花も恋も寿命は短い・弐

『旧コンピュータ室には、自殺した生徒の幽霊がでる』


 わが校でまことしやかに囁かれている噂。誰もいないはずなのに部屋に薄明かりがついていたり、物音が聞こえたり、いつの間にか窓が開いていたりなどなど。


 なんでも、旧コンピュータ室で首吊り自殺した生徒が、寂しいから道連れを探しているらしい。同じ学校に通う幼馴染が面白おかしく話してきた内容だ。

 実際、この学校では昔なにかの事件があったらしいけど、それが旧コンピュータ室の幽霊と関係があるかなんてわからないし、事件の話には興味があまり無いので右から左に流していた。


 そこまで思い出して私は頭を抱える。もっとちゃんと話を聞いとけばよかった……。


「怖いと思いつつ来ちゃう、自分の野次馬根性が憎い。憎たらしい」


 ホラーは好きだ。大好きだ。都市伝説や七不思議の話は心躍る。しかし、それらは他者から又聞きするのがいいのであって、自分が当事者になるのは別だ。私はとり憑かれるのも呪い殺されるのもゴメンだし、怖いものを視界に入れたくない。とにかく怖い。でも――。


「どんな人がいるかはちょっと気になる」


 わざわざ暗号めいた紙を用意して、紙を見つけた人を誘導するよう仕向けた人物。ここまで来るのは、正直かなり楽しかった。誰かは知らないが、メモを頼りに来ました、楽しかったですくらいの感想を言うくらいは、いいんじゃないだろうかと思ってしまったのだ。


「よし!」


 ソロっとドアをスライドさせ、小声で「失礼シマース」と呟く。


 本やノート、映画のパッケージなどが乱雑に積まれた、少し散らかっている室内。天井からは視聴覚室にある様なスクリーンが降ろされたままだ。


 部屋の奥の角、スクリーンの前に一人、男子生徒がたたずんでいた。

 あ、と声をかけるタイミングで窓から風が吹く。声に気づいた彼が、まるで映画のワンシーンみたく振り返る。


 夕日で照らされた明るい室内に、きらきら光る銀色がまたたいた。


「――っ」


 人はあんまりにきれいなものを見ると息を吸うことさえ忘れるとはじめて知った。こんな綺麗なもの、ほんとうにはじめて見たのだ。癖っけの銀髪は開けられた窓から吹く風に撫でられるたび夕日を反射し、絶えず波うって光る。


 冷たい印象をうける容姿のその人は、私を見て目を丸めた。


「―――――」


驚きでうすく開いた唇が微かに動くが、風の音で声はかき消された。


 数えてみれば三秒ほど、体感では永遠にも思える時間見つめ合い、やがて彼の方から言葉をつむぐ。


「キミ、誰です? ここに何の用ですか」

「エ、うあ、あの、あう、これ!!」


 見惚れていたのが恥ずかしくて、その事実を隠すべくルーズリーフをズッと差し出す。それだけで目の前の男子生徒は用を理解したみたいだった。


「……暇なんですか?」

「ウグッ」


 顔がぐしゃっとなる。初対面の人に呆れたような顔で、馬鹿にしたようなことを言われた……。自分でも暇かよと思うところがあるので何も言い返す言葉がない。


 言葉に詰まりまごまごしていると、男子生徒はなにか考え込むような仕草をしたあと、天使みたいな顔でこう言った。


「ええ、ええ。ここに生徒が来るのは久しぶりだ。わが映画研究倶楽部へようこそ」


 男子生徒は私にちょいちょい手招きをしてくるので、部屋に足を踏み入れドアを閉めた。


「おや、ドア閉めるんですね」

「エ、開けたら閉めるのが常識では?」

「なるほどなるほど」

「?」


 なにかおかしな事しただろうか。ドアしかり、ペットボトルのキャップも引き出しも、蓋や扉は開けたら閉めるのが自然じゃないか。


「いえね、見知らぬ男子生徒と二人っきりの状態で唯一の逃走経路であるドアを閉めるなんて、なんてマヌケ―――いえ、警戒心の無い方だろうと思っただけですよ」

「ピヨ」


 頭の中で色々な感情が混ざって変な声しか出なかった。密室で二人きりと異性に言われた恥ずかしさと恐怖。そしてそれらを凌駕りょうがするマヌケ発言。マヌケ……マヌケって言われた。マヌケ、マヌケ――。


