二つで一つの存在証明・肆
背中に冷たいものが伝い、肌が粟立つ。
「窓から伸びた、人ではない細い手。それを見て、つづらさんは無意識に『それが髪の長い女の手である』と思った」
「そう、です。私は確かに無意識に、違和感なく、迷い無くそう思いました」
手が細いからといって、それが女性の手だとは限らない。男子でも手や腕が細い人はいくらでもいる。なのに、私はあれをはっきり「女」と認識したのだ。
「アナタは無意識下で鉢植えを落としたその手の性別を当てた。いえ、意識させられたと言ったほうが正しいんでしょう」
「ん、無意識なのに意識させられる?」
その理論は何というか、
「意識の外に出したくてもなんか気になっちゃうーーって事かな……」
「ふふ、存在感を出して牽制してるつもりなんでしょう。彼に近づくなってやつ? それとも匂わせとかいうやつかな。意地汚くって面白くないですか? あはははは!!」
こ、怖い。
無邪気な笑い方なのに、内から滲み出る邪悪さのせいで全然笑えない。どこら辺にツボってんだこの人。まじドン引き。
「はー笑った。で本題に戻りますが、一路素直さんの見たモヤと、つづらさんを植木鉢でぶち殺そうとした女は同じものです。本来はモヤも視えないんですが、彼は霊感が多少あるんでしょうね」
(急に正気に戻ったなメル先輩……それにしても、なるほど――)
私には霊感がばりばりあるからモヤではなく、はっきりとした形に視えていた訳か。霊感の有無や質で霊の見え方が変わるのはいくらか物語で読んだことがあるが、まさか本当にあることとは。感心した。
「じゃあ、私が無意識下に創造した長い髪の女っていうのはただの妄想の産物ではなく、真の姿だったんですね」
「マそうでしょうね」
「でこの女は誰なんですか?」
「そんなの知りませんよ」
いや知らないんかい!
「今まで自信満々で語ってきて幽霊の性別しかわかってないじゃないですか!」
「ボクは最後まで自信満々に最高な考察をしてたでしょう。何が不満なんですか」
「性別がわかった所で何にもならないでしょ!? それじゃ困るんですよ、私が!!」
「そこで一路素直ではなく自分を出すとこ、すごい厚かましいですね」
自分が厚かましさの権化と言っても過言ではないのは承知済みだし、余計なお世話だ。そんな事よりもである。
「結局のところ、アレはどうして一路くんの影を狙ってるの? そもそも、あれは本当に影を取ろうとしてるの? 影が取られたらどうなっちゃうんですか?」
このままでは私は霊障を一生背負って生きていくことになる。それに告白だなんだときゃあきゃあ騒がれた片割れに何かあってみろ。私は恐らく、関わったらやばい事がおきる「呪われた子」だと噂されることだろう。
「可愛い後輩が不名誉なお名をちょうだいしそうなんですよ! そしたらメル先輩は呪われた子を後輩に持つ変人ですから!」
「わかったわかった。疑問に答えてあげますから喧しく騒がないでください」
呆れられたようだが、お情けが頂戴できるんなら喧しいだの厚かましいだの思われようが構わなかった。全ては私の短い学生人生のため。ちいぽけなプライドには、青春のための必要な
さて先輩はこほんと咳をして「まず、影を狙う理由からお話しましょう」と意識を切り替えた。
「影とは、物体が光の進行を遮ってできた領域ですよね。実際にアナタがそこに立てば、陽の光をアナタの身体が遮ってアナタの形の影ができるでしょう。影はそこに物体が存在していなければできない――しかし」
先輩は手を動かして何かの形を形成する。影は床に落ちて、それはキツネになる。
「逆を言えば、影があれば存在している事を証明できる訳ですよ」
手は解かれ、また別の形を成す。先輩の手は床の光を切り取り、今度はウサギの形を床に落とした。
「霊には影がない。それどころか実体すらない。故に人には認識されない。でも、もしも霊に影があったら?」
「――影が存在証明になるなら、存在証明を持ち得ない霊がそれを手に入れることによって、実体を持つ事ができる……」
死者が
「もしかして、一路くんの影を食って蘇生でもしようとしてるんですか?」
だとしたらとんだ悪霊だ。そもそも人の頭上に植木鉢を落とした奴だ。ポルターガイストで生者をぶち殺そうとする奴なのだ。悪霊じゃないわけない。
