言うことになるのだろうか?でもセックスはしたよな。普通、彼氏だけに許される特権である。稀に、あちこちで抱かれてくる女の子さんもいるが、渚はそんな子には見えない。それに、最近はセックスもしていなかったようで、挿入時に若干の痛みがあったようだし、中はきつかった。ここ半年は確実にセックスをしていないだろう。そう、僕が勝手に「渚の本命」とみなして嫉妬心を燃やしたバンドのボーカルも、最初のデートの時に、僕と別れた後会った「男」もライバルでは無かったわけだ。
そうなの?
年齢差は綺麗に「ダブルスコア」の21歳の女の子さんと42歳のおっさん。僕がセックスに慣れているのは当たり前だが、渚はどうだろうか?21歳にしてはあまりにも「小悪魔」であった。初めてのセックスの「どことない気まずさ」が無かった。もう10回は抱いた相手とベッドに入るような安心感。その割には僕のペニスは緊張で勃たなかったのだが、それさえも乗り越えてリードしてくれた。そう、渚はセックスまで上手なのだ。誘い上手でもあった。アレで「いや、そういう関係は求めていないんだ」と言える男は、さっさと禅寺に行って、生涯を仏と共に過ごす資格がある。
なお、渚の反応は可愛かった。
とっくに渚には「もう家に着いた?」メールをしていて、「うん。今日はありがとう」と言う返事を貰っていた。僕はこう返信した、「素敵だったよ」と。返事は無かった。きっとケータイを見ながら、顔を赤くして足をじたばたさせているのだろう。寝ることにした。実は、別れ際に次のデートの約束はしてあった。「パソコンを見に行く」と言う約束だ。9月の第一週の木曜日だった。渚は休みが不定期だが、木曜日休みが多かった。日曜日も休みになることが多い。週休2日制とは、異世界のモノだと思っていた僕には新鮮だった。若い頃、サラリーマンをしていた時は「隔週週休2日制」で、祝日があると「週休に算入されていた」ので、若干多く休めるなあと言う程度であった。僕は掛け持ちでアルバイトをしている。警備員の日勤と、社長の工場の夜勤である。日曜日は積極的に出勤していた。警備員の日曜日は、主に駐車場警備ばかりなので楽なのだ。しかも夜勤は無い。月曜日の早朝に出勤して、工場の製造機を起動させておくだけで給料が出る。ほんの4時間で終わる仕事だ。警備員のアルバイトで生活費を稼ぎ、工場の給料で病院の返済して、なおかなり余裕があった。「かなりの余裕」と言っても、数万円程度だが・・・
このような理由から、僕と渚のデートは木曜日が多かった。僕は木曜日には仕事を入れなかったから、上手い具合に渚が木曜日休みの週に会うことになっていた。
僕は実はパソコンには詳しくない。しかし、渚は何も知らないのだから、多少は助けになると思って、一緒に見に行くことになったのだ。最初から「新品」と言うのも勿体ない話で、どうせ物足りなくなるか、壊すかである。1台目のパソコンは「何もしてないのに壊れた」と言う女の子さんの談話が出てくるくらい脆いのだ。僕のパソコンも中古のノートから始まった。写真の仕事をしていた頃に買ったノートパソコンは、現場でデジタル写真の結果を見るのに重宝するはずだった。パソコン購入直後に身体を壊したりしなければの話だけど。
そのノートパソコンは、キーボードを清掃する時に、うっかり水分を染み込ませてしまい、壊れてしまった。当時のパソコンは、今のスマホよりも低スペックでも10万円はしたものだ。2台目はもう持ち歩く必要も無いので、ミドルタワーの据え置き型を買った。コレは価格の割に高性能で気に入った。Pentium4HTは今では通用しないCPUだが、ネットサーフィンや動画閲覧程度なら、Pentium4の次の世代、「Core2duo」でもどうにかなる。流石に写真編集に使うとストレスを感じるが。