「マヌケじゃない、マヌケじゃないもん! ちょっと育ちがいいだけだもん!」

「自分で言いますか、それ」


 ハッと鼻で笑われる。この人、顔だけ見れば色白儚い系なのに、口も態度もいっぱいわるい!


「ま、アナタみたいな平和ボケした人と二人きりになったところで、意識のいの字もありませんので、安心してくださって結構ですがね」

「アはい」


 それはそれでなんか複雑な気持ちになる。何だこの人は。初対面の女子になんて失礼なこと言うんだ。いや襲ってほしいとかそんな思い、一切ないんだけども。それとこれとは話が別であった。


「突っ立ってないで座ったらどうです?」

「ハイ、座りマス」


 イスを引いてくれたのでそこに座らせてもらう。男子生徒は反対側に座り、お互い面接みたいに向き合った。


「さて、ここは各々好きな映画を見る為だけに活動をする場所です。最初にアナタの名前をうかがっても?」

「あ、はい。私は雀部つづらっていいます。一年生です」

「ふぅん、フルネームか……ボクは部長である海尋みひろメルです。よろしくどうぞ」


 ちなみにボクは二年生です、と歌うように話す男は、どうやら一個上の先輩らしい。確かに、同い年よりは年上の人の印象だった。ちょっと偉そうなところとか、まさに上級生って感じ。


「それにしても、よくこのメモ書きがみえましたね。他のビラの勢いが凄すぎて、其方そちらに目が奪われそうなものですが」


 夕日を背に受ける先輩は、片手で摘んでルーズリーフの切れ端を遊ばせていた。確かに、あれは漫画の一コマに表すならでかいコマ割で集中線に『ドンッ』と文字が置かれてそうな勢いだった。


「他が派手すぎたので、シンプルなルーズリーフが逆に目立って見えたんですよ」

「へぇ? それで暗号を解いてここまで来たと。ということは入部希望ですね?」

「エなんで?」

「なんでってアナタ、わざわざ暗号解いて階段登って来たんですから、入部しに来たんでしょう」


 違いますかと首を傾げるから、こちらもまねっこして首を傾げる。確かに、メモを読みとってまでここに、来たんだし、心のどこかで時間をかけてでも、足を運ぶ価値があると思ってるのかもしれない。そういう気がしてきた。あれ? 私は入部希望しにきたんだろうか。


「私、入部しに来たんでしょうか……」

「ボクに聞かれても困ります」


 眉をハの字にして肩をすくめる様は、絵にはなっているが、少々わざとらしく映る。胡散臭うさんくささに一センチぐらい後ずさったとき、手に持っていたものの存在を思い出した。


「ア、そうだ、部活動を今日中に決めないと親を召喚されるんだった」


 入部届はぐしゃぐしゃだ。無意識に手に力を込めていたようで、手汗でちょっと紙が柔らかくなっていたのが不快だった。


「ね、先輩。映画研究倶楽部って何時から何時まで活動してますか?」

「ああ、興味を示していただき嬉しい限りです! そうですね、活動したいときに活動したいだけ、お好きにしていただいて構いませんよ。部員もボク一人しかいませんし、だいたい毎日ここにいるのでアナタが来たい時に来ればいいです」


 ここで脳内ディスカッション。この部活の欠点は『一、幽霊が出る』『二、遠い』『三、部長の口が悪い』の三点だ。欠点一はガセ。欠点二は余り気にならない。欠点三はマ、我慢すればよし。メリットの方は自由にできる一点。十分だ。このメリットはでかい、でかすぎる。


「入ります!」

「決定が早すぎやしませんかねぇ」

熟考じゅくこうしました!」

「だとしてももう少し思慮しりょ深くなってもいいと思いますけど」


 ――ほら、ここ、変な噂たっているでしょう?


