君を幸せにする為に、僕に出来ること

将平(或いは、夢羽)

君を幸せにする為に、僕に出来ること


取り立てて不幸だとか。

かといって、溢れるばかりの幸せの中にいるとか。

そんなことはなくて。

至って、『平凡』。

そんな中に、僕は居た。

知らなかった。

『平凡』は人を殺す。









テスト用紙が返されて、右上に97点と書いてあって急に人生に面白味を無くしてしまった気がした。


「お前なら、もうワンランク上の高校でも目指せると思うぞ」


大人の身勝手な言葉。


「いえ…。僕、別に勉強したいとかじゃないんで」


夢なんてないから、『志望校』なんてない。

これから続く未来が想像できない。

部活は何と無く陸上部に入ったけど、先日の総体で引退した。特にこれという成績を残したわけではない。買ったユニフォームやスパイクがこれからゴミになると言うだけだった。


「まぁ、どうしてもこの高校に行きたいって言うなら、それもいいだろう」

「……」


そんなんじゃなくて。

そんなものはない。

“どうしても”こうしたい、なんて強い意思、僕にはない。


『あーっ!お前、自慢げに点数隠さないとこ、嫌味だろ』


毎回テストの度につっかかってくるクラスメイトがいる。彼はテストの右端を折り曲げて点数を見えないようにしていた。誰かに見られるかも、なんて自意識過剰だ。

彼に絡まれるのはめんどくさいな、といつも思う。

でも或いは『真剣に生きている』って彼みたいな人の事を指すのかなと思う。

淡々とした二者面談が終わり、解放されて教室を出た。


「なんて言われた?」


次の順番を待っていた女子が不安そうに僕に訊く。


「別に。志望校変えなくていいのか、とか。そういう話だったよ」

「わー!私とじゃ、成績全然違うもんね…!どうしよう私、『このままじゃ厳しい』とか言われたら、立ち直れるかなっ……」

「…………ガンバッテ」


彼女のそれはまるで一人言のようで。

実際、そうだったのだと思う。僕の返答なんてなんでもよかったのだ。

勝手に不安になって、勝手に僕と自分とのラインを引く。この会話にどれ程の意味があるのか。

先程の質問だってそう。どんな話をしたか、なんて。人によって違うだろうに。僕の話を聞いたって、参考になるわけでもない。


世界は、無駄なことで溢れている。


…気がする。

僕はいつも、そう思う。

例えば、此処に僕が居る意味だってそう。

誰のなんの役にも立てていないけど、存在している意味って、あるの?


家に帰るまでの道のりには、大きなパチンコ屋の横を通る。

いつだって駐車場には車が沢山停まっていて、僕の親は遅くまで仕事で帰ってこないけれど、此処に居る人達は暇なのかな?と思う。

それから、大きな橋を渡る。

橋を渡りきると、川に沿って歩く。

街灯が少ないこの道は秋から冬にかけては真っ暗になるが、まだ暖かい時期の今はまだ全然明るい。

僕はいつも、気分に任せて寄り道をする。

左に曲がる最短ルートを真っ直ぐ行ってみたり。土手に座ってぼーっと川鳥を眺めたり。それこそ、無駄な時間を過ごす。

熱心な人は、早く帰って勉強に取り掛かっているのかもしれない。趣味を持つ人は、親が帰ってくるまでの間、勉強してたふりをして趣味に没頭してるのかもしれない。

そんなの、なんだか眩しい。僕には無い。何も。

勉強しなくても97点が採れた。

無趣味。

志望している高校は余程の事がない限りは落ちることは無いだろうし、一日24時間と言うのは無趣味の僕には長過ぎた。

人は人生の三分の一を寝て過ごすらしい。

知った時には、勿体ない、と思ったけれど、改めて考えてみると、充分寝ていてもまだ一日の三分の二の時間が余っているのかと思うと、絶望しそうだった。

大きく回り道をして帰宅したが、当然、家には誰も居ない。

ただいま、も言わずに玄関に入り、スリッパを履く。

父親は単身赴任。県外への異動が決まった時、この土地に永住する為に家を買った。僕を転校生にするのが忍びない、と言って。二人では広過ぎる一軒家に僕と母さんを残して、父の単身赴任ももう六年程になる。

