第6話 伝われ
「ふー。
「
「結構どこの神様も優しいよ」
お面を片手に帰り道をふたりで歩く。今は何時ごろだろう。三時半ぐらいに神社に行ったはずで、三十分くらい話してた気がするから四時過ぎかな。
「ちょっとだけど、わかってよかったね。葉山さん」
「ね。にしても原則全員集合なんだってね」
それなら、お母さんが神様と十月に取引できたのはなぜなのか。
「うん。これだけだとあんまりわかんないけど、他の神様にも訊いていったらもっとわかるかも知れない」
烏丸くんは神様からさっき預かった封筒を私の前に出す。
「で、まずはこれ。次の暗号を解かないといけないんだけど……また一緒に考えてくれる?」
「もちろん!」
今度はどんな暗号かな。どんな神様かな。
「じゃあ、帰ったら作戦会議しないとね」
楽しそうに言う烏丸くんに少し気になったことを訊いてみる。
「烏丸くん、寝てる? 私が言うのもなんだけど、睡眠って大事らしいよ」
烏丸くんはちょっと驚いた顔をしてからぷっと吹き出した。
「睡眠の大事さについて葉山さんに教えられる日が来ると思わなかったなあ」
「なによ。人が心配してるっていうのに」
笑うなんてひどいじゃない。
「ごめんごめん。でも、大丈夫だよ。俺は早寝早起きを極めてるからね。今日も八時には寝たからちゃんと七時間寝てる」
「七時間寝るといいの?」
寝たことがないからよくわからない。
「目安がそのくらいらしい。というのは、おいといて。俺は大丈夫だよ」
「ならいいけど……」
願い事を叶えてもらえても、それで体調を崩したら元も子もない気がしてしまう。
「そういや、葉山さん。携帯持ってる?」
「いや、まだ持ってないけど」
周りの子は結構スマホやガラケーを買ってもらってるけど、私はまだ買ってもらえてなかった。親曰く、あったら夜中ずっと使っちゃうでしょ、とか。否定できないのが悲しいけど。
「烏丸くんは持ってるの?」
「いや、俺も持ってないよ」
「訊くから持ってるのかと思った」
「葉山さんが持ってるなら家電からかけようと思って」
そう答えると烏丸くんは何かを考えているのか、口に左手を当てて、しばらく黙り込んでしまった。
「葉山さん、一応訊くけど、夜に神社行くこと親の許可もらってる?」
うっ。考えないようにしてたのに。
「……もらってないですね」
「あー悪い子だ。……まあ、俺ももらってないんだけど」
「おいっ」
「共犯じゃん、やったね!」
うれしくない。全くもってうれしくない。
「それでさ、これから暗号解いたり、神様に会いに行ったりするなかで連絡をとりたくなることがあると思うのね。だから連絡手段をどうしようかなって」
「なるほど。でも同じクラスだし、隣の家なんだからいつでも直接会えるんじゃない?」
「夜とか頻繁に外出て会ってたらバレるし、教室であんまり神様がどうとかいう話できなくない?」
それはそうかもしれない。教室でそんなこと言ってたらたぶん変な目で見られるし、家電も親にバレる可能性が高くなるだろう。
そんな会話をしてると私たちの家が見えてきた。歩く速さが心なしか遅くなる。
「ねえ、葉山さん。葉山さんの部屋どこ?」
「あそこだけど……」
烏丸くんの家に面した方を指指す。できるかもしれない。烏丸くんはなにやらひとりうなずくと、そうつぶやいた。
「できるかもってなにが?」
「なにって、もちろん俺らだけの連絡手段だよ!」
それから、私の耳元でこそこそと作戦を説明した。
「本気で言ってる?」
「もちろん。まあやってみない?」
「いいけど……私はどうすればいいの?」
「うーん、窓開けて準備ができるの待っててよ。それでしっかりキャッチして」
◇◇◇
部屋に戻って時計を見ると、もう五時少し前だった。思ったよりも時間が過ぎていたらしい。外に出たことがバレないようにと、部屋着に着替える。言われた通りに窓を開けて、烏丸くんの準備ができるのを待った。時折吹き込んでくる風が気持ちいい。
烏丸くんの準備が整うまでにそんなに時間はかからなかった。しばらくすると、烏丸くんも部屋の窓を開け、こちらに向かって手を振ってきた。これは準備ができたという合図。私も同じように手を振りかえす。と、今度は烏丸くんが指でカウントダウンを始めた。三、二、一、――。
私の部屋をめがけて烏丸くんが投げたものが飛んでくる。二階にある私の部屋と、一階にあるらしい烏丸くんの部屋。四メートルくらいほどあるのだろうか。もっとあるかも知れない。斜め上に向かって、速度を落としながらも私の部屋の窓に近づいてきたそれを、私は片手を伸ばしてキャッチした。
それは
凧糸と格闘することおよそ十分。ようやく完成した糸電話を恐る恐る口元に近づける。
「もしもし……?」
しばらく待っても返事がないので窓から下を見ると、烏丸くんが私を指さしてから耳をちょんちょんと叩いてみせた。
おっと、そうだ。耳に当てなきゃ聞こえないんだった。
慌てて紙コップを耳に当てると、数メートルの距離を超えて、糸から烏丸くんの声が伝わってきた。
