蛇王子と影兎

吉平たまお

第1話

 鏡写しの自分を見ているようだった。

 肌の色も、顔立ちも、毎朝顔を洗う時に見るものと同じ。ただ服装と表情以外で違うのは、色彩。夜明け前の空を切り取ったような長い黒髪と青みがかったヴァイオレットの瞳。紫の瞳は、王家の血が流れている証の1つであると聞く。ぞわりとディアンの背筋を緊張が忍び寄った。

 つまり、目の前の口元に薄く笑みを浮かべるそっくりさんはもしかしたら、


「へえ、お前が捨て駒ね」


 すてごま。初対面の人間にはまず口に出さない言葉を投げつけられ、聞き返しそうになった。口を開きかけ、案内役に『面倒くさい性格の奴だからあんまり喋らない方がいいぜ』と言われたのを思い出し、慌てて唇を固く引き結ぶ。

 人攫いかのような勢いで連れて来られたこのやたら広くて豪華な部屋には、自分と目の前にいるそっくりさんと、自分を案内役だと自称した青年の3人だけ。明らかに人払いをされているこの状況。何か1つでも間違えたら、ディアンはおそらく家には帰れない。両親を早くに亡くし一人で生きているディアンだが、村の人々に「いってきます」の一言も告げていないのだ。もしかしたら「さようなら」になるかもしれないが、これまで世話になった人達に心配をかけてしまうのは心苦しかった。


「緊張しているのかな。

 私はハルシオン・フィオ・アゼル。

 この国の第四王子だ。これからよろしく、ダイアン――野兎くん」

「……ダイアンでも野兎でもない。ディアンだ。ディアン・クルス。よろしく、とはどういう意味だ」


 ディアンはムッとし、唸るように名乗った。

 アゼル王国に伝わる古い御伽話で、有名なのが月に住む兎だ。親しみを込めてダイアンと呼ばれるその兎は『間抜け』という意味のスラングにも使われる。王子の言う野兎はスラングの方だと嫌でも察せられた。見た目と、ディアンという名を知っていての皮肉なのだろう。ディアンは月光を透かしたようなプラチナブロンドをしているから、昔からよく兎みたいだとからかわれた。

 第四王子といえば田舎に住んでいて世情に疎いディアンでも、物腰柔らかで優秀だと聞いたことがある。優秀なのは本当なのかもしれないが、物腰柔らかというのは疑わしい。そう見えるというだけで、本性は蛇のような男に思えた。正直、よろしく出来る気がマッタクしない。声音は穏やかだが口調の端々から馬鹿にされている気配を感じる。それとも貴族というのはこういう喋り方がスタンダードなのか。いや、案内役が面倒くさい性格だと言っていたからそちらが真実なのだろう。

 ハルシオンはディアンの様子におっとりと首を傾げ、訝しげに案内役のマルクを見た。


「まさか、何も言わずに連れて来たのか?」

「良い稼ぎになるからどうだってことぐらいだな」

「なんだって? ……お前達は、道中何をしていたのかな。まさかずっと手品でもしていたのか?」

「お、よくわかったな!」

「まるで魔法みたいだった」


 ハルシオンの口元が僅かに引き攣る。幼年学校時代からの友人であるマルクはフットワークが軽くコミュニケーション能力に秀でていて仕事も卒なくこなすが、たまにとんでもないウッカリをやらかす。叱っても注意をしても飄々としているのでもう若干諦めてはいるが、今回のこれは野兎くんにも問題がありそうだ。

 おおよそ聞いていた地域からハルシオンのいる王城までは、村から馬車で二時間かけて主要都市に移動、主要都市から王都まで転移門を使い、王城までは小型魔導車というルートの筈であり、三時間もあってただ遊んでいたというのは想定外だ。普通、どんな仕事なのか気になって自分から聞くものだろう。もしかしてこの野兎には主体性というものが無いのか? それはそれでこちらにとっては好都合ではあるが、教育にかける時間は多めに見積もっておくべきかもしれない。ハルシオンはハアと溜息を吐き、ガシガシと荒っぽく頭を掻いた。


「ディアン・クルス。お前はね、私の影になるんだ」


 ぱちりと、ディアンの碧い目が瞬く。ハルシオンが――第四王子ならば決してしないようなあどけないとすら言える驚きの表情に「要は俺の影武者ってことだよ。野兎」と嫌味が口をついて出る。事態の重さを理解していない間抜けは野兎呼びで充分だ。その言葉にディアンは鋭い目付きで「断る」と吐き捨てたが、その態度もハルシオンを苛立たせた。


「拒否権は無い。お前にも、私にもだ」

「選ぶのはあんただろう」

「まずはその口調から矯正するべきだな。私も野兎なんかに影を任せたくは無いが、王族としての務めだ」

「王族ならば王室付きの魔法使いに化けてもらえばいいだろう!」

「ああ、そうしたかったさ。

 ――殺されたんだ。実力のある魔法師が何人もだ。

 犯人はまだわかっていない。だから、魔法を必要としない影が必要になった」

「……だからって」

「言い忘れていたのは悪かった。だが報酬は約束するぞ。衣食住もコチラ持ちだ」


 二人の険悪なやり取りにマルクが慌てて割って入るが、


「重要な事は、最初に言え」

「言い忘れたで済む話だと思っているのか」

「ハハ、声も似ているんだなぁ……」

「「話を逸らすな!」」


 ピッタリ同じタイミングで同じ顔に睨まれることになり、「おおコワ」とホールドアップする。

 マ、しかし言わなかったのはマルクが全面的に悪い。かしかしとすまなそうに頭を掻いて、ディアンの背中をポンと叩く。


「スマン。いや、本当に悪いとは思っているんだ。だが、王室の影についてなんてそんじょそこらで気軽に話せるような内容じゃないし、ハルシオン様に此処までそっくりな奴なんて世界中探したってお前以外に見つからないからな。

 なあ、ディアン・クルス。あらためて聞くが、お前、金が必要なんだよな」

「……ああ」

「悪い話じゃあ、ないぜ。

 しばらく村には帰れないが、魔法師殺しが捕まれば、たんまり金をもらって帰れるさ」

「口封じで殺されないなら、の話だろう」

「お、鋭いな。だが心配はいらん。ハルシオン様の影は貴重だからな。生かしておくにこしたことはない」


 ディアンは押し黙った。

 金が必要なのは事実だ。

 ディアンの住む村はマライアの森に近く、森から彷徨い出てきた小型の魔獣により村の特産品である林檎畑が荒らされ、今年の収穫は絶望的な状況だった。魔獣はディアンも在籍している村の自警団が罠を張り無事に仕留められたが、駄目にされた林檎の樹を元に戻すのには、時間と、それ以上に金がかかる。マルクの詐欺のようなやり口も第四王子も何もかも気に入らないが、この仕事で提示された金額は街の魔法使いに修復魔法を依頼してもお釣りが出るものだった。危険は承知で此処まで来たのだ。その危険が予想を遥かに超えてしまっただけで。


「……わかった。引き受ける」


 ディアンは、不承不承頷いた。

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