花も恋も寿命は短い・肆

 耳障りな声だった。名前を呼ばれた。呼ばれてしまった。教えた覚えのない名前を、上から下まで全部。


 息が吸いづらくて、喉を抑える。


「つづらさん、大丈夫ですか」

「あ、名前……私、教えてない……教えてないんです。なんで?」

「……」


 所謂いわゆるオカルトというやつには、生者が守るべきルールが存在する。そのうちの一つが『死者に自身の名前を教えてはならない』というもの。


 名前は大事なものだ。名は体を表し、存在を強固にする。そこに存在している事を表すもの。死者はそれを奪おうとするのだ。だから教えないようにしていた。だというのに、なぜ?


「つづらさん、とりあえずここから出ましょう。居場所がバレてますから」


 メル先輩の冷たい手に引かれ、旧コンピュータ室から出る。廊下からは何も聞こえなくて、足音だけが響いた。

 そこで可笑しいことに気づく。いつもなら運動部の掛け声や廊下でお喋りする生徒の声が、一つも聞こえない。


「せ、先輩。なんか可笑しくないですか? 誰の声も聞こえないです」

「おや。とりあえずアナタの教室にでも行きましょう。話はそれからです」

「アはい」


 足早に先を進む先輩を後から見つめる。こんな時でさえ口角は上がっていて、なんだか腑に落ちない。私はこんなに血の気が引いているというのに、何故こんなにも楽しそうでいるんだろう。先輩は怖くないんだろうか。


 ぽやぽやしていたら、いつの間にか教室についていて、自分の席に座っていた。先輩に私のクラス、教えたことあったっけ。

 教室は誰もいなかったけど、それ以外はいつも通りで心が落ち着いた。少しでも日常が見れるのは精神的に安心感がある。


 余裕ができたところで前の、成瀬の席に座っているメル先輩に話しかけた。


「メル先輩、怖くないんですか?」

「会話するくらいの余裕はできたようで、大変結構です。怖くなんてないですよ。むしろ楽しいくらいです」

「昨日から思ってた事ですけど、他人の不幸事を楽しむのは人としてどうかと思います」

「ボクに人として、なんて言葉、関係ありませんね。人の不幸事は蜜の味ですが、今のボクは、アナタの不幸事を楽しんでいるのではなく、ただ純粋にホラーとして楽しんでいるだけですよ」


 それはただの屁理屈じゃなかろうか。だって、先輩は私が泣いていたときも、息が詰まっていたときも、一ミクロンだって心配なんかせず、むしろ私の反応一つ一つを楽しんでいたじゃないか。


「毎日変わらない日々をすごして、暇だったんです。そんなとき、面白そうなおもちゃが滑り込んできた。遊ばない手はないでしょう?」


 おもちゃって言ったよこの人。


「マそんなこたどうでもいいんですけどね」


 どうでもいいって言っちゃったよこの人!


「ふふ、そんな反抗的な目をされると、ボクは思わずあいつらにアナタを差し出してしまいたくなってしまいそうです」

「反抗的な目なんてそんなこと無いですよ素敵な先輩をそんな目で見るわけないじゃないですかあはは」


 私はいったい、何をしてるんだろう。さっきまで恐怖で身を固めていたのに、今やおんなじ部活の先輩のご機嫌取りをしているなんて、情緒がバグを起こしそうである。


 そもそも、こんな呑気にしていていいのだろうか。私はあのクレヨンに見つからないように、旧コンピュータ室に私物を隠していたのだ。なのに、今日あっさり見つかってしまった。あんなに状況が酷くなるなんて思いもしなかった。このまま私の元にが来てしまえば、私は間違いなくアレらの仲間にされてしまうだろう。


「さて、そろそろアナタの事についてお話頂いても? ボク朝からずっと楽しみにしてたんです」

「うわ、すごく楽しそう」


 先輩もこの呪いとやらに巻き込まれているというのに、こんな楽しそうで、いったいどんなメンタルをしているんだろう。もしかしてあれか? アレは私しかターゲットにしてないからか? 自分には関係ないってか。


