第4/9話 ダウンヒル

 しかし、そうぼやきながらも、一寿は、何が起きたかに、ある程度の見当がついていた。

(高速で回転し過ぎたために、軸が折れたに違いない……家が傾き始める前の、あの、ぼきいん、という音。あれは、柱が壊れた時の物だったんだろう。

 それで、支えを失った住居は、土台を転がり落ちて、地面に衝突して停止した、というわけだ)

 一寿は、ふと思いついて、天井に付いている照明に視線を遣った。相変わらず、点いたままの状態であり、辺りに光を放っている。

 彼は、この住宅のコンピューターシステムに関する仕様書に記述されていた内容を思い返した。たしか、一階の機械室には、自家発電装置があったはずだ。それにより、球体が土台から離れてしまった現在においても、電気が通じたままになっているのだろう。

(……そういえば、家は今、どこにあるんだ?)

 一寿は、大窓に視線を遣った。屋外の光景を確認する。

 地面には、鉄道の線路が敷かれている。それは単線で、大窓の真下から、左カーブを描きながら伸びていた。向かって左のレール脇には、高さ三メートルほどの台地があるせいで、見通しが悪く、曲がった先がどうなっているかまでは、わからない。向かって右のレール脇には、金網が立てられており、その向こう側には、水田が広がっていた。

(どうやら、この住居は、現在、近所を通っている鉄道の線路の上で、静止しているようだな)

 一寿は次に、記憶を探り始めた。レールがこの家を通り過ぎた後における、周辺の様子を、思い出そうとする。

 線路は、数百メートルにわたり、まっすぐに敷かれている。両脇には金網が立てられており、それらの向こう側には、水田が広がっている。

 まだ、この家から十メートル弱離れた所では、車道が垂直に交差している。踏切から、向かって右へ伸びていく道路は、水平だが、向かって左へ伸びていく道路は、下り坂になっている。以上のような景色だったはずだ。

「まったく、酷い目に遭った……」

 一寿は、思わずぼやいた。その頃になってようやく、体のあちこちに出来た痣や傷などからの痛みを感じられるようになってきた。「あいててて……」と呟きながら、左右それぞれの手で、ずきずきする箇所を摩ろうとする。

 直後、かんかんかんかん、という音が、屋外から聞こえてきた。それを耳にして、彼は最初、驚いたが、間もなく、(なんだ、踏切か……)と納得した。しかしすぐさま、「待て、踏切だと?!」と大声を上げた。

(警報機が鳴っている、ということは、電車が近づいてきている、ということじゃないか……! まずい、まずいぞ……家は、線路上で静止しているんだ……ここに、やってこられたら……!)

 一寿は、ばっ、と、大窓の外の光景を確認した。左へカーブしている線路の奥、台地に遮られて見えなくなっている地点のあたりを、じいっ、と凝視し始める。

(こちら側の、曲がっているほうの線路からは、電車には、やってきてほしくない……反対側の、まっすぐに伸びているほうの線路から、走ってきてほしい。それなら、見通しがいいから、運転士は、確実にこの家の存在に気づく。気づいたならば、とうぜん、急ブレーキをかけるだろう。衝突は避けられるはずだ)

 しかし、期待は裏切られた。電車は、大窓の外、レールの左脇にある台地の陰から、ぬっ、と姿を現したのだ。運転士の顔が、驚愕に染まったのが見えた。

「ちくしょうっ!」

 一寿は大窓に近づくと、奥にあるほうのサッシを左へスライドさせて、閉めた。これに使われているガラスは、とても頑丈なタイプであり、たとえボウリング球をぶつけたとしても、割れないようになっている。電車がぶつかる時の衝撃を、少しでも和らげられないか、と考えたのだ。

 運転士が、手元の装置に対し、何かしらの操作を行ったのが見えた。その後すぐさま、車両が、きいいいい、という音を立てながら、スピードを急激に落とし始めた。

 しかし、とうてい間に合わなかった。電車は、姿を現した頃とほとんど変わらない速度で、家に突っ込んできた。

「ぬお……!」

 一寿は四つん這いで、だだだ、と右方へ移動した。大窓から、できるだけ距離を取る。

 次の瞬間、電車が、家に、どがあん、とラムアタックを食らわせた。

 びしいっ、という音がして、窓ガラスに大きな罅が入った。しかし、割れることはなかった。衝撃により、住宅が、ぐるん、と回転した。

「おわっ!」

 思わず、叫んだ。一寿の体は、ごろごろ、と、下り斜面と化した壁を転がると、その先にある、上り斜面と化している床との境目に、どし、とぶつかった。

 間髪入れずに、床のほうへ、ばっ、とジャンプする。その判断は、正解だった。直後、壁のあちこちに散乱していた物が、ざざざ、と、滑り下りてきて、がしゃがしゃがしゃあん、と、床との境目、彼がさきほどまでいたあたりに衝突したのだ。もし、あの場にじっとしていれば、ナイフだのガラス片だのが、突き刺さっているところだった。

「クソが……!」

 床の勾配は、一寿がジャンプする直前の時点では、まだ、きつかった。しかし、それは、彼が跳び、その体が頂点付近に達する頃にはもう、緩やかになっていた。彼はフローリングに、張りつくようにして着地した。