「1000ドルパソコン」が一世を風靡した時代も過ぎて、中古パソコンなら5万円台で買える時代になっていた。ノートの方が割高なのは、「オールインワン」であったからだろう。据え置きタワー型では、本体の他にモニターやスピーカーは最低限必須であったから。キーボードやマウスは、友達に貰えば済む。何故か、パソコンを買い替えるたびに付属してくるので、パソコンユーザーの家では余りまくっていたから。
渚の「1台目」は中古でいいだろうと判断して、僕の住む街には中古ショップが無いので、電車で小一時間離れた街まで行くことにした。当然、僕の街で待ち合わせてから行くと面倒なので、その街のその駅で待ち合わせをすることにした。結構大きな駅なので、僕も渚も「使ったことがある駅」なので不安は無い。どうせ改札口の前で待ち合わせだし。
それでもそこでの待ち合わせは初めてなので、僕は30分前には到着していた。先に渚を待たせるのは犯罪行為である。まだ駅構内に灰皿があった時代。僕はスタンド型の灰皿の横に立ち、煙草を吸いながら渚を待っていた。渚も喫煙者だが、僕の前ではあまり吸わなくなった。僕は結構なスモーカーで、1時間に2本は吸う。喫茶店で吸ったり、フォトデート中は立ち止まって吸っていた。「歩きたばこ」は禁止だが、「路上喫煙」には寛容だった時代だ。吸い殻のポイ捨ては、いつの時代でも嫌われるので、携帯灰皿をポケットに入れていた。渚は喫茶店で1本、僕に付き合うようにして1本と、1日に3本も吸っていただろうか?1箱で2日持つと言っていたから、僕のようなニコチン依存症では無いのだろう。
「洋ちゃんっ!」呼び名が変わった。親しみを込めた呼び方だ。僕はすでに渚を呼び捨てにしていたけれど。渚に「洋ちゃん」と呼ばれるとちょっとくすぐったくて、幸福感に包まれる。
「早いな」と僕が言うと「洋ちゃんの方が早い」だそうで、ソレはまぁ色々な意味で「早い」ので反論できなかった。次こそは15分は頑張りたいと思う。
二人で連れ立って歩く。渚が歩く位置が変わっていた。僕の右半歩「前」を歩くようになっていた。コレが威力絶大で(笑)
正面から来た歩行者は必ず「渚を避ける」のだ。つまり、人ごみの中でも真っすぐ歩ける。相変わらず、抜き身のポン刀みたいな迫力がある。僕はもうそんな渚を見ることは滅多に無くなっていたが。そう、渚は「美しさはそのままに」僕には可愛い顔を見せるようになったのだ。コレがもう可愛い。いつからだろうか、渚は僕には「千切れんばかりにしっぽを振る」ように接してきた。特にお腹が空いた時は、「○○でご飯を食おうか?」と言うだけで、ブンブンっとしっぽを振ったりする。リアルにしっぽが生えているわけではないが、もしもしっぽがあれば千切れるんじゃないかと思うほどだ。こんなに愛情表現が豊かな子だとは思っていなかった。僕は鈍感なのだ。初デートが吉野家。渚は必ず僕の半歩後ろを歩いていたから、気づかなかっただけだろう。
よく、「美人は3日で飽きるが、ブスは3日で慣れる」と言う。アレは嘘だ。整形美人なら飽きることもありそうだが、表情豊かな美人には「毎日発見がある」ので飽きない。ベッドでも毎回反応が違うし。しかし、ブスは3日経っても1週間たってもブスのままだ。
お目当てのパソコンショップまで駅から10分ほどだった。この日は、良さげな品があれば買って持ち帰る予定だったので、お互いにカメラを持っていない。何となく街を散策するように歩く。「帰りにここでご飯を食べようよ」と、渚はちょっと洒落た店を指した。店先の黒板には白とピンクのチョークで「本日のランチ」とか「お勧めセット」が、可愛い女の子文字で書いてあった。値段はそこそこである。僕の住む街よりは高めだった。都会は凄いなと思った。