「いいえ、あれは蘇生を望む類の霊ではないです。さて、先程から影は『そこに居る』という証明になると言ってますよね。では影が無くなったら、どうなると思います?」
「影が、無くなる……」
「難しく考えないで。一と一を足したら二になる様に。ケーキを食べたら無くなる様に。あるままで考えればいいんです」
影遊びをやめた先輩は私の手をとり、見せつけるように繋いだ。まるで、ここに居ると主張するかのように。床では私と先輩の影が溶けて一つになっている。
存在証明とは読んで字のごとく、存在を証明すること。自己が自己として存在する事を証明することだ。影を存在の証明書の様なものとして、それが無くなったらどうなるのだろう。
自己の存在証明の消失。
それすなわち、自己の消失ではないか。
「き、きえ、消えちゃう?」
どもりながら声を出す。思わず手を強く握ると、メル先輩はにっこり笑いかけた。この人は笑うとき、いつも不穏なことを言う。自身の考えを、他人の心を無視して叩きつけるのだ。
「消えますよ。自身は相手が見えているのに、誰にも認識してもらえず、声も届かず、誰にも触れられない。触れてもらえない。最悪、誰の記憶からも消失するでしょう」
「……っ、それは」
それは、なんとも残酷なんだろう。自分が家族も友人も目に写しているのに、親しい人達は自分を認識してくれない。
触れてほしくても、忘れてほしくなくても、その声は届かない。みんなが自分を忘れていく過程を、黙って見ていることしかできないのだ。
「ねえ、つづらさん。ひとりぼっちになって、もしたった一人だけが自分のことを
誰も見つけてくれなくて、話し相手も居なくて。寒くて寂しくて辛くって。そんな中、手を差し伸べてくれるヒトが現れたら……。嗚呼、まるで恋愛小説の主人公とヒロインの様で素敵だとは思いませんか。
「……つまり、あれは一路くんを孤立させて、独り占めしようとしてる。孤独な主人公のヒロインになろうとしてるんですね」
「Excellent!!」
繋いだ手は離される。二人の影のあった場所は建物の影に呑み込まれて何も見えなくなっていた。
「これでアナタの先程聞いてきた質問には全て答えた事になりますね。では補足をしていきましょう」
「解決策でも提示してくれるんですか?」
「いえ、ぜんぜん」
なんだ違うのか。なら他になにか得られる情報があっただろうか。私はなにも思いつかないが。
「アナタの頭上に鉢植えを落としたこと、一路素直さんの周りの女性を攻撃して、本人に危害はないこと。此処から引っかかっていたんですけど、多分死んでる人間の仕業じゃないですよ、この事象」
「? ふつうに霊の仕業でしょう?」
霊の仕業にふつうもなにも無いが、これは最初から怪異が起こしたことを前提とした話だったはずだ。死んだ人間、つまり霊のせいじゃないとすると、生きている人間のせいになる。が。
「生きてる人間が他人に霊障残すことなんて可能なんでしょうか。そりゃまあ、できそうな前例があるし、無きにしも
呪いという概念があるから強くでれなかったが、これを使えばまあ霊障くらいは負わせられそうである。しかし、かの有名な『コトリバコ』のように人を無差別に呪い殺すものもあるが、あくまで『女こども』と限定的なターゲットが定まっている。
呪い系の話で対象の影を奪い、またその近場の女をピンポイントで攻撃するような呪いなんて聞いたことがない。
「別に生きてても霊的現象は起こせますよ」
「いやいや。死んでないと無理でしょ」
「はぁ……アナタは今まで、ホラーの何を見てきたんですか? とんだにわかですね。それでも映画研究倶楽部の部員ですか?」
確かに私は映画研究倶楽部の部員だけど、そもそもこの部活は映画を研究する部活じゃん。ホラー映画を研究してるわけじゃないじゃん!
「仕方ないですね。お粗末なオツムのアナタに教えてあげましょう。人は生きていても霊になります。
生き霊。
生きている人間の恨み、執念が実態を持って害をなすもの。また大体のケース、本体は無自覚に生き霊を相手に飛ばしている。
「死んだ人間の霊はさっさとターゲットを殺して連れて行くか、ライバルを早々に殺します。今回のは理性があるやつの様ですし、本体の気持ちに引っ張られてる可能性が高い」
「鉢植え落とす
こちとら一歩間違えれば死だったが?