暴力こそ無かったものの、両親は子供の目でもわかる程、不仲だった。二人の考えや想いが、互いに行き違っていてちぐはぐだった。

当然喜ぶだろう、と思って母さんの誕生日にネックレスを渡した父。壊れたらいけないからと仕舞い込んだ母さんに、父は怒った。大事にしてくれてない!と。

毎日身に着ける事が『大事にすること』である父。

ここぞという時に着けるのが『大事にすること』である母。

最初は、そんなすれ違いだったはずだった。

子供だった僕は、それを言い表す適切な言葉を知らなくて『不憫な人達』とすら思えなかったけれど、今なら「価値観が違うだけだよ」と双方に声をかけてやれるだろう。…ところで、離婚の理由の第一は『価値観の不一致』らしい。

でも、彼らは遂に離婚しなかった。きっと、単身赴任になったのが良かった。…離婚しなかったのが『良かった』のか、わからないけど。

取り敢えず、もし僕に欠けているところがあるとするならばそれは、この両親の不仲のせいと言うことにしておこうと思ってる。


辺りがすっかり暗くなった頃、玄関で鍵が開く音がした。ビニール袋の音がする。平日は大体いつも、出来合いのお惣菜だ。


「ただいま。また、電気も点けずに…」


リビングに入ってきた母さんは驚き半分、呆れ半分でリビングの電気を点けた。


「誰も居ないのに電気点けるの、勿体無いから」

「あんたが居るのに?」


母さんは苦笑して、台所に向かった。








その日。

なんの変哲も無かったはずの日常。

アニメでも漫画でも、変化は突然やってくる。

でもそれは、アニメや漫画の話だと割り切って考えていた。

けれど、僕にも。

僕の前にも、『彼』は突然、現れた。


いつもの、最短ルートを外れた帰り道を真っ直ぐ行くと、古ぼけた神社がある。

しめ縄はぼろぼろで、誰か管理しているのか?と、その隣を歩く時はいつも少しだけカミサマに同情してしまう。

そんな、小さな神社の、賽銭箱の横。隅っこで、彼は体を丸めていた。


「………………どうしたの?」


賽銭泥棒にしては幼過ぎ。

幽霊にしては、足がある。

僕は少し考えたが、やっぱりそう、声をかけた。

小さな肩に手を置くと、その肩はびくりと大きく震えた。恐る恐る、といった感じで彼はこちらを振り返る。


「…………」


息を飲んだのは、僕。

その少年は、そこかしこに傷を負って、血を流していた。

イジメ。

虐待。

頭を巡った可能性に、声をかけたのは失敗だったかもしれない、と数秒前の自分の行動に後悔した。面倒ごとに巻き込まれたくなかった。


「…………お兄さん、誰?」

「通行人Aですが。君は?」

「…………」


少年は黙り込んでしまって、僕も「それじゃあ」と立ち去るタイミングを見失う。


「………ねえ、身体中痛いんだけど。良かったら、絆創膏をくれない?」


少年の無言に、どうしよっかな、と空を仰いでいたら下から無垢な声がした。僕はまた視線を下ろして少年を見る。


「バンソーコなんて持ち歩いてる系男子じゃないんだけど」

「お家は近く?」

「まぁ…」


言ってから、しまった、と思った。

けど、それも、一瞬。

何か災い的なものだったら怖いな、と思ったけれど、考え直してみると、そう怖いものでもないのかもしれない。

まぁ、暇だし。


「歩ける?うちで、手当てしてあげる」

「ありがとう」


少年は表情を綻ばせて笑った。

見た目の年齢のわりに大人びた笑い方だな、と思った。


玄関の鍵を取り出すと、「エーくんは、鍵っ子なの?」と少年がまた無垢な声で訊く。エーくん?と首を傾げてから、ああ、『通行人A』の『エーくん』ね、と合点した。


「そうだよ」

「そうなんだね。じゃあ、寂しいね」

「そうでもないよ」

「じゃあ、自由?」

「そうでもないよ」


少年はきょとんと首を傾げたが、招かれた玄関からウチに上がった頃には先程の会話なんて忘れているようだった。

まず洗面所の場所を訊かれて、一緒に手を洗った。家に帰ってまず手を洗うと言うのは、なかなか教育の行き届いた家の子なのかもしれないなぁと思った。見たところ、少年は小学三、四年生と言ったところだ。

