27.波紋は広がる


 学園で授業が本当に始まるのか疑問に思い始めた頃、日課をこなしてやることもないのでメイドさんの負担を減らすためにも掃除をしようと思い部屋に帰ると、ドーチェさんに呼び止められた。


「あっ、リンさん。今暇ですか?」


「いや、特には。今から掃除でもしようかと思ってたところなんだよね」


 そういうと、ドーチェさんは「メイドの仕事を奪わないでくださいよ~」と言いながら笑った。

 ここまではいつもある日常の光景だ。

 いつもはこのやり取りの後にドーチェさんと一緒に掃除をしたり、勉強をしたりしていたので今日もその流れかな? と思っていたが、今日はそういう用ではないみたいだ。


「リンさん、アリシア様がお呼びです。」


「ああ、そうなの。すぐ行くよ。ところでどんなようなのか知ってる?」


「いえ、何も聞いていません。リンさんを呼んで来てとだけ。ただ、あまりいい事ではないようです。」


 あまり良くないことか……さすがに今更殺されることもないだろうし、どんなことなのか皆目見当がつかない。

 最近は忙しいのかアリシア様の姿を見ていなかったので、もう忙しかった原因がさらに酷くなってこの寮を出て行かなくてはならないとかだったら僕は泣く。


 そんなことを考えながらドーチェさん案内の元、アリシア様の部屋に通される。

 ドーチェさんは出入り口で待機だ。さすがに信用が出来ようが出来まいが足の無いアリシア様を男と一緒に居させるわけにはいかないんだろう。

 この前のカタクリの調査で貴族の人は強力なモンスターをテイムしていて、平民には逆立ちしても敵わないような強さをしているらしいと分かったので、もしかしたら僕が守られている側なのかも知れない。


「おはようございます、リンさん。どうですか? 生活に不自由があったりしませんか?」


「いえいえ、とんでもないです。むしろ家事のほぼすべてをメイドさんたちにやって貰っていて普通よりも楽なくらいなんですから本当に感謝しています。」


「そうですか。それは良かった。」


 なんの対価もなく平民を部屋に入れてこの笑顔。

 アリシア様マジで神。


「それはそうと、今回リンさんをお呼びしたのは他でもありません。カタクリの方に動きがありました。」


 そう言われて少しだけ動揺した。

 てっきり僕は、カタクリからの攻撃が通じなくなって安全になったね、で終わりだと思っていた。

 でも、ちゃんと考えればまだ終わりじゃない。

 カタクリは腐っても貴族だし、戦闘以外でも何が起きるか分からないからアリシア様の部屋に来ているんだ。

 まだまだ油断していい段階じゃない。


「その動きってなんですか?」


 僕が訊いてみると、アリシア様は苦虫を噛み潰したよう顔をして言った。


「カタクリの寄親が出てきたんです。」


 僕がよく知らない言葉が出てきてポカンとしていることに気がついたアリシア様から寄親について説明を受ける。


 寄親とは、貴族の家どうしの関係を指していて、力が強くどこかの家を守るのが寄親。力が弱く寄親に頼ってくるのが寄子というらしい。

 今回はカタクリを守護する寄親が出てきて、僕との対立を公言したそうだ。


「つまりはリンさん一人に対して貴族としての最高位であるバージェス侯爵が家ごと敵になると言っているんです。」


 つまりは俺に死ねと?

 それって場合によっては何千万もいる領民にすら常に命を狙われるくらいだったり?

 ああ、そうだ。死ぬ前に一回くらいはお母さんに手紙出そうかな。何を書こうかな? モモってかわいい女友逹が出来たし、マリーっていかにも魔女っぽい知り合いができて、他にもたくさんの出来事が一ヶ月もしない間に起きてて……


「なので独断ですが、私はクリーク侯爵の長女としてリンさんを守ること、つまりバージェス侯爵と対立することを宣言する予定です。」


 バージェス侯爵と対立? クリーク侯爵とバージェス侯爵の2つの侯爵家が全面戦争始めるってこと?

 この学園は……戦場になる?


