旧コンピュータ室の寂しがり・弐
空虚を飲み込む。
喉がかわいて
「……いないん、ですか?」
「いないいない。このクラスどころか別のクラスにもいない。聞いたことないもんそんな名前」
「銀髪色白の、男の人なんですけど」
「金髪に染めてんのならいるけど、銀髪はいなくね? これマジなはなし」
「てかそんなんいたらバチクソ目立ってっから、いたら一発でわかるっしょ。忘れてるとかもありえねーって」
ああ、信じていたものが、ガラガラと音を立てて崩れてゆく。言われた事を脳がうまく処理できなくて、その場にへたり込む。
私を心配する声はしっかり届いていたけど、それに受け答えするだけの心の余裕は持ち合わせちゃいなかった。
(いない…………いない?)
先輩が、いない。存在しない。
声も、表情も、手の触れた温度も。
確かに私のなかにあるのに。
何処にも、あの人がいない。
私は堰を切ったように走り出した。部室の鍵をつよく握りしめ、職員室まで走る。
室内は未だ誰もおらず、がらんどうで静かだ。私は二年C組の担任の机をあさり、出席票を手に取る。
(うそだ……うそ、うそ、うそ)
無い。彼の名前がどこにも。あいうえお順のそれを何回でも往復して見てみるが、上から読んでも下から読んでも『海尋 メル』という名前はどこにも存在していなかった。
「は、はは、何……これ」
なにか、悪い夢でも見てるんじゃないかと思った。じつは部室で意識を失ってからずっと寝ていて、これが私の見ている夢だとか。
でも、血液を送り出す臓器はジクジクと痛みを主張し、これが夢ではない事を証明してしまっていた。
じゃあメル先輩は……あの人は一体誰?
「ちゅん子」
項垂れている私に、凪いだ音が降りかかる。いつの間にか、職員室のドア前に幼馴染が立っていた。
「ん」
成瀬の親指を立てた手が、ドアの向こう側にクイと振られる。外に出るぞ、というジェスチャーだった。
「……」
「……」
ミンミンミンミン。
黙って二人、
「俺さぁ、」
近くの自販機でスポドリを買ってきた成瀬が、ペットボトルの蓋を開けながら話しかけてきた。スポドリはどうやら自分の分しか買ってないらしい。
「俺、お前のいう"メル先輩"ってのがどんな人か見に行ったことあんのよ」
六回ぐらい、と補足が付け足される。
「その六回とも会えなかった。ちゅん子が大体毎日部室にいるって言うからさぁ、簡単に姿が見れるって思ってたんだよ」
私が部活に行くより前、部活が終わって校舎に誰もいなくなる頃、昼休みのはじめ。どの時間にも成瀬は先輩とエンカウントした事はないという。
「おかしくね? だってさ、お前にバレないよう僅差で五階寄って確かめたんだぜ? 俺が旧コンのドア開けようとしたら鍵掛かってて、今日は部活やんねーんだなって。でも翌日お前はその先輩との部活の話すんだよ」
なにか、嫌な予感がする。今まで幾度となく感じてきたものよりも、一際嫌な予感。
同時に日常にうまく溶けていた違和感が一気に押し寄せてきた。
「お前さ、その先輩がいる時っていつも一人の時じゃなかった? 誰か他の奴がその先輩の事見てたことあったか?」
どくん、どくんと心臓が嫌に音を立てる。
そうだ。そういえば、私がメル先輩といる時はいつも必ず二人きりの時だった。雅さんの件が終わったときなんか、担任教師に気を取られている内にいつの間にか姿を消していた。その間、担任教師はメル先輩の事を視認していない。
言わないで。言わないでくれ。知りたくないことを知ってしまうから。
笹本さんの時よりも強く願うが、そんな心の声エスパーでもなんでもない幼馴染には聞こえるはずない。成瀬はいつものおちゃらけた雰囲気を仕舞い、真剣な声色で作った現実という名の剣を私に突き刺した。
「ねえ、その先輩さ、ちゃんと生きてる?」
「あ――」
夏なのにいつまでも冷たい体。名簿に載ってない名前。書かれてから五年は経っているだろう古い日誌。部室のとうに賞味期限の過ぎた菓子。私以外、誰も姿を見たことのない先輩。