洗面所に居るついでに、綺麗なタオルも濡らして傷口に当てて洗った。改めて見てみると、額や両腕、右の太もも、左の足首。様々なところから血を流していて痛々しい。古いアザのような痕もいくつかあった。


「………滲みる?」

「そうでもないよ」

「痛くない?」

「そうでもないよ」


ちょっと澄ました感じの返答に、何かと思えば先程のやり取りでの僕の真似をしたらしかった。僕はたまらず、吹き出した。


「あっ!エーくんが笑った!エーくん、負けだぁ!」


そんな風に笑う顔は年相応のものだった。先程の大人びた印象はまるで受けない。

僕の方も僕の方で、こんな風に楽しく笑ったのはいつぶりだろうか、なんてちらりと考えた。


「にらめっこなんてしてないよ」

「でも、なんだか難しい顔をしてるから。笑わないようにしてるのかな?って思った」

「そんなこと無いよ。面白いことが無いだけ」

「じゃあ、さっきのは面白かったってことだね!」


無邪気に笑う少年に湧いた感情に、驚いた。

『愛おしい』。

そんな感情を、自分が持っていたことに驚いた。

世界は無味乾燥ではないのか。僕の感情は、もうずっと前に死んでしまったのだと思っていたから。


「絆創膏じゃ足りないな。ガーゼがいるね」


消毒はしたものの、傷口はどれも広く、絆創膏では幅が足りなかった。少し考えていたら、少年は「大丈夫だよ!」と明るい声を出す。


「傷口は、空気に当てた方が早く治るって言ってたから!だから、絆創膏もガーゼも必要ないよ!ありがとう、エーくん!」


少年はにこにこと笑う。

それもそうか、とその意見に助けられ、僕はそれ以上傷に構わない事にした。

それから、一緒にお茶を飲んでお菓子を食べて、他愛ない会話をして過ごした。

気が付けば、母さんの帰ってくる時間になっていた。


「またエーくんとお話したいな…」


そんなことをぼやくから、僕は少し嬉しくて、「いつでもどうぞ」と返答していた。


「あら?今日は電気点けてたの?」


程無くして帰宅した母さんが目を丸めて、少しだけほっとした顔をした。









次の日も、僕の足は神社に向かった。

家なんて知らないけど、そこに行けばあの少年に会える気がした。

予感は的中。

少年は数段しかない石段の上に座って、空を眺めていた。

今日は、怪我をしていなかった。


「……何してるの?」

「空を見てるの」

「楽しい?」

「僕は好きだよ」


つられて、空を見上げる。

なんの変哲も無い空。何処までも青く、白い雲がゆっくりと流れていく。


「落ち着くよね」


僕が頷くと、少年は嬉しそうな顔をした。


「エーくんにはこの良さがわかるんだね!」


周りの人達は「渋い」とか「もっと楽しいことが他に沢山あるよ」なんて言うんだ、と少年は頬を膨らまさんばかりに不満そうな声音で言う。


「好きなことなんて、人それぞれでいいのにね」

「……そうだね」


僕も隣に座って、暫くぼんやりと空を眺めた。

そういえばこうやって空を眺めることがかつての自分も好きだったなぁ…と思った。いつの間にか、忘れてしまっていた。空ってこんなに綺麗な色だったんだな、と驚いた。


「僕はさ、大人になりたくないんだ」


徐ろに少年が呟いた。


「なんで?」

「大人って、皆、子供だから」


僕はまた吹き出した。

こんな小さな少年にそんなことを言わせた大人の顔を見てみたいな、と少し思った。


「凄くよくわかるよ。僕はだけど、だからこそ早く大人になりたい」

「なんで?」

「だって、そんな“大人”に子供扱いされてるの、なんか凄く嫌じゃない?」

「………………確かに」


少年は神妙な顔をして頷いた。僕は笑う。

この少年と居る時間が好きだなぁと素直にそう思った。僕はいつだって、誰かとこんな風に、取り留めもない会話をしたかったのかもしれない。