「もしもしー。こっちは聞こえるよ。葉山さんは聞こえますか? どうぞ」
「聞こえるよ、烏丸くん! あ、どうぞ」
「成功だね! ……ところで葉山さん。烏丸くんじゃなくてとりまるでいいよ、呼び方。こっちの方が呼びやすいでしょ? どうぞ」
そのタイミングでこっちに回してくるのはずるい。
「えっと、とりまる? ……どうぞ」
「葉山さん、俺のこと呼んだだけじゃん。まあいいけどさ……。なんだ、その、今日はありがとう。これからもよろしくお願いします! ……どうぞ?」
「こちらこそありがとう! あ、どうぞ」
ねえ、とりまる。とりまるのおかげで、今日の夜は寂しくなかったよ。退屈じゃなかったよ。すごく楽しかった。ありがとう。
「そうそう、葉山さんはさ、昨日の夜なにしてたの? どうぞ」
昨日の夜。とりまるは今日と同じように神社に訪れたわけだけど、そうでない私は、なにをしていたのかというのが当然問題になるわけで。
「あー昨日はですね……なんというか、家出のようなもんですかね」
お母さんと喧嘩した、なんてちょっと恥ずかしいから、歯切れが悪くなってしまう。さすがにこれだけだと伝わらないかと思って、説明を付け足す。
「お母さんとちょっと喧嘩しちゃってね。眠れないし、家にいたくなくなっちゃって。どうぞ……?」
「そっかあ……。ねえ、ずっと気になってたんだけどさ。眠れないってそんなに嫌なことなの? 俺としては、眠らなくていいなんて便利だなーって思うんだけど……。どうぞ」
便利かあ。久々に聞いたな。昔はよく友だちに眠れなかったらどうだと思うって訊いてたな。でも、その度に時間がいっぱいあっていいとか、便利とか、そういうことばかり言われるからいつしか誰にも訊かなくなったんだっけ。
「いやだよ。確かに時間はたくさんあるけど、それだけだから。毎晩毎晩ひとりぼっちだし、嫌なことあっても考えるのやめられないし。……いいことないよ。お母さんも馬鹿げてる。勝手に人の眠りを取引に使うなんて」
しまった。言い過ぎたかもしれない。
「あ、ごめん。とりまるに言うことじゃなかったよね。……どうぞ」
「いや、俺が訊いたんだからそれはいいんだけど。……そっか。確かにそれは嫌かもしれない。……でも早くお母さんと仲直りできるといいね」
仲直り……。するなら、そろそろしないといけない。謝れなくなる前に。自然に流れてしまう前に。でも、やっぱり思ってしまうんだ。ここで、謝らなきゃいけないのは私なのかって。
ふと、訊きそびれたことを思い出した。交代の合図はなかったけれど、ずっとこの話題は気まずいし、しばらく言葉が途絶えたので訊いてみる。
「ねえ、とりまる。私も訊きたいことがあるんだけど、訊いていい? どうぞ」
「はいはい、訊いてください。どうぞ」
「とりまるの叶えたい願い事ってなんなの? どうぞ」
「そういえばまだ話してなかったね……」
会話の交代の合図はないのに、凧糸の震えが止まった。
私は訊いてはいけないことを訊いてしまったのだろうか。答えたくなかったら、答えなくていい。そう言おうとしたとき、再び凧糸が震えた。
「俺、引っ越してくる前までは母さんと父さんと妹の四人で住んでたんだ。でもこの前の二月、母さんが事故にあっちゃって……。命は助かったんだけど、ずっと目を覚まさなくてね。ちょうど、このばあちゃんちに来てるときに事故にあったから、母さんが入院している病院もばあちゃんちからの方が近いし、父さんひとりじゃ大変だからっていうので引っ越してきたんだ。……だから、俺は神様にお願いしたいんだ。――母さんの目を覚まさせてくださいって」
そこでとりまるは言葉を切った。不安そうに私に問う。
「……叶うかな」
私のバカ。なんて無神経だったんだろう。そんなの、言うべきことは決まってる。どうぞ、なんて待たずに私は紙コップに口を当てた。
「きっと叶う! だって、私のお母さんだって神様と無茶苦茶な取引をしたんだ。だから、私がここにいるんだ」
お母さんのあんな取引が成功して、とりまるの願いが叶わないなんて私は信じない。
「とりまるの願いだってきっと叶う。いや、叶えるんだ。私も一緒に叶えるから」
こんな言葉じゃ伝わらないかもしれない。でも、言わずにはいられなかった。
とりまるはひとりじゃないんだよ。ほら、手伝うって約束したでしょ。私もいるよ。だから――
「一緒にお母さんを助けよう」
両手で持つ紙コップがかすかに震えた気がして慌てて耳に当てる。
「ありがとう」
耳元で小さくとりまるの声が響いた。
朝が来るのが惜しいと思ったことはいつぶりだろうか。結局、外が明るくなるまで語り明かした私たちは、私の目覚ましの音を合図に通話をやめた。といっても、紙コップを置いただけなんだけど。飛んで行ってしまわないようにペーパーウェイトを紙コップの中に入れておいて、窓を閉める。ふたりの窓に挟まれて、少したるんだ凧糸はすっかり昇った朝日に照らされていた。
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