第3話

 翌日、登校してすぐの朝一番。

 済んでしまったことは仕方ないと、ポイントカードにスタンプを押してもらおうとした俺は、葉月さんから驚くべき返事をもらう。



「押さないよ?」


「…………え?」


 涼しげな顔で当たり前のように言ってきた。


「だってお願いなんてしてないじゃん? 忘れたって言ったらキミが進んで貸してくれたんだよ?」


 …………………………。


 た・し・か・に…………!



「確かに、そうだな」


「そそ。キミがイヤだなーって思うような時の十回なの」

「なるほどな」


 こりゃ一本取られたわ。

 とはいえ確認しなかった俺にも落ち度はある。


 それにこの十回がなくならない限りは──。


 そんな邪な感情は抑えようとしても抑えられるものではなく。言いくるめられているような気がするも、俺にとっては都合が良かった。


 だって空白は守られたのだから。


 心の中でガッツポーズをした──。






 ◇


 そんな日々が続いたある日、ついにポイントカードにスタンプがひとつ、押されてしまう事態に直面した──。


 昼休みの校舎裏。

 葉月さんは珍しく人目を気にしていた。そして、とんでもないお願いをされてしまう──。



「そのお願いはさすがに聞けないよ」

「そっか。じゃあもう、ポイントカードなんてあっても意味ないね。それ返して。おしまいにしよっか」


 それは思いもよらない言葉だった。

 でも確かに、断るんじゃポイントカードの意味なんてない。でも、だからって──。


「わ、わかったよ! やるよ。やればいいんだろ? どうなっても知らないからな!」


「キミは本当にわかりやすいね。じゃあ、お願いします!」


 ニコッと笑うその笑顔からはどこかいじらしさを感じた。


 いったいなにがわかりやすいのか。考えると小っ恥ずかしくなる。

 俺が大切に守っているポイントカードは、いずれおパンツ購入券に化けるものだから──。




 ☆


 葉月さんからのお願いとは、恋人のフリをすることだった。


 クールビューティな葉月さん。

 その近寄り難い雰囲気から、話し掛ける人なんて殆どいない。隣の席の俺が挨拶すらできないほどに、分厚いを壁を感じずには居られない存在だった。

 イケメン・陽キャ・パリピの三銃士でさえも敬遠するほどに。


 しかし、ここ最近。

 隣の席の俺と談笑しているためか、男子たちが近付いてくるようになった。


 体育の授業で葉月さんが俺の体操服を着ていたことも、一部で変な噂が立つなど……。


 その結果、訪れたのは告白の嵐!

 人によっては二度三度告白しに来る者まで現れ、葉月さんは度々困り顔を見せるようになった。


 責任は俺にある。……の、だが。

 こんなお願いをハイそれと聞けるわけもなく。スタンプを引き換えに承諾する形となった。


 ただ、その日を境にスタンプが押される機会は増えていった。


 




 ◇ ◇


「こ、恋人同士ならキスくらいできるだろ!」


 昼休み。俺と葉月さんがご飯を食べていると、パリピがこんなことを言ってきた。


 まさかにも、こんな子供じみたことを言う奴が居たのには驚きだが、それくらい俺が葉月さんと付き合うことは、現実味に欠けるのだろう。


 当然俺はこんな要望を承諾できるわけもなく、またひとつ、スタンプが押されてしまった。


 頬へのファーストキスとともに、大切なスタンプの空白が埋まる。


 それはまるで、終わりへのカウントダウンのようにも思えた。






 ◇ ◇


 それからも、スタンプはどんどん押されていった。


 ──林間学校。

 夜中に二人で抜け出し夜空を見に行った。


 ──文化祭。

 校内ベストカップルに選ばれた。


 ──夏の夜。

 二人でした手持ち花火大会。



 いろんなことがあった。

 あくまで付き合っているフリという大前提がある以上、本当の恋人のような行為をする際はポイントカードに頼らざるを得なかった。


 そのたびに、初めてと引き換えにポイントカードの空白は埋まっていった。


 嬉しさ半分、切なさ半分。

 空白の残りが少なくなるにつれて、そのバランスは崩れていった。





 ◇ ◇


 春が終わり夏が来て。秋、そして冬──。

 この頃になると、スタンプカードは九つ目まで埋まってしまい、俺は葉月さんを避けるようになっていた。


 次が最後──。

 そう思うと物怖じしてしまい、まともに話すことさえもできなくなっていた。


 スタンプカードで繋ぎ止めていた関係はいつの間にか、最初の頃に戻っていた。


 まだひとつ、空白が残っているのに──。


 俺が守りたかったものはなんだったのか。ポイントカードの空白なのか、それとも──。




 ◇

 

 そうしてついに、終わりの日は訪れる。



「お願いがあるの」


 それはふいに、放課後の静かな階段隅で言われた。

 頑なに言わせまいとしていた言葉はあっさりと、彼女の口から飛び出してしまった。


「えっと、俺……。このあと用事あるから」


「うん。すぐ終わるから大丈夫」

「す、凄まじく急ぎの用事で……。すぐにでも走り出さないと間に合いそうもないんだ! あぁもうやばい! 時間がない!」


 こんなのは大嘘だ。

 走り出したい気持は本心だけど、違う……。


 全てが予め決まっていたかのように、

 今日、この場所で終わらせるかのように、

 葉月さんはたじろむ俺に、容赦なくお願いを突きつけた。


「ぎゅっとして」


 今までとは違う、異質なお願いに「え……」と驚くも、最後のお願いを言われてしまった。


 断れば帰ってくる言葉は決まっている。

 何度も言われてきたからわかっている。


 わかっているけど──。

 断らずには居られない──。


「だ、ダメだろ。だって俺ら恋人のフリしてるだけだし……。お、俺、もう行くから」


 逃げるように立ち去ろうとした瞬間、腕を掴まれた──。


「なら、ポイントカード出して。意味ないから」


 葉月さんの言葉は素っ気ないものだった。

 当たり前だ。ここ最近はろくに会話もしていない。ずっと逃げて来たんだから。


 ポイントカードの意味なんて、もう……。


 それでも──。

 出せるはずがなかった。

 スタンプは既に九つ押されている。残る空白はひとつだけ。


 いつだって、俺たちの間にはポイントカードがあった。

 いくつもの季節をポイントカードとともに、過ごしてきた。


 これが無くなれば、もう……。俺と葉月さんを繋ぎ止めるものは、なにもない。


 今こうして話している時間さえも、なくなる。


 でも俺は、思ってしまったんだ──。


 今ここで、抱きしめなかったら壊れてしまうんじゃないかって。

 それは、なくなるよりも、きっと……悲しい。       

 


 だから俺は抱きしめた。

 これが最後と知りながら。


 違う。最後だから、こそ……。


 笑顔で──。良い思い出に、するために──。



「どうしてキミが泣くのかな?」


 ほとんど無意識だった。

 溢れだす涙をとめることができない。


「どうしてかな。あれ……わかんないや……」


 嘘だ。

 全部わかってる。俺はもっと、この関係を続けたかった。


「そっか。キミは本当に、不器用な人だね」


 そう言うと優しく抱きしめ頭を撫でてくれた。


 俺は、葉月さんの胸の中で──。

 涙が枯れるまで泣き続けた。


 伝えたい言葉をなにひとつ言えずに──。



 ☆


 かくして、スタンプカードには十個目のスタンプが押された。


 願わずにも図らずに──。

 2000円でパンツとブラが買える権利を、GETした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る