「不安に思わなくても、しばらくここへあいつらは来ませんよ。だから安心してください」

「どうしてわかるんですか」


 メル先輩は窓の外をみて「なんとなくですよ」と言った。なんとなくと言ってはいるが、何故か確信を持って言っているように感じた。


 しばらく、私の口は滑るように呪いについて、自分のことについて語りだしていた。



 ―回想―



 私はむかし、とても恐ろしい体験をしたことがある。とても恐ろしい体験の詳細は省くが、その日から私は、人でないものが視えるようになっていた。視えるようになってしまっていた。

 それは影だったり、モヤだったり、手だったり、さまざまな形を成していた。完璧に人になりすましているものもいた。


 幼心に、これらに関わってはいけない、見つかってはいけない、視えることを知られてはいけないのだと理解わかっていた。恐ろしい体験をしたとき、に大人たちに散々言われてきた。関わったら、見つかっては、知られては、己は死んでしまうのだと。


 だから、私は視えないふりをした。これは自衛。私が死なない為の。


 視えるようになってからの私は、よくあちら側の住民に絡まれることが多くなっていた。母の声で呼ばれたり、服を引っ張られたり。でも、全部無視をして、全力で関わらないよう逃げていた。そうして七年間生きてきた。


 高校一年生、つい先月のはなし。私の視界に赤が交じるようになった。最初は一日に一個程度。それが段々増えてきて、主張が激しくなっていった。クレヨンだけでなく、季節外れの彼岸花が添えられていた事もあった。

 私はこれが始まったとき、すぐ気づいた。これが人間のやった事じゃないと。生者ではなく、死者の仕業であると。直感だった。


 ある日、授業ノートに私の名前が書かれていたのには肝が冷えた。生者は死者に名前を知られてはいけない。教えてはならない。私はあちら側の住民に名前を教えたことなど、一切無かった。だというのに、赤いクレヨンの送り主は私の名前を知っていた。異常事態であり、非常事態であった。


 このままでは、私は殺されてしまうかもしれない。だからいつもみたいに逃げた。心の根っこから幽霊なんていない、枯れ尾花だと思い込んだのだ。私の事が気に入らないが嫌がらせをしていて、私は私物と自分を守るために旧コンピュータ室に籠もる。 幽霊ではなく、人間から酷いことをされているという体で行動を起こすことで、幽霊にちょっかいを出されているその事実を、塗りつぶそうとしたのだ。


 これが私の目を逸らしている理由であり、今現在に至るまでの過程である。



 ―回想終了―



 話を終え息をつく。いくつになってもこの話をするのは緊張する。


「面白い。実に面白いです!」


 今の話を聞いて凡そ普通の人じゃ言わないような台詞だ。知らず俯いていた顔を上げれば、鼻がくっ付きそうなほど顔を近づけた先輩の顔が、そこにあった。うわちか。


「ちょ、近いのですが!」

「ありきたりですけど実に面白い話だ。聞いた限りだと赤いクレヨンが身近に現れる原因までは分かっていないんですよね? 原因不明の霊的現象、それに加えてある理由で霊感が備わってしまった高校生ときた! 現実にこんな設定を背負しょった人がいるなんて――面白すぎる!!」

「ひん、何この人ぉ」


 怖い、怖すぎる。勢いもそうだが、人も音も不自然に無い校舎でテンションをぶち上げているのも怖いし、私のオカルトチックな話を聞いて面白いとか言っちゃう神経も怖い。この人サイコパスなの? バイブス下げて。


「ちょっと、いい加減にしてください! まったくもって、面白くなんてありませんから。最低最悪ですから!」

「そりゃアナタからしたら面白くないでしょうね。ですが、ボクは正直関係ないので面白いです。怪談話って他人から聞くぶんには面白いし楽しいでしょう?」


 ええ、ええ、そうでしょうとも。当事者じゃなくて高みの見物できる位置にいるなら、一つのストーリーを読んでいるように楽しめるでしょうよ。だからって関係ないとか釣れないこと言わなくたっていいのに。


「ふふ、そんな膨れないでください。面白い話をしてくれたお礼に、今のこの状況を解決する手立てをボクが特別にお教えしますから」


 先輩の手が私の手の甲を滑る。ゾッとするほど白くて冷たい手。赤い色とは対極にある、冷たい印象の手だ。


「アナタは呪われています。このクレヨンは呪われている証拠です。呪われているんですから、アナタを呪っている人物が必ずいるのです。誰か、心当たりのある方がいらっしゃいますか?」