渚が急に立ち止まったので追突した。過失割合10:0は厳しいものだ。「どうした?」と訊くと、振り向いて「私、”素敵だった”なんて言われたの、初めてです」と照れていた。この生き物は可愛さだけで人生を渡っていけそうだ。
お目当てのパソコンショップは家電量販店の地下にあった。家電量販店地下なので、中古ショップと言えどかなり広い。新品コーナーはノート型とタワー型に分けられていて、中古も同じだが「価格帯別」にもなっていた。僕は渚に「ノートパソコン」を勧める気だった。理由は、若干高くても、初期設定だけしてあげれば、あとは勝手に学ぶだろうと言う思惑があったからだ。僕にもう少し強引なところがあれば、タワー型を買って、「セットアップしてあげるよ」と、渚の部屋まで押しかけていただろう。渚は広い店内をあちこちうろうろしていた。僕は渚が視界から外れない程度について歩いた。追いつくと、渚はかなり性能の高いタワー型パソコンを見てはため息をついていた。僕もため息をつくような値段だった。
「最初は安いのでいいんだよ。どうせ後から買い替えるんだし」
「だったら、最初からいいやつを買う方がよくない?」
「1台目は壊れるんだよ。本当に壊れる」
「なんで?」
「女の子がよく言う言葉に”何もしてないのに壊れた”と言うのがあってだな」
「私はそんなことは言いません」(笑)
「練習用に中古を買うのがお勧め」
僕と渚は中古パソコンコーナーに向かった。中古でもハイスペックなモノはやはり高い。しかもノートパソコン希望だ。渚は不思議そうに「ノートの方が高いでしょ?」と訊いてきた。ソレアそうだが、周辺機器を一通り買えばそれなりの値段になることを説明した。スペックは下がるが、ノートの方が楽だ。第一、渚はパソコンのことを何も知らない。僕も人のことは言えないが、パソコンを買い替えて設定して使うことぐらいは出来る。そして、そのセッティングをすることを口実に、渚の部屋を訪れる気は無い。
「ノートかぁ」
渚は若干不満げだ。聞けば「ゲームもしたい」と言う。きっとモンハンだろう。そこまでの性能を満たすパソコンはかなり高い。当時のノートでは難しかったはずだ。とは言え、設置してセッティングして、ネット回線に繋いで・・・なんていう作業も出来ないだろう。
「慣れたらデカい据え置きを買えばいいじゃん。今日はノートにしておけば?」
「う~ん。でも高いなぁ」
「これならどう?」
僕は6万円台の、そこそこ良さげな中古を見つけた。僕が使っていた「スリムノート」ではなく、デザインは厚ぼったいが性能は悪くない。正直、うちのPentium4よりも使えそうだ。
「6万?そんなにお金持ってきてないよ?」
「お金があればこれでもいい?」
「うん、コレで練習すればいいんでしょ?」
「そうそう」
「予約とか取り置きとか出来るのかな?」
僕はそう言う渚を尻目に、そのパソコンをレジカウンターまで運んだ。意外と重い・・・
「洋ちゃん、お金無いってば」
「いーよ、俺が出すから。全部は出さないぞ、渚も少し出せ」
僕は「正式なお付き合いが成立していない場合」は、高額商品を買ってあげることはしない主義だ。大部分は出しても、必ず女の子さんにも金を出させる。
コレが、僕が決定的に「モテない」理由なのは知っている。
渚は何かつぶやきながら、あの大きなバッグの中の財布から1万5千円を出した。僕はそこから5千円札だけを引き抜いて「これでいいいよ」と言った。5千円程度と侮るなかれ。今日の予定では、この後食事して、お茶ぐらいはするので5千円あれば足りる。その資金だ。
店員さんに尋ねたところ、Windowsxpとオフィス付きらしい。バッテリーには充電されてるそうなので、どこか適当な喫茶店で軽く設定だけしてあげればいいだろう。ネットに繋ぐなら、ケーブルを挿せばいい程度に。