「エーくんってさ、AB型でしょう?」

「そうだけど?」

「やっぱりね!気が合うと思った」

「血液型による性格の違いなんてのは、医学的根拠なんて無いんだよ」

「……そんなこと、知ってるけどさ。そんな話するのは、とってもナンセンスだよ」


ナンセンスって…。

小学四年生くらいの少年にそんなことを言われて、僕は言葉を失った。


「今のはちょっと、僕の知ってる“大人”の匂いがしたよ」

「それはちょっと心外だな」

「じゃあもう、大人のふりはやめてよね」


大人のふり、と言われて苦笑した。

少年が「大人って子供」と言うなら、彼は「子供の見た目をした大人」だった。


「確かに少年の言う通りだ。今のは面白くなかったね」

「うん」


素直に認められるのは良いことだね。とまた笑う。つられてまた、僕も笑う。

風がちょうど良い心地好さで吹いて、僕達の髪を撫でた。

世界は、僕が思っているよりもずっと面白いものなのかもしれない。


……きっと、そんな風に思った帳尻合わせ。


帰宅すると、父親が帰ってきていた。


「おう。おかえり」


さも、いつもそんな会話をしているように。父は僕の顔を見て、「ただいま」ではなく、そう言った。


「………どうしたの?今日、帰ってくるって言ってた?」


僕はそれには応えず、疑問をそのまま口にした。感情がスッと冷えて、死んでいくみたいだった。

今日みたいにふらりと帰ってくることは度々あったけれど、その時はいつも、朝に母さんが素っ気なく「今日、帰ってくるみたいよ」と言う。今日はそれがなかったから、何と無く嫌な予感がした。


「……母さん、知ってる?言った?」

「なんで自分の家に帰ってくるのに、母さんに言わなきゃいけないんだ?」

「………」


そういうところだよ、と思ったが口をつぐんだ。

社会人なんでしょ?報連相って、知ってます?


「……晩御飯の都合とか、あるじゃん。僕、連絡しておくから…」


きっと母さんも、疲れて帰ってきて先に知らせもなくこの人が帰ってきていたら疲れが倍増する…。それを危惧して、僕は少し母さんの気持ちに寄り添うようにメッセージを入れた。


『父さん帰って来てるよ。いつも突然だから、本当に困っちゃうよね』


ああ、神様。

今晩はどうか、ケンカしませんように。

そう願ったけれど、その願いはいつも何処にも届かない。

母が買ってきた晩御飯を三人で食べながら、会話の雲行きが怪しくなってきたのがわかる。


「いつもお惣菜なのか?」

「帰りが遅過ぎる」

「いつもこんなに会話がない晩御飯なのか?」


終いにはいつも、僕のこと。

僕が可哀想だと言い出すから、僕はちょっぴり父が嫌いだった。我が家の平和の為に、ずっと単身赴任でローンだけ払ってくれていたらいいのに、と思っていた。

いつもいないくせに、と思う。

居ても母さんばかり責めるから、やっぱり居なくて良いや。

僕は味のしないお惣菜を素早く飲み込んで、さっさと二階へ上がった。

でも、どんなつまらない会話をしているのか聞いていてやろう、と密かに聞き耳を立てていた。

膝を抱えて、息を殺して。

耳を澄ませて、心を閉ざして…。


『大人って、皆、子供』


ちょっと不貞腐れたような、少年の声が響いた。

ほんとそう。うんざりするくらい、僕もそう思う。


早く大人になりたかった。

早く“自由”になりたかった。

此処じゃない何処かへ、帰る場所が欲しかった。







次の日も僕は、あのこじんまりとして古びた神社に足を運んだ。


「あ、エーくんだぁ」

「えっ?!どうしたのッ!?」


僕の姿を見付けて嬉しそうに笑う少年はしかし、出会った頃よりも更に血だらけで痣も増えていた。

流石にもう、訊かないわけにはいかなかった。

驚きと不安。ーーーーこの少年はいつか、誰かが助けてやらないと死んでしまうのではないか?


