十四夜。

左足首の捻挫で仕事を休んだ。その2日目だったろうか?僕は深夜に猛烈な腹痛で目が醒めた。この痛さには覚えがある。尿管結石である。体質的に石が出来やすく、ソレまでに3回入院している。医師には「人生の中で、あと2回は再発と言うか、結石が出来るよ。ほうれん草とかアクの強い野菜は避けなさい」と言われていた。その予言通りとなった。ちなみに今これを書いている僕は「まだ」人生で最後になるであろう結石は出来ていない。


兎に角、入院だけは避けたい。そもそも入院費が無い。払えないことも無いが、ソレはすなわち、今支払いを続けている病院に頭を下げて「支払いを1か月ほど待ってもらう」と言うことだ。結石が小さければ、大量の水分摂取で流れることもある。僕はひたすらお茶を飲んだ。飽きると紅茶を飲んだ。尿量が増えて、この調子なら・・・と思った。甘かった。痛みは増すばかりである。40歳の男が「痛い・・・」と呟いて涙を流すレベルである。いよいよ限界を迎え、僕は痛む腹を抱えるようにして、かかりつけの病院まで行った。夜間診療になってしまったが、救急担当の医師が優秀で、レントゲンだけで診断を下してくれた。

医師は看護師に目配せした。治療用のワゴンを押して看護師は診察室を出て行った。僕はこの時点で察した。「帰れない」と。

「よく我慢したねと誉めたいが、我慢し過ぎだ。結石から腎盂炎になった。そしてそのまま水腎症だ。レントゲンだけで腫れ上がった腎臓が見える。ほらここ。うっすらと見えてるのが腎臓だ。通常はこのくらいの大きさなんだが」と言うと、僕のレントゲン写真の腹のあたりをボールペンの先でなぞった。うっすらと見える腎臓の半分ぐらいだった。

「今、病室の準備をしているから。今日は帰れないよ、いや、3日間は絶対安静だな。点滴で痛み止めと石を溶かす薬を入れる。水分も入れるが、飲めるだけ飲んでいい。食事はまあ普通食でいいだろう」


入院期間はどのくらいになるだろう?医師が言うには「石が流れるまで」だそうだ。その前に水腎症の治療もしなければならないそうで、これも点滴と投薬でどうにかなると言っていた。金の無い僕にとっては死刑宣告である。財布の中には1万数千円しか入っていない。入院の「保証金」として1万円を献上することになるから、実質数千円である。

幸い、24時間の点滴を3日間やって、痛みも引いてきたので、いったん帰宅して入院の準備をすることにした。まだまだ時間はかかりそうだ。1日おきに医師が診察してくれる。痛みの度合いではかっているようだ。1週間目には入院生活にも慣れて、不満はシャワーすら浴びられないことぐらい。毎朝、医療実習生が身体を清拭してくれることだけが救いだ。頭髪は・・・同じ入院患者の若い男が「シャンプーあるから、あっちの水場で洗えるよ」と声をかけてくれた。シャンプーまで使わせてくれたので、お礼に甘いお菓子を差し入れした。入院患者の楽しみと言えば、食うことぐらいだ。当然だが、その若い男が食事制限を受けていないことは確認済みだ。そんな調子で10日間。「石が消えた」と言うことで晴れて退院となった。これで、また現場に出ることが出来る。僕は2日間ほど身体を休めて職場復帰するつもりだった。


帰宅して一晩。翌朝には、僕の身体は完全に「壊れて」いた。全身を襲う激痛と、動かない手足。本当に動かないのだ。かろうじて右手は動くが、生憎と僕は左利きだ。この体の故障は今でも原因不明である。多少ググった結果では「ギランバレー症候群」に近かったと思う。両脚の筋力が落ち、関節すら支えられないのだ。朝起きてトイレに行く。これだけで20分を要した。1DKの狭いアパート。トイレまで3~4メートルである。コレが歩けない。激痛が走るし、関節がぐにゃぐにゃである。どうにかベッドから立ち上がり、体重を「まっすぐ下にかける」ことで、関節が動かせないことをカバーした。その調子でじわじわと前に進むのだ。苦行であるし、何よりも心配になったのは「食事」である。退院してきた翌日であるから、冷蔵庫も空っぽで、カップ麺すらない状態だった。僕の住んでいたアパートは「大家さんが同居していて、隣の部屋も大家さんの持ち部屋」だったので、壁をドンドンと叩いて、どうにか大家さんに会うことが出来た。大家さんがチャイムを鳴らす。僕は大声で「身体が動かせないんです。今ドアを開けます。ちょっと待っててください」と言って、10分以上かけてドアに辿り着いた。その間、大家さんは「大丈夫なのか?」と励ましてくれた。ドアを開け、げた箱の上に置いてある財布を差し出して「すいません。あの・・・食べ物を買ってきていただけませんか?」とお願いした。大家さんは僕の様子を見てびっくりしていた。青い顔で壁に寄りかかってどうにか立っていたからだ。大家さんは気を利かせてくれて、弁当3つとカップ麺を買ってきてくれた。あとはおにぎりと菓子パンであった。菓子パンは非常に助かった。日持ちするからである。


