第8話 お母さんが取引した日

 家から五分ほどで着くそこは、小さな神社だった。青梅おうめ神社と書かれている。ミャアミャアと猫の鳴き声がどこからか聞こえてきた。丸く膨らみ始めた実をつけた木々が、木陰を作っている。時折吹く風が葉を優しく揺らした。


「こんなとこに神社があったんだね」

「とりまるは引っ越してきたばかりだし、知らなくても無理はないけどね。結構いろんな人が来たことあるんじゃないかな」


 小さく、目立たない神社で、お祭りのような人が集まるような行事はない。でも、ここら辺に住んでいる人には親しまれている。青梅神社はそんな神社だ。


 二月、三月には境内に植えられた梅の木が可愛らしい白い花を咲かせ、六月ごろには梅の実もつける。境内に住むたくさんの猫たちは誰が世話をしているのか、いつ見かけても、どの子もきれいな毛並みだった。


 程よく舗装された道が散歩コースに調度よいのもあって、朝は誰かしらが日々の健康やら学業成就やらを願っている。私のお母さんも毎朝日課のように通っていたらしい。決して寂れているわけではない神社だ。


 失礼します、とでも言うように頭を少し下げてからとりまるが鳥居をくぐる。私も後に続いた。ここに来るといつもやっているように拝殿に向かう。お賽銭はないけれど、ガランガランと鐘を鳴らしてからお辞儀を二回繰り返す。パンパンと手を叩いてから、心の中で語りかける。


「私に、お母さんに命をくれてありがとうございます」


 そりゃ、理不尽だと思うことはいっぱいあるし、私がこんな風に生まれてきたのは私のせいじゃないのにとは思うけど。でも、それでも、ここの神様のおかげでこうして生きられているのに違いはないと思うから。だから、ありがとう。ねえ、神様。私はもう六年生になったんだけどね、夜を一緒に過ごす仲間が出来たよ。期間限定だけどね。この前はほかの神様にも会ったの。狐の神様でね。お団子食べたんだよ。そうそう、どうして神様は十月にお母さんに会えたの? 出雲に行かなかったのかな? おっと、ちょっと長くなっちゃったね。じゃあ、また来るよ。


 目を開けると、隣でとりまるが同じように手を合わせていた。


「なに願ってたの?」


 お願いを終えたらしいとりまるが私に訊く。


「うーん、秘密。願い事って人に言うと叶わないらしいよ」


 本当か嘘かわからないような情報でごまかす。だって、神様に親戚のおじさんおばさんに話すみたいに近況報告してるなんてバレたら恥ずかしいし。


「えっ。ほんとに?」

「信じるか信じないかはあなた次第」


 とってつけたような私の真剣な表情に、とりまるがぷっと吹き出す。


「まあ、万が一を考えて俺も秘密にしとくよ」


 そんな私たちを邪魔するかのように、五時になったのを知らせるチャイムが鳴り響いた。急がないと、と雨風にさらされて少しくたびれている看板に足を向ける。


 看板には神社の建立された年、経緯、祀ってる神様が書かれていた。


『この青梅神社では、子宝の象徴として猫を祀っています』


 猫……?


「猫が神様なんだね。……ん? どうかした?」


 黙り込む私を不思議に思ったのか、とりまるが心配そうにこちらを見つめる。


「うん。あのね、お母さんに何回も神様と会った話を聞いたことがあるんだけどね。聞いた話だとお母さんが会った神様は猫の姿じゃないんだよ。いつもお母さんが言ってたんだ。……すごく神様っぽくない人だった。髭生やしてて、本当にこの人は神様なのって思ったんだって」


 そう。お母さんは何度も何度も私に話してくれた。眠れないいつもの夜に。年を重ねる少し特別な夜に。嫌なことがあった悲しい夜に。


『お母さんは毎日のように青梅神社にお参りに行ってたんだけどね、あの日はいつもと少し違ったのよ。

 ――そう、十月一日。よく覚えてるわね、柑奈。いつも鳥居をくぐると猫たちが出迎えてくれるじゃない。でも、あの日は不気味なくらいシンとしてた。

 ――え、聞き飽きたって。そんなこと言わずに柑奈に聞いて欲しいな。そう、でね。そこでお母さんは神様に出会ったの。すごく神様っぽくない人だった。髭生やしてて、本当にこの人は神様なの? そう思ったもの。でも、お母さんは今でもその神様に感謝してる。だって、柑奈に会えたからね。

 ――また会えたら? そうね。ありがとうって伝えたいかしら』


 お母さんの語ってくれた話を思い出していると、とりまるの言葉で現実に引き戻された。


「……猫の神様が人間の姿で現れた可能性もあるんじゃない?」


 とりまるが口に手を当てながら言う。


「確かにそれもあるかもしれない」


 なにせ神様のことだ。私たちには、こうだろうと断言することなんてできない。


「今日それも聞いてみようよ。とりあえず今はもう遅いから帰ろうか」

「そうだね。とりまるのおばあちゃんも心配しちゃうだろうし」


 来た道を引き返し、一礼して鳥居をくぐる。青梅神社はよく来る神社なのに、横にとりまるがいるってだけでいつもと違う感じがする。


「そうそう、葉山さんが手伝ってくれるようになってから神様に会うペースがめっちゃ早くなったんだよね。ありがとう!」

「会うペース? まだひとりしか会ってないけど……」

「まあそうなんだけどさ。今日も会いに行くじゃん。暗号を解くスピードが速くなったの。今までひとつ解くのに三日四日かかってたからさ。葉山さん、本当にありがとう!」

「……どういたしまして」


 とりまるのありがとうは、毎回直球だからちょっと恥ずかしくなる。


 それからとりまるのリクエストに応えて、お母さんから聞いた神様に会った日の話を聞かせながらふたりで家に帰った。アスファルトに黒い影が二つ落ちていた。


「じゃあ、また今夜!」

「うん!」


 家に着くころには話も終わり、家の前で昨日と同じようにこんな言葉を交わして別れる。今日はどんな神様なのかな。昨日はキツネの神様だったけど、神様はみんな動物の姿なのかな。昨日は実感が全然なかったから、楽しみな反面、不安も大きかったけど、今日はわくわくしかない。だって、花火だよ? 楽しいに決まってるじゃない。

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