「…今日も手当てして貰っても良い?」


まるでちょっとした失敗を誤魔化す子供のように、少年は上目遣いに僕を見た。


「それは勿論いいけど…。大丈夫なの?」


僕は眉を潜めた。救急車を呼ぶ、と言うことには躊躇いがあった。でも、場合によっては警察や…どこかそういったところに相談した方がいいのではないかと思案した。

けれど少年はにへら、と笑って「大丈夫だよ」と言う。


「エーくんに手当てして貰ったら、まるで魔法でもかかったみたいにすぐに良くなるから」

「………」


初めて、この少年の笑顔に違和感を覚えた。

不意に、かつての自分と重なった。


「…………無理して笑わなくても、いいんだよ…」


それは多分、かつての自分に向けた言葉だった。


ウチへ招いて、一通りの手当てを済ませると、僕は遂に切り出すことにした。


「……誰に、されたの?」

「………」


気まずそうな様子はなく、その質問に少年は「うんとねぇ…」と宙を見て考えているようだった。


「誰と言う訳じゃないんだけど…。自分かなぁ?」

「えっ」


自傷?

それにしては、違和感のある怪我だと思う。刺し傷や切り傷と言う感じの傷口は無かったように思う。わざと転んだとか、固い物に自らぶつかったとか…?


「…イジメじゃなくて?虐待とかでも…ない?」


始めは、面倒事なら関わりたくないと思っていたのに。今では、何とかしてこの少年を助けることはできないだろうか、と考えている。僕はすっかり、この少年のことが好きになってしまっていた。ほっとけないのだ。幸せになって欲しいと思う。もっと、年相応に笑っていて欲しい。


「そんなことじゃないよ!友達は優しいし、パパもママも、僕には優しい!」


ケラケラと笑うけど、先程の違和感が拭えない。かつての僕と被ってしまうイメージが崩せない。

人目を気にして笑った。好かれるように言葉を選んだ。心配かけないように、迷惑にならないように、取り繕って笑った。

幼い頃は必死だった。正しいことをしていると思っていたのに。歳を重ねる事に、なんだかそれは虚しさに変わっていった。

取り繕うことや無理して笑うこと、言葉を選ぶことに疲れていった。

優しさをあげても、必ずしも優しさで返ってくるわけではない。

本音に幾重にも蓋をしてしまえば、自分しか知らない心ばかりが置いてきぼりになった。

どんどん、息をするのも辛くなった。自分で自分の首を絞める、というやつだ。

僕は息の仕方すら忘れてしまいそうで、やっと、淡々と生きていこうと切り替える事が出来た。


「……エーくんはさ、知ってた?」


回想に没頭していた意識を、そんな言葉が現実に呼び戻してくれた。見れば、少年は用意したお菓子をどれにしようかなと選んでいる…というわざとらしいパフォーマンスをしていた。


「『孤独』は人を殺すんだよ」

「『退屈』なんじゃなくてさ。僕たちは、『孤独』なんだよ」


矢継ぎ早に、少年はそう言った。

えっ?と聞き返そうと思ったけれど、少年がとても寂しそうな顔をして笑うので、言葉を飲み込んでしまった。


「『助けて』って、心の声が聴こえて無いの?僕は、聴こえるよ。僕の幸せを願うなら、エーくんが幸せにならなくちゃ」


差し出してくれた手は、一杯あったでしょう?

諭すように笑う。困ったように。

僕はハッとした。息を飲む。…似ているんじゃない、この少年は……。


「………………ぼく?」


ご明察!

今度はまるで、そんな風に笑う。嬉しそうに頷いて、選び取った一口サイズのチョコレートを開けた口に投げ入れた。


「エーくんがさ、心に傷を負う度に僕の怪我が増えるんだ。このままじゃ、死んじゃうよ。だからどうか、僕を殺してしまわないで」


その言葉を最後に。

ふっと、まるで始めからそこに誰も居なかったかのように、少年は消えた。空気に溶けた。

僕は目を見開いて、それから辺りを見回してみたけれど、少年の姿は何処にも無い。

慌てて玄関に行き、靴を見た。少年の履いていた運動靴が無い。

リビングに戻り、少年の為に盛った様々なお菓子の乗った皿を見た。僕は何と無く、各お菓子を五つずつ用意した。三つじゃ少し物足りないし、四つは数が悪い。と思ったので、良く覚えている。