ここから容態はさらに悪化した。出来ることと言えば、20分かけてトイレに行くことぐらいだ。利き腕が使えないのは「腱鞘炎」のせいだった。痛くて動かせないので、弁当を手掴みで食べた。菓子パンの袋は噛み破った。発病から3日目。もう動けない。全身を激痛が襲い、眠ることも出来ない。救急車のお世話になるしかなかった。アパートの階段は狭く、担架では運べないと言うことで、シーツに包んで僕を運ぼうとするのだが、ちょっと動かすだけで激痛が走る。シーツの中に入ることも出来ない。それでも運ばないと病院に搬送出来ないので、救急隊員に励まされながら、僕は悲鳴を上げながら階段を降った。


また「かかりつけの総合病院」に運ばれた。「今度はどうした?」みたいな感じであった。診察を受けるまで僕は救急処置室の硬いベッドに寝かされたが、正直安堵していた。救急車が揺れるだけで激痛なのだ。もう病院に着いたし、きっと医師が的確な診断をして、この痛みをどうにかしてくれると信じていた。

結果はむごいものだった。血液検査をしてもレントゲンを撮っても異常が無いのだ。これだけ痛みを訴えるのだから「全身に炎症があるのかもしれない」と言う見立ては狂い、歩けない原因の関節も問題が無い。筋力は一切ないのだが、この診断は難しいようで、僕は入院すら出来ずに帰宅することとなった。痛み止めはたっぷり処方された。既に「院内薬局」は無い時代だが、救急の患者に対応できるように薬剤師がいる。通常は3日分も出せば足りる救急の患者だが、動けないと言うことで、しっかり3週間分の処方をしてくれた。ボルタレンの座薬だけが頼りの生活が始まった。松葉杖を2本、レンタルした。1日あたり50円だそうだ。入院費よりも安くつくが、生活には不安しかない。そう言えば、支払いをしている病院にも連絡をしないといけない。


ボルタレン座薬を入れると、2時間ほどは動けた。動けると言っても、2本の松葉杖で身体を無理やり引きずって歩けるだけであった。すれ違う主婦が僕を見て「可哀そうに・・・」と言ったが、何が可哀そうなものか、僕は生きているし生きるつもりだ。そんな歩き方なので、買い物は夜間にしていた。大家さんを頼ることも出来るが、僕は長い入院生活(10年は入退院を繰り返していた)の間に、コミュニケーションが苦手になったようだ。早い話が「人間が好きではなくなった」わけだ。なるべくなら誰かを頼りにしたくはない。近所、そう、健康な時なら徒歩3分の所に大きなスーパーがあった。夜間も22:00まで営業している。僕は買い物かごを持てないので、カートに籠を乗せてぽーんっと押して歩いて買い物をした。両手に松葉杖ではこうするしかない。買い物袋を持ち帰ることも難しいので、リュックを背負って行ったが、家でリュックを背負うのにも苦労した。夜遅い時間に買い物に行くと、弁当の類は売り切れだったりした。そんな時はバナナとか、ご飯パックを買うのだが、それじゃ栄養が足りない。深夜のコンビニで美味そうな弁当を買うこともあった。普段なら10分。そんな道のりを1時間近くかけて歩く。弁当の棚の前に買い物かごを置いて、弁当を2つ3つ放り込む。金が無いのでカップ麺は買えない。袋ラーメンを買う。レジではポケットの財布を出すのもやっとで、お釣りを財布に入れてもらい、ダウンジャケットの胸のポケットに入れてもらう。本当にみじめな思いをしたが、あの時「生きる」ことを選んだことを、僕は今でも誇りに思っている。


バスに乗れるようになって、僕は「大学病院」にも行ってみた。大学病院なら、この疾患の治療法もあるかも知れないと思ったのだ。運が悪かった。当たった医師は若い研修医で、「血液検査に異常は無いので、こちらでは何も出来ません」と、取り付く島もないのだ。以来、僕は大学病院を嫌っている。

 近所の整形外科で鎮痛剤を出してもらう生活。痛いのはボルタレン座薬でどうにかなるようになった。座薬を入れて6時間は動けるようになった。僕を苦しめるのは「不眠症」になった。眠れないのだ。3日も4日も起きていると、脳が自動的にシャットダウンすることを知った。そして30分ほど意識を失い、また3日も4日も眠れないのだから、ストレスは溜まるばかり。どうにか松葉杖無しで歩けるようになるまで4か月。11月から翌年の3月までかかった。最初の2か月間で25㎏のダイエットに成功した。全てはストレスのせいであろう。眠れないので、仕方なく以前世話になった、そして支払い継続中の精神病院にも行くことになった。診断では「抑うつと不眠」と言うことで、抗うつ剤と睡眠薬を処方された。1か月分は出してくれるので助かった。そうそう何度も通院する余裕は無いのだ。身体の疾患は「かかりつけの総合病院」に頼るしかなかった。毎週1回、通っては「進展なし」の状態だったが、徐々に良くはなっていった。松葉杖はレンタルではなく「買取」を申し出た。この先も不安である。そのたびにレンタルするよりは買い取った方がいい。それに、次に運ばれる病院がここだとは限らないのだ。レンタル料金を払うと、買取価格は2千円弱で済んだ。高いのか安いのか分からないが、3か月も使っていれば「戦友」と同じだ。