必死だった。現実を見てしまったから。視てしまったから。脳内ではなぜか自然に『先輩が消えてしまう』と思っていた。
「で、でもさ……先輩、影あったんだよ? 言ってたもん。影は、存在証明だって。先輩はちゃんと影あったもん!」
メル先輩が存在しないなんてこと認めたくなくて、認められなくて。必死になって否定する。
「お前まえに言ってたよな。人の認識で霊は姿や在り方が変わるみたいなこと」
「あ、う、」
これも、彼の受け売りであった。
「お前が海尋メルは生きてる人間って認識してたんならさ、お前にだけは人間として映ってたんじゃねーの」
否定したい。違うって言いたい。なのに、あの人から教えてもらったもの全てが否定の邪魔をした。
『幽霊の噂、実はボクが原因なんですよ』
――ああ、そうだ。最初から言ってたじゃん。最初から知ってたじゃん。私、メル先輩のこと、出会うより前に知っていたんだった。
「旧コンピュータ室の幽霊……」
誰もいないはずなのに、部屋に薄明かりがついてたり、物音が聞こえたり、いつの間にか窓が開いてたりする旧コンピュータ室。
そして、そこにいる幽霊は道連れを探している。
「は、ははは――まじ?」
ここにきてようやくメル先輩のあの日のセリフの意味がわかった。彼は、私を道連れにしようとしていたのだ。告白に全部持っていかれていたが、全ては私が完全に彼が彼岸の者であると気づくための布石だったのだ。
「嘘じゃん……ならなんで最後に好きだとか言ったのさ」
膝を抱き込んで
閉じた視界に映るのは、最後に淡く微笑んでいた先輩の顔だった。解らない。先輩の意図が解らない。あんなに一緒にいたというのに、私はあの人の事について本当になんにも知らないんだ。
「う"う"〜〜〜、せんぱいのばかぁ」
くそ、なんだってんだ。後輩女子の心を
そんな情を分け与えておいて消えるなんて、とんだ甲斐性なしだ。アンポンタンだ。ヘタレのとっぴんぱらりのぷーだ。
「……なにお前、その先輩のことガチで好きになっちゃったの。ガチ恋? ガチ恋?」
成瀬がドン引いた様子でとんでもない事を言いやがった。ここでもう駄目だった。いや、もうだいぶ前から駄目であったのかもしれない。いまの私は堪忍袋の緒が切れるのことわざの擬人化と言っても差し支えないだろう。
「……じゃない」
「あん? なんだって?」
「私が先輩をすきなんじゃない……先輩が私をすきなんだよッッッ!!」
ばっと立ち上がって乱暴に涙を拭う。もう先輩が死んでるとか生きてるとか、何もかもどうでも良かった。どうにでもなれと思った。
むねのムカムカが頂点に達し、部室にあるクソつまらないB級ホラー映画を片っ端からへし折ってやりたい気分になった。
なあにが『こいつもいつかボクを嫌になる』だ。なあにが『アナタが心の欠片をボクなんかにも配るから』だ。なあにが『すきです』だッ!! ふざけやがって、冗談じゃない。文句を言いたいのは最初から最後まで私だっての!
ダンダンと音がする強さでもって地面を踏みしめ、間抜けに突っ立っている成瀬の胸ぐらを捕まえる。
「エ、なになに怖い怖い」
「怖くない」
「うわ、なにその地獄の四丁目みたいな声」
「今から先輩埋めに行くから手つだって」
「エ埋めんの? 先輩の何を? 死体?」
「や、違うね。掘り返すのかも」
「だから何を? 死体を?」
かの人は霊関連のことに関してはいつだって関係ない話はしなかった。かの人は言った。ずっと待ってると。見つけろと。そして、逢いに来いと。
彼が霊ならば見つけるのは先輩の遺品かはたまた死体か。もうなんだっていい。私は先輩の言うことだけに耳を傾け、先輩に素直でいればいいのだ。
「死体であろうが霊であろうが、必ず見つけ出してお望みどおり、逢いに行ってやりますよ」
これは私と先輩のかくれんぼ。鬼はもちろん私だ。きっと見つけ出してみせるから、どうかどうか、また貴方に逢えますようにと願うばかりだった。
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