 ほっ、となどしていられなかった。その後も床は、どんどん傾いていっており、すでに、水平面とほとんど変わらないくらいになっていた。このまま、水平になったとしても、すぐにそれを超え、今度は、反対方向へと傾いていくに決まっていた。

「く……!」

 一寿は、がばっ、と立ち上がった。部屋の、床と、反対側にある壁との境目めがけて、だだだっ、と走る。

 彼が目当ての場所に到着する頃には、すでに床は、こちらの壁に向かって傾き始めていた。背後から、ずざざざざ、という、本能的に嫌悪を感じるような音が、迫ってきていた。小物類が滑っている音に違いなかった。

「ええい!」

 一寿は、後ろを、ばっ、と振り返った。やってくる小物類を、ある程度引きつけてから、ばっ、とジャンプする。上り斜面と化している天井に、がし、と張りつくようにして、着地した。

 その後も彼は、鬼ごっこを続けた。さいわい、というべきか、とうぜん、というべきか、ほとんどの小物類が、転がって動くことなど想定されていない、角張った形状をしている。ワゴンも今や、横転し、平らである側面を、地面に接触させていた。それらが室内を滑る速度は、それほど高くなく、じゅうぶん対応することができた。

「ふう、はあ、はあ、ぜえ、ぜえ、ぜえ……!」

 しかし、スタミナという点を考慮するなら、一寿の分が悪かった。なにせ、家が回る間はずっと、室内を駆け続けなければならないのだ。ちょっと立ち止まって休憩、なんていう行為は、夢のまた夢だった。

(まだ、回転は止まらないのか……!)一寿は、大窓に視線を向けると、屋外の光景を確認した。

 いつの間にやら、家は、緩やかな下り坂である車道を転がっていた。踏切から伸びている道に違いなかった。

 走ってくる自動車たちが、こちらを見つけては、仰天し、左へ右へと、避けているのが見える。道路は、片側二車線で、中央分離帯は置かれていない。家は、四本ある車線のうち、右端の物を覗く三車線、さらには、道路の左に設けられている歩道に跨るようにして、進んでいた。

 途中、左側の歩道を進んでいる男性サラリーマンが、転がる家に追いかけられる、という場面があった。轢いてしまわないだろうか、と、はらはらしたが、最終的に彼は、道の脇にあった池に飛び込み、進路上から外れてくれたため、ほっ、とした。

(早、早く、終わ、終わってくれ、下、下り坂……!)一寿は心の中で喚きながら、ひたすら、リビングを駆け続けた。

 しばらくした後、念願の、下り坂の終点が見えてきた。数十メートル前方に、丁字路がある。それの、左右に伸びる車道から先のエリアは、斜面ではなく、水平面だった。

 交差点の突き当たりには、駐車場が広がっている。それの右方に建てられているカーディーラーの、敷地の一部であるようだ。どうやら、客が利用するためではなく、商品を展示するための場所らしい。さまざまな種類の自動車が、たくさん停められていた。

(やった──!)一瞬、顔がにやけた。

 家は、丁字路めがけて、どんどん転がっていった。相変わらず、こちらに向かって走ってくる自動車が何台かいて、それらはみな、向かって右にある歩道に乗り上げたり、向かって左にある水田に突っ込んだりした。

 一台、交差点にある横断歩道の手前で、信号待ちをしているセダンがいた。しかしそれも、家が接近していることに気がつくと、赤信号にもかかわらず、急発進しながら左折した。その後は、対向車線に乗り入れ、奥からやってきた路線バスのクラクションを浴びていた。

 やがて、家は丁字路に到着した。それから、突き当たりを左右に通っている歩道に乗り上げ、そこすらも通り過ぎた。カーディーラーの展示場へ入る。

 運悪く、進路上に、商品が一列に駐車されていた。家は、それらを、がしゃぐしゃごしゃ、と踏み潰しながら、転がっていった。自動車はいずれも、ルーフに大きな凹みができ、ウインドウのガラスは粉々に砕け、ボディはべこべこに歪んでしまった。

 数秒後、店舗のほうから、中年男性が一人、こちらめがけて走ってくるのが見えた。服装からして、店員だろう。彼は、とても慌てた表情をしていた。

(何しに来たんだ、危ないぞ!)

 一寿は、そう心の中で叫んだ。当然ながら、店員には聞こえない。

 彼は、家が踏み潰していっている自動車の列の最後尾に停められている、赤いスポーツカーに乗り込んだ。高級そうで、他とは格が違う、ということが、明らかにわかる。手前に、簡易な看板が立てられており、そこに、「当店No.1の高価格!」と書かれているのが見えた。

(なるほど、せめて一台だけでも、潰されないように遠ざけよう、ってことか……)

 そして、家が、スポーツカーの二台手前にまで迫ったところで、それは発車した。

 よほど、焦っていたのだろう。それは急発進すると、そのまま、正面にある、他の商品の列における最後尾に停められている、同じくらい高級そうな青いスポーツカーに、どがしゃあん、と正面衝突した。それの手前に立てられている簡易な看板には、「当店No.2の高価格!」と書かれていた。

 二台の自動車のボディは、ぐしゃぐしゃに拉げ、ウインドウのガラスは粉々に砕けた。エアバッグが、ぼん、と膨らんだ音が聞こえた。

 その頃には、もう、家の転がる速度は、だいぶ低くなっていた。そろそろ止まるのではないか、一寿はそんな期待を抱いた。

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