 そんなある日のこと。もう松葉杖は1本で済むようになっていた。無ければ歩けないが、2本は必要ない感じ。左腕の腱鞘炎も長く煩わせてくれたが、どうにか治った。当時の病院にはまだ「喫煙所」があった。屋内ではないが、テラスのような場所にベンチシートと灰皿が置かれている。その日は血液検査の結果待ちで、意外と時間がかかった。仕方なしに喫煙所に行くことにした。煙草を吸っていれば、1時間ぐらいは潰せるだろう。僕はガラスのドアを右肩で押して開けて喫煙所に入った。左脚はまだ治っていない。


 彼女は「空間を占有している」ように見えた。ベンチシートの端に座っているが、誰も近づこうとしない。総合病院には結構やんちゃな男もいるものだが、誰一人、彼女に近づかない。入院患者なのは一目で分かった。まだ寒い3月上旬に、ジャージ姿とスニーカーで、ちょっと寒そうにしていた。


美しい人だった。



僕が一番近い「空いた席」にもたもたと歩いていると、すっくと立ちあがり近づいてきた。正直、罵倒されるかもと思うような、僕とは違う生き物だった。

「あのー、ライター貸してくれませんか?」

僕はポケットから、煙草をカートン買いするとサービスで貰えるライターを差し出して「それ、差し上げますよ」と言うのがやっとであった。絶対に僕とは縁のない人だったはずだ。年齢だってかなり違う。おまけに美しくて小さい。身長は150㎝も無いだろう。ライターを渡すと、僕はどうにか椅子に座ることに成功した。目の前に彼女のジャージのズボンのポケットがあって、そのポケットが「ライターの形に膨らんでいること」は敢えて無視した。勿論会話も無い。ただ「頂いちゃっていいんですか?」と言うので「うん」と答えただけだ。こんな人と関係を持ったら、それがメル友(当時はメールが通信手段だった)であっても、人生が狂うと思った。少しして、彼女はフイっと喫煙所を出て行った。僕はそのまま検査結果が出るまで、冷たくなる手を缶コーヒーで温めながら煙草を吸っていた。


翌週も彼女は喫煙所にいた。余程暇なのだろう。そして近づく人もいないのだろう。僕がベンチシートに座ると、隣に移動してきた。「この間はありがとう」と言う。ライターのことだ。「いや、火が無いと困るよね」と、なるべく失礼にはならないように、他人行儀にならないように言葉を選んだ。彼女はそのまま隣に座っている。「近づきがたい雰囲気」も、彼女のフィールドに入ってしまえば気にならない。

彼女は僕を観察していた。

「脚、悪いんですか?」と訊かれて、「もう3か月経ったんだけどね、まだ左脚だけが治らないんだ」と言うのがやっとであった。こんな美しい人と話したことが無いのだ。テレビを観れば、綺麗な芸能人が出演している。芸能人は「自分磨きに余念がない」から美しいのだろう。可愛い子なら、過去のカノジョにもいた。本当に可愛い子が多かった。しかし「美しい」としか表現できない女の子は初めてだったのだ。

「大丈夫っ!絶対に治るからっ!」と本気で励ましてくれた。僕はその言葉で彼女の顔、いや「瞳」を見た。

何と言う強さだろうか。この子の瞳には「強靭さ」があった。僕は「ありがとう」と言って、訊いてもいいのかなと逡巡しつつも「入院してるんだよね?」と訊いてみた。彼女は微笑みながら「白血球がゼロになっちゃって」(笑)と答えた。ソレは重病ではないかと思ったが、重病患者が喫煙所にいるわけがない。「大丈夫。もうすぐ退院なんです」と続けて言った。


翌週も彼女は喫煙所にいた。必ず僕の隣に座ってくる。隣に空きが無くとも、彼女が隣の誰かを見詰めるだけで席が空いた。怖い子だと思った。ぽつぽつと雑談とも言えない会話をする。彼女の名は「谷口渚」であった。僕も自己紹介した。「安元洋二って言うんだ」そして、その日に電話番号を教えあった。当時の僕は携帯(ガラケーとは懐かしい)を3台持ちしていた。仕事とプライベートで使う回線と、もう依頼も無いが写真の仕事やライターの仕事用の回線。もう1回線は「ネット開通の時に契約した維持費激安の某バンク」の回線で、全く使っていなかった。あまりに使わないので、料金未納で「色付きの封筒」が来るくらいどうでもいい回線だ。


そして、4回目に喫煙所で会うことは無かった。退院したのだろうと納得した。

それだけの関係だった。

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