 必要もないのに、わざと声を潜めてお話する。どうやらこの先輩も、怪談話のことを認知しているらしい。そんなに有名な怪談話だったのか。部室に幽霊が出るなんて噂たてられて、先輩可哀想……。


「幽霊の噂、実はボクが原因なんですよ」

「へ、そうなんですか」

「ええ。ボクが部活動に勤しんでるときに、肝試ししに来たお莫迦が勝手にビビって、噂を立てたみたいで……」

「お、おばか」


 この人、この学校生徒が嫌いみたいだ。やれやれと見下しで肝試ししにきた生徒の悪い所を述べるさまは、どことなく生き生きしているように見える。

 この人ぜったい人のアラ探しになると元気になるタイプだ。私にはわかる。


「こほん、そんな理由で、皆さんここに近寄らなくなっている訳ですが……アナタ、気味悪く無いんですか?」

「最初は怖かったけど、いたのは幽霊じゃなくて性格悪い先輩だけだし、今はなんとも」

「ほぉ、先輩ですか」


 ――ア、やべ。


「ちちち、今のはちが――」


 笑ってるのに、背後にゴゴゴゴゴという文字が見える。私がつい本当のことを言ったばっかりに、先輩を怒らせてしまった!


「アーッもうこんな時間だ早くしないと職員室閉まっちゃーう。今日はこれで失礼します!」


 三十六計逃げるに如かず。最後は早口で、記入した入部届を引っつかんで廊下に飛び出した。明日になればきっと溜飲りゅういんが下がってると思いたい。




 外は日がほとんど落ちていた。廊下の電気は消えている。


 怖い話はほとんどが、幽霊見たり枯れ尾花。大体がでっち上げの幻だ。現に旧コンピュータ室の幽霊はただの口悪い先輩がいるだけだった。だから、幽霊なんていないんだ。気のせいだ。暗い廊下なんて、怖くないったらないのだ。職員室からは明かりがもれていて、なんとなくホッとする。大人という存在は、ときに絶大な安心感をもたらしてくれる。


「失礼します」

「おお、おつかれ。部活は決めたか?」

「はい。入部届も書いてきたので、どうか親召喚の儀だけは勘弁していただきたく」


 卒業証書を貰ったときみたいに、腕を突き出して入部届を渡す。

 映画研究倶楽部はゆるい部活みたいだし、うまく行けば、一人になりたい時の避難場所になるかもしれない。肩の荷が降り、ついでに居場所も確保できたので、ほくほくだった。


「……お前、この部活のことどこで知った」

「どこって、普通に学内掲示板です」

「嘘ついてるわけじゃないよな?」

「なんでそんな嘘つかなきゃなんないんですか。理由がないです」

「……そうか」


 担任は難しい顔をしている。もしかして、この部活に入ることは許されてないとか? 教師のしかめっ面は不安を煽るので、せめて校舎裏とか屋上みたいな、生徒があまり来ない場所でやってほしい。


「そうだな、承認しよう。俺は映画研究倶楽部の顧問だし、あそこの部屋も、俺がいつも掃除する訳にはいかないしな」

「あそこの部屋、先生が掃除してたんです?」

「ある生徒との約束でな」


 先生は苦笑いして答えた。もしかして、ある生徒とはあの先輩の事だろうか。顧問の先生に掃除させるとかやばいなあの人。


「ほら、暗くなってきたからさっさと帰れ」

「あい」


 無事承認された。勝った。これで私も今日から廊下を胸を張って歩けるのだ。人生は素晴らしい。


 さて、部長直々に自由にしていいと言われたのだし、明日はさっそく部室に私物を置かせてもらおう。――今の私には、安心できる隠れ場所が必要だから。

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