「理性が無きゃ所構わず影狩りしてますよ」
「それはそっか。授業も部活もその場に留まってるんだから影は奪いやすいのにノータッチですもんね」
なら、鉢植え落とすようでも理性は一応あるのか。まじか。なんか釈然としない。
「つづらさんは一路素直という人間がどういう方かご存じですか」
「んー、よくは知らないです。でも剣道部って確かめちゃめちゃ誠実な人が多いって聞いたことあります」
朝は生徒会と一緒に校門であいさつ運動に勤しみ、部活はみんな皆勤賞。声がハキハキしていてみんな優しい、とクラスの女子が言ってた気がする。
「今までの話を聞く限り、彼は勉強や部活動に精を出すタイプの人間のようですし、きっと邪魔はしたくなかったんでしょうよ」
邪魔はしたくない、それを聞いてなんとも言えない気持ちになってきてしまった。
影を奪って彼を独り占めしようとする反面、彼が頑張っている勉強や部活の邪魔はしたくない。無意識の具現化である生き霊に反映された強い思い。でもそれって――。
「矛盾してますよ。だって独り占めしたら授業も部活もできないじゃないですか」
誰にも認識されなきゃ授業にも部活にも出られない。今までの一路くんの努力が途切れてしまうじゃないか。
「どうせ邪魔したくないなんてのはきれいに見せるための建前で、独り占めしたいというのが本性ですよ。浅ましい考えです」
「浅ましいなんて、そんな事……」
「浅ましいでしょう。醜く嫉妬して、周りを攻撃して。結局だいすきな彼に迷惑をかけている」
メル先輩は吐き捨てるみたく鼻で
目の前のこの人はどこの誰かも知らぬ女の子の、生き霊を飛ばしてしまうほどの恋に、ひどい嫌悪を抱いてるようだった。
「で、どうします? 彼消滅しますよ」
「どうするって言ったって」
「解決策はわかってるんでしょう?」
「ウッ」
「また甘ちゃんな考えしてたんですか?」
「ウウウ」
解決策は、まあある。ただし、頭に浮かんだものが全て実行するには人でなし過ぎた。
言葉にするのが鬼畜みたいで嫌だったが、メル先輩は迷わず声に出した。
「まず生き霊の本体を消す」
「ふつうに無理。倫理的にもNG」
「彼女を作らせて諦めさせる」
「作った彼女がとり殺されますよねそれ」
「本体と付き合わせる」
「一路くんの意思を尊重しないとどうにも」
詰みである。無理がある。
これらすべて本人たちの意思を無視した解決方法なの、おわかり頂けただろうか。
「は、話し合いは」
「いきなり身に覚えの無いこと話し合い? 変質者にしか思われませんね」
「お、穏便に!」
「アナタのいう蛮族に穏便とか(笑)」
「イーーーーーーッ」
駄目だ、平和的解決がのぞめない。
というか生き霊で牽制するほどに惚れてるのだから下手に関われば悪化するじゃんこれ。無理だ、絶望だ。やっぱり人生ろくなもんじゃない。
「やっぱり一路 素直に彼女を作って諦めさせましょう。誰か紹介してさしあげては?」
「私に紹介できる女友達がいるとお思いで? というかそれだと死人が出そうなんですってば! それに」
それじゃあ、何もかも知らないでやっている女の子の方はあんまりじゃないか。
「全部無意識にやってることなんですよね、
これ。ならいきなり好きな人に彼女ができるのは――」
「可哀想、ですか?」
『可哀想』という言葉が嫌で
「前回もですけど、よく殺されかけたのにそんなこと思えますよね。ボクには理解できない。大体アナタには関係ないことでは?」
「確かに、一路くんに彼女ができようが知らない女子が失恋しようが、私には関係ないです。でも、少しでも関わってしまったから」
「……」
関わってしまったなら、もう知らんぷりはできない。目があったらもう駄目なのだ。
「もしこれで相手が不幸になったら、寝覚めが悪くなっちゃいますよ」
「――」
メル先輩の口が声のない言葉を紡ぐ。何を言っているかはわからない。
じっと眺めていたけど、やがてはため息をついて机に肘をついた。
「つづらさんがどんな人間か、少し理解した気がします。それで? 結局どうするんです。彼には助けてほしいと言われているんでしょう?」
「うーーーーーん」
考えろ考えろ、考えるんだ。
生き霊をどうにかして消すのが一路くんが望んでいること。生き霊は思い人の独占完遂、ないし恋愛成就が消える条件だろう。
つまり一路くんを助けるには恋愛成就か、失恋させるしか道は無い。
名前も顔も知らない彼女が理不尽を理由に失恋しないように、また一路くんとその周りが不幸にならないような救出方法。何か、悲しい恋の終わり方にならない方法はないか。
「ハッ、百年ものの恋が終わるっていうなら、ボクも同情心で助言くらいはしますけど」
百年ものの恋……百年……。
「あああああああああああ!!」
「うわびっくりした! なんだ一体!」
「それそれ、それです!!!!」
「いやどれだ」
平和的解決、できるかもしれない!!
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