第5話 第一夜 四番目の神様

 夜が来るのがこんなに楽しみな日はめったにない。早く三時にならないかと時計をチラチラと見てしまう。


 二時十五分、まだもう少し。

 二時半、あと三十分。

 二時四十分、時間よ早く進め。

 二時四十五分、もうちょっと。

 二時四十八分、え、三分しか経ってない……。

 二時五十分、十分前だ。もう行ってもいいよね……?


 ポニーテールを両手でつかみ、左右に引っ張る。少し速くなりだした鼓動を落ち着かせようと深呼吸してから部屋を出た。音を立てないように慎重に。お母さんとお父さんを起こしてしまうのではないかと心配になるくらい、心臓の音がうるさい。この緊張は不安なのか。うれしさなのか。――たぶん半分半分だ。大丈夫。烏丸からすまくんはきっと来る。約束したんだから。


 ドアを開けて外を覗いてみると、誰もいないように見えた。やっぱり早すぎたのかな、なんて思いながら外に出る。道路に面したところまで来たとき、誰かが郵便受けの影にいるのが見えた。その人も私に気づいたようで、手を振ってきた。もう片方の手に白いビニール袋を提げている。


「やあ、葉山はやまさん。早いね。そんなに楽しみだったの?」

「烏丸くんだって早いじゃん。私より先にいたってことでしょ?」

「……そんなことよりさ。葉山さんは挨拶は何がいいと思う?」


 烏丸くん、話題変えるの下手でしょ。


「挨拶?」

「そう。おはようとか、こんにちはとか。この時間帯だったらどれかなって思って」

「夜だし、こんばんはじゃない?」

「うーん。そうなんだけどね……あ、いいの思いついた!」


 烏丸くんが楽しそうに言うから、私までわくわくしながら彼の言葉の続きを待つ。


「グッド・ナイト、とかどうだろう?」

「……それじゃあ、おやすみになっちゃうよ」

「まあそうなんだけど。朝はグッド・モーニングで昼はグッド・イブニングなら、夜はグッド・ナイトかなって思って……。それにせっかくなら素敵な夜に、楽しい時間にしたいじゃん。どうかな?」


 グッド・ナイト。本当の意味は夜の挨拶なんかじゃない。一日に終わりを告げる、ひとり、またひとりと私をおいて眠りについてしまう言葉。おやすみという言葉も、その意味を持つグッド・ナイトも、私は好きじゃなかった。でも、烏丸くんがそう言うから。少しだけ、いや、本当はすごく良いと思ってしまった。


「いいんじゃない? ……私は好きだよ」


 私の返事を聞いて、烏丸くんが笑うから私もつられて笑ってしまう。本当に挨拶通りになればいいのにな。


「じゃあ、行こうか」


 私たちは、暗号に書かれていた場所、朝倉神社に向かった。烏丸くんは歩きながら私にお昼のときより詳しい話をしてくれた。


・謎を解いて会いに行かなきゃいけない神様は全部で七人いること。

・すでに、三カ所行っていて、今から会いに行く神様が四番目であること。

・今日の暗号に書かれていたように、毎回毎回、暗号には場所と時間と持ってきて欲しいお供物そなえものが書かれていたこと。

・家宝を全部集めたあとで、最後に会いに行く神様は大烏おおがらすと呼ばれる神様であること。

・家宝は宇宙玉と呼ばれるガラス玉のようなもので、惑星にちなんだ見た目をしていること。

・初めて会ったときにつけてたお面は、神様に会いに行くときに必要なものであること。


「だいたいわかった気がする」

「まあ、気になったことがあったらまた訊いてよ」

「うん、わかった。ありがとう」


 気になることか。なんかあるかな。あ、そうだ。あれをまだ訊いてない。少し急な坂道を上りながら烏丸くんに問いかける。


「ねえ、烏丸くん……」


 そう言いかけたとき、鳥居が見えてきた。街頭に照らされて、鳥居の赤がうっすらと見える。朝倉神社には酉の市で毎年来ていたけれど、こんなに夜遅くて、暗いときには来たことがない。半歩前を歩く烏丸くんがこちらを振り返った。


「葉山さん、着いたね」


 どうやら烏丸くんは、私の呼びかけは到着を確認するものだったと勘違いしたらしい。だから、訊きたかったことを訊きそびれてしまった。まあ、いくらでも訊く機会ならあるからいいんだけど……。


「これ、はい。葉山さんの分のお面。大烏の使いですよ、ってことをわかってもらうためのだから、つけといて」


 烏丸くんは私にお面を差し出す。


「ありがとう」

「こうつけるの。似合うでしょ」


 お面に似合うなんてあるのかな、なんて思いながら受け取って、私もつけてみる。


「そうそう。葉山さんも似合ってる」

「……それはよかったです」

「葉山さん緊張してる?」

「してない!」


 これは緊張じゃなくて胸の高鳴りなので。


「大丈夫だよ。俺はプロだからね」

「いや、だからしてないって。というか、プロってなによ」

「ふふっ。葉山さんは新人でしょ? まあ、行きますか」


 烏丸くんが進み出す。お面をつけると視野が少し狭くなった。こけないように注意しながら、烏丸くんに続いて鳥居をくぐる。私の半歩前を歩いていた烏丸くんは慣れているようで、鳥居をくぐると迷いなく拝殿に進んでいく。さすがプロ。