梱包されたパソコンを抱きしめて、渚はニッコニコだった。重いから俺が持つよと言っても「いいの」と、抱きしめて離さない。
駅に向かう途中で目星を付けておいたカフェで食事した。食い足りない量だったが美味しかった。
この先の予定を考える。この大きな駅からだと、渚の住む街の方が近い。渚をその駅まで送ってバイバイするつもりだったので、その前にパソコンの設定をしたい。前回はラブホテルに入ったが、今回も入れるなんて甘い考えは抱いていない。本当に抱いていない。
ならば、長居をしても大丈夫な店でパソコンの設定と基本操作ぐらいは教えておきたい。
「なあ、マックでいい?」
「うん?」
「パソコン。そのままじゃ使えないんだ」
「そうなの?」
「ちょっとした初期設定が必要なんだ」
「じゃ、マックでやってくれるの?」
「うん」
と言うことで、駅前のマックに入った。飯は食ったばかりなので、アイスコーヒーとアイスティ。コレだけでは悪いかと思ってポテトのLサイズを1つ追加。カフェの食事の量はちょっと物足りなかった。
僕はいくつか質問しながら作業した。大した作業では無かった。実際に家で運用するならば、メールアカウントやら、色々設定が必要だが、これは買ってきたばかりでネットに繋いでいない。言語設定(当時は必要だった)して、オフィスのプロダクトキーを打ち込んでおいた。渚は事務職なので、ワードとエクセルぐらいは使えると言う。どの程度かと訊いたら「数字を打ち込んだり、文を清書したり」だそうで、単純なことなら出来るらしい。エクセルとか、使いこなすのは難しいからね。
ふと気づいて渚に「マウス、買った方がいいよ」と言っておいた。ノートの「パッド」は意外と使いにくいものだ。僕はちょこっと調べて、渚にメモを取らせた。
「マウスを繋いだら、このF8キーとシフトキーを同時押し。するとパッドが無効になるから」
「そしたら動かせなくなるよ?」
「マウスを繋いでからだよ。問題ないし、マウスを繋いでパッドも有効だと変な動作をするから」
「ふーん」
「持ち歩くには重いから、据え置きだね」
「うん」
「写真はどうする?キャノンは付属ソフトがあったはずだけど」
「CDのヤツ?」
「そうソレ。ここの光学ドライブにCDを入れて、あとは画面に出てくる通りに操作すればいいから。ソレでインストール完了って出れば終わり」
「はぁ」
あとはお勧めのフリーソフトをいくつかメモさせた。意外と無料ソフトでも使えるものがある。
ブラウザはIEでいいだろう。僕はいくつか使っていたが、最終的にはFirefoxに落ち着いたけど。
渚はインディーズバンドの追っかけをしているぐらいなので「音楽好き」だ。パソコンでCDやDVDを再生出来ることを教えた。もちろん「CDに焼く方法」も教えた。理解したかどうかは判然としなかったが。
内蔵のスピーカーがしょぼいので「イヤホン」を買うように勧めた。単体のスピーカーを買うよりはいいだろう。僕は周辺機器としてスピーカーも買っていたが。
広げたパソコンの箱をまた綺麗に梱包状態にしてマックを出た。渚は嬉しそうに結構重い箱を持っている。
駅に着いて、僕は渚の住む街の駅まで送ると言った。渚は不満そうにしていたが、翌朝も仕事だと言うと、コクリと頷いた。渚の住む街の駅は小さかった。僕は改札の内側ギリギリまで送った。渚は改札を通る前に僕に手招きした。
顔を寄せると、渚はちょっと背伸びして僕の首筋にキスをした。小さい駅で良かった。
「次はしようね」
多分、セックスのことだと思った。
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