 いきなりのスキンシップに戸惑いながら、うんうんと心当たりを探る。


「あいにく、私の事を呪いたいほど憎んでいる相手には心当たりがありません。小学校や中学校の同級生には高校に入ってから全く接点がないし、今のクラスメイトも、特別関わりがある人がいなくて……」


 そう、私は自分で言いたかないが、友達がとても少ない。四捨五入したらゼロになるくらいいない。関わる人が少ないから、恨まれる頻度も少ないと思うのだ。なんか哀しくなってきた。


「なるほどなるほど。では、アナタが高校に入ってから今まで、特別関わってきた方は誰が居ますか?」

「えっと……幼馴染の成瀬晴夏、担任の先生、あと同じクラスの笹本鞠、かな?」

「ふむ。アナタと先生以外の三人の関係を詳しく教えてください」

「関係? 幼馴染はただの幼馴染です。幼稚園の時からの付き合いですね。笹本さんは幼馴染経由で、中学三年生の頃に知り合ったんです。ほら、斜め後ろのあの席が、笹本さんの席なんですよ」


 一番後ろの列の右から三番目、机の鉄製の箱部分には『笹本鞠』という名札がついている。


「なんか、笹本さんが部活ですっ転んで大怪我した時に、成瀬がおぶって保健室に連れて行ったらしいです。キザですよねぇ。本人にもキザって言ったんですけど、『昔のお前がすっ転んでおぶってやった時の名残』とか言われて、何も言えなかったな」


 懐かしい思い出に思わず笑みが溢れた。そこからはよく三人で一緒に帰ってたっけ……そういえば、高校に入ってからしばらく、笹本さんとは帰り道を歩いてないな。


「成瀬は私が霊感があるって事を知ってて、心配だからっていつも一緒に帰ってるんです」


 そこまで話して、メル先輩は「だいたい分かりました」と話を中断させた。今ので何が分かったのだろうか。


「あの――」

「つづらさんは、何故クレヨンの色が赤いのだと思いますか?」

「え」


 何故赤いのかって……何故だろう。クレヨンの色なんて何でもいいのでは?


「たまたま赤いクレヨンを選んだ、とか」

「いいえ。赤い色にはちゃんと理由がありますよ。それこそ、青だったり黄色だったり、他にも鮮やかな色がたくさんあるでしょう? 小さなこどもは海を緑で、空を黄色で塗ったりしますから。もっと色々な色のクレヨンを使いそうなものじゃないですか?」


 確かに、言われてみればそうかもしれない。小さなころ、色とりどりのクレヨンを前に全ての色を使ってみたくて、実物とは全く違う色で彩色した覚えがある。


「沢山ある色の中で、あえて赤いクレヨンだけを大量に使う理由。ふふふ、わからないって顔に書いてありますよ。ええ、解ってたらこんな事になっていませんものね」


 先輩の手が私の手を持ち上げて指を絡める。ピッタリと繋がれた私の手を、握りながら指先でスリと撫でた。


「ほら、赤い糸って迷信があるじゃないですか。自分の運命の相手の小指に繋がってるっていうアレ」


 緩慢に力を込めて抜くが繰り返される行為に、首の辺りがチリチリと焼けるような感覚になる。


「赤い色って、そういう物によく付随する色でしょう? 赤い薔薇を送るとか、赤い紅をひいて異性の気を引く、とか」

「そ、れが……この呪いと、何の関係が?」

「おや、まだわかりませんか? アナタが赤いクレヨンを視認し始めたのは高校に入ってから。高校でアナタに関わりがあるのは担任教師と、アナタの幼馴染である成瀬晴夏、友人の笹本鞠の三人だけ。つまり、アナタを怨み呪う人はこの三人のうちの誰かしかいません」


 喉が乾く。粘膜がひっついて言葉を紡ぐことさえできやしない。


 聞きたくない。


 その先を聞いてしまったら、きっと居心地のいいあの小さな空間を壊してしまう。


「アナタを呪っているのはアナタのお友達である、"笹本鞠"でしょう?」

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