 拝殿に着くと烏丸くんが一礼したから、私も見様見真似で頭を下げた。烏丸くんは鐘につながる縄を持つと、勢いよく鳴らした。こんな夜中に大丈夫かと心配になるくらい盛大に。


 あれ? お参りの仕方って二礼二拍手一礼じゃないっけ……。


 違和感を感じていると、烏丸くんが見ててとつぶやく。五秒くらいすると半透明の何かがぬっと現れた。狐の形に見える。これが神様なのだろうか。


「朝倉神社の神様。大烏の使いの者です。預かって頂いている家宝を受け取りたく参りました」


 驚く私を尻目に、烏丸くんは恭しく半透明の狐に告げた。


「よかろう。では交換の品を」


 烏丸くんは持っていたビニール袋からみたらし団子が入ったパックを取り出した。パックをあけ、六本入っていたそれを、三、二、一のピラミッド型に積み上げる。


 半透明の狐は満足そうにうなずいて、ガラス玉のようなものと封筒を烏丸くんに差し出した。きっとこれが、宇宙玉なのだろう。渡された宇宙玉はオレンジと白の縞々で、月明りに照らされて暖かなオレンジ色を透過させていた。この模様は確か木星。


「交換完了じゃな。それにしても、美味しそうなみたらし団子じゃのう!」


 ……甘党なのかな? みたらし団子にこんなにうれしそうなんて、可愛い神様だな。


「ん? もしかして、そこのお嬢さんもこの団子を食べたいのか?」


 私の視線をどう受け取ったのか、神様が訊ねてきた。びっくりして、慌てて首を横に振る。


「遠慮しなくてもよろしい。六本も持ってきてくれたしな。ひとりで食べる団子も美味しいが、君たちふたりと食べるのも楽しいだろう」


 ほら、と神様が手招きするから、どうしたらいいかと烏丸くんをうかがう。烏丸くんは私の視線に気づいて、楽しそうに言った。


「葉山さん、お言葉に甘えようよ」

「え、いいの?」

「神様がいいって言ってるんだから、大丈夫だよ。それに、俺らには訊きたいことがあったじゃない」

「ほう。訊きたいことがあるのか。わしに答えられることなら答えよう。団子のお礼じゃ。ほらほら、お面も取っていいから。こっちで一緒に団子を食べよう」


 気さくな神様に勧められるがままに、私たちは拝殿を囲む縁側に腰かける。神様はというと、美味しそうに団子をもぐもぐと食べてらした。神様が私たちに一本ずつ差し出してくれた団子を受け取る。昼間より少し硬くなってしまっていた団子は、それでも十分美味しかった。


「それで、訊きたいこととはなんじゃ?」

「あ、それなんですけど。人の眠りを取引に使う神様をご存知ないですか?」


 烏丸くんが神様に訊ねる。


「うーん。いたかも知れないが覚えていないなあ。大烏なら間違いなく知ってると思うがのう。なにぶん、わしは交流関係の広い方ではないんでね。その神様がどうかしたのか?」

「あ、えっと、私のお母さんがその神様と取引したんですけど、ちょっと知りたいことがあって」

「お嬢さんのお母さんが! それはお役に立てなくて申し訳ないのう」

「いえいえ。気にしないでください」


 神様が申し訳なさそうに言う。しばし流れた沈黙を破ったのは烏丸くんだった。


「すみません。もう一ついいですか?」

「もちろんだとも。まだ何も教えられてないしのう」

「じゃあ。あの、十月になると神様たちは出雲に集まるという話を聞いたことがあるんですけど、それって本当なんですか?」

「ああ、その話は本当じゃよ。だいたい九月の終わりから十月の初めにかけて、みんなが移動を始めて、十月中はほとんどずっと出雲におるな」

「それってどんな神様でも出雲に行かれるんですか?」

「そうじゃ。原則全員集合だから、みんな行くと思うぞ」

「そうなんですね。ありがとうございます」


 原則全員集合。では、お母さんが出会った神様はなにか特別な用事があったのだろうか。


 その後は団子を食べながら他愛ない世間話をした。最近暑くなってきた、だとか。気づいたら桜が散っていた、だとか。また一緒に団子を食べたい、だとか。


 団子を食べ終え、話に区切りがついたところで私たちは立ち上がって、神様にお礼と別れを告げた。


「気をつけてお帰り。君たちが知りたかったことを教えてあげられなくてすまなかったね。また訊きたいことがあったらいつでもおいで。この時間ならだいたいおるから。……そのときに団子を持ってきてくれるとうれしい」


 最後まで優しい神様に手を振ってから鳥居を出る境内を振り返ると、さっきまで見えていた神様は見えなくなってしまっていた。口の中にわずかに残るみたらし団子の味が少し寂しかった。

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