「ふふふ、リンさんの考えているような事態にはしないつもりですよ。私もこの学園で問題を起こしたいわけじゃないですから。解決策はもう用意してますよ。」


 そう言って微笑むアリシア様は控えめに言って女神に見えた。

 メイドさんの誰かがアリシア教始めないかな? 僕は即座に入会して会員ナンバー1になりたいんだけど。


 ともかく、アリシア様が優しいのはとっくの昔に分かっているのでいいとして、僕はその話を聞けて安心した。

 さっきまであった血の気の引いていた感覚はなくなって、今度はむしろアリシア様にお世話になりすぎてる気がして申し訳なくなってきた。

 赤の他人の僕にここまで良くしてくれるのは本当に嬉しい。


「何から何までありがとうございます」


 そういって頭を下げると、「どういたしまして」と言ってアリシア様は話を続けた。


「まず、今回の私がしようとしていることは時間がかかってしまえばあまり効果がありません。ですから独断でするのですが、それに加えて少しだけリンさんにも協力してほしいことがあります。」


 お願いできますか、と聞かれた僕の返答は当然即座に首を振ることだった。


「では、さっきも言った通りに時間がないので、準備した後に早速今日に実行したいのです。それまでの間にリンさんも準備をしてください。」


 準備? 何か準備があったのかと首を傾げる僕にアリシア様は変わらず微笑んだ表情のままでこう言った。


「戦闘する可能性もありますから」



★☆★☆★☆★☆★


 その後、戦闘の可能性もあるという言葉で急いでダンジョンにモンスターを迎えに行き、その帰りにはアリスを迎えに行くことにした。

 もしも呼ばなければなんで呼ばなかったの? と怒られるはずだからだ。


 いつものようにコンコンとノックをすると、「はーい」とアリスの声が聞こえる。

 待っていると出てきたのはいつもよりもラフな格好をしたアリスだった。


「あっリンだ。遊びに来たの? アイスあるけど食べる?」


 僕の身長が小さいからと薄着のまま男を部屋に入れるのはどうかと思う。

 しかも顔を見るに村に居た頃よりもずっと気が抜けているようだ。注意する親がいないし、面倒なのも分かるけどね。

 とりあえずアイスが融けてはいけないので僕は中に入り、アイスを貰うことにした。

 そうして僕とアリスがだらけながら今回ここに来た目的であるアリシア様の作戦の説明をした。


「じゃあ、結局はリンは何もしないの?」


「なんか僕を囮にしてカタクリが来るのを待つらしいね。僕がやるのは食堂で突っ立つだけなんだけど。」


 何もなくただ人の多い場所で僕への敵対を宣言したバージェス侯爵と、実際に僕がカタクリに手を出されかけたところを助けに入ったクリーク侯爵といった状況を作りたいようだ。

 そして人が沢山いるのはお昼時の食堂だ。

 貴族がそうしているため、後で食器さえ返せば部屋で食べることを許されてはいるが、誰もが出来立てを食べたいし、溢すというご飯が無くなるリスクを負ってまで部屋で食べたい人間は少ないため、大多数の生徒はここに来る。

 その中でカタクリと会いたくないという食堂を使わない立派な理由がある僕は今日初めて食堂に行く。

 そしてどうせならアリスやモモと一緒に行きたかったので僕が提案したら、アリシア様もその方が自然だと提案を受け入れ、ここに来た。そのことをそのまま伝えるとアリスはにやにやしたような表情で僕をからかいに来た。


「初めては私と行きたかった? やっぱりリンは私のこと好きなの?」


 何回もこの手の挑発というか、揶揄いは受けたことがあるけど、そのたびに僕ははぐらかしていた。昔も今も可愛いアリスに好き? と揶揄われるのは何か恥ずかしかったし、何より僕はそうした感情は出来るだけ出さないようにしていた。

 だが、今の僕は一味違う!


「うん、アリスのことは好きだよ?」


 少しは緊張するかと思っていたけど、自分でも驚くくらいにするっと言葉が口から出てきた。むしろ、昔からずっと一緒に居るアリスが嫌いなわけがない。

 僕がはぐらかすことを想定して追撃の言葉でも用意していたのか、空いたままの口が塞がらない様子のアリス。


「あ……ぇ……」


 声も出ないようでロボットのようにぎこちない様子で乗り出した姿勢を戻した。

 視線がきょろきょろと惑わせていて、決してこちらを見てこないのは僕も同じような心境になったことがあると思うから良く分かる。


 と、今度は僕がにやにやする番だと余裕たっぷりに見ていると、僕はその時初めて異変に気が付いた。


――アレ? ドア開いてない?


 汗を垂らしながら僕がゆっくりとそちらに首を回すと、チラリチラリとドアの隙間から見える犬耳。

 動揺していたのが嘘のように表情の無くなったアリスは音もなくドアに近付くとバンッと音を立てる勢いでドアを開け放った。


「あっ……」


 驚いた表情のモモは、じっと見ているアリスに気が付くと顔を青くして後ずさる。


 その後に何が起きたのかは知らない。

 僕は「出て」と言ったアリスに従い、部屋の外に出ただけだ。涙が落ちそうな犬っころなんて知らない。少し気になった後ろから聞こえてくる声も知らないし、あんな声を出す女の子なんて居ないはずだ。

 居ないはずなんだ……

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