小分け包装されたそれらは、指を指して数えなくても明らかに五つずつあった。チョコレートだけ、一つ足りない。


「…………」


少年は確かに、此処に居た。

それなのに、そんなことはあるはずがない事だった。

僕は暫く固まって、四つになったチョコレートを凝視していた。






それからは。

あの神社を訪れても、あの少年に出会う事はなかった。

初めて出会った日の事を思い返す。

少年は、賽銭箱の横の隅っこで、背中を丸めて小さくなっていた。

そうして、一人で震えて、泣いていたのかもしれない。

そう思うと、悲しくなった。

僕は『僕』にあんまり関心がない。

だけど、それがもし『少年』の寂しさに繋がるのなら、いけない事だと思った。

少年のあの傷は、痣は、僕が僕を大切にしないことで負っていくものなのだと気が付いてしまうと、もっとしっかり生きていかなくては、と責任感に駆られた。


ーーーそれは岩のように重たい重責ではなくて、何処か、温かい。


僕が僕の為に生きられないから、見かねた少年 (ぼく)が助けに来てくれたのか。

今度は僕が、少年を助ける番なのか。

それはどちらも『僕』なのに。自己愛とは違う気がした。

初めて、僕はこの小さな賽銭箱にお賽銭を入れた。

ガランガラン、と振った鈴は意外と大袈裟な音を立てる。礼儀作法をよく知らなくて、取り敢えず、お辞儀をして目を閉じ、手を合わせた。


(………『僕』に会いに来てくれて、ありがとう。少年(きみ)との出会いを、無駄にしないように………生きてみようかなと、思う)


それは、願いではなくて、誓い。

いや、やっぱり願いの方が正しいかもしれない。

君との出会いを無駄にしてしまいませんように、と祈っていた。


“差し出してくれた手は、一杯あったでしょう?”


少年の声がする。

そうだね、僕が。

勝手に壁を作って、心を閉ざして。

差し出してくれた手さえも振り払って、独りで生きていこうとしていた。


きっと、世界はもっと色鮮やかで。

もっと美味しいものに溢れていて、温かくて、柔らかくて、優しい。


もっとちゃんと、見てみよう。


深呼吸をして、閉じていた目を開いた。


“大人のふりはやめてよね”。


また、少年の声がする。

聞き分けのいい子も、暫くやめてみるよ。

『僕らしく生きていく』って、まだよくわからなくて困るけど。

でも取り敢えず、今日、家に帰ったらご飯を炊いてみようかな。

明日学校に行ったら、いつもテストの点数で突っ掛かってくるアイツに、「おはよう」と言ってみようかな。


そう思うだけで、何と無く、世界が変わっていく気がした。

伸ばした指先から、色が塗り広がっていく気がした。或いはこの、足元から。


『大人って、皆、子供』。

そうだね、少しずつ。

君が、そう言って失望してしまわない、『大人』を目指して生きてみようかな。


僕達が好きだった空を見上げると、限りなく広がる青は鮮やかで、雲は何処までも自由に流れていた。


僕は自然と、頬が緩んだ。

それなのに、何故か涙が出た。

けれどそれは、何よりも純粋で、綺麗な涙だと思った。


「幸せになろうな…」


誰か助けてと、本当は叫んでいた。

耳を塞いで時の流れに身を委ねていれば、何かがいつか変わるんだと、思っていた。


けれど、本当は気が付いていたんだ。


声に出さない声は届かない。

時の流れは何も解決はしてくれない。

ただどんどんと、孤独の淵で自分が磨り減っていくだけだった。


「僕が、君を救ってみせるよ」


それは間違いなく、決意だった。

風が優しくそよいで、髪を撫でた。

少年もきっと、同じことを想ったのだろう。或いは今、声が重なったのかもしれない。

僕はやっぱり嬉しくて、寂しくて、笑った。


君がくれたこの感情も決意も、全部大事に抱き締めながら生きていくから、いつまでも何処までも、僕を見守っていてね。


僕に応えるように。

今度は風もないのに、カラン、と神社の鈴が音を立てた。







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