3.〈 05 〉

 我が家は全部屋、有線LAN完備なのです。15年前にお父さんが先々のことを考えて、そういう設計で建てたのだ。

 父が自分でデザインしたわけじゃあないけど、お金のパワーを使って人々を動かしたのよ。父がお金を出さなければ誰も動かなかったわけだから、つまり父が全部やったことになる。大阪城を建てた功績と同じ道理よ。だからアタシのお父さん偉い偉い! なぁ~んて、優越的に思うことにしておく。


 でもそんなこと父に話せば、たぶん「バカだな正子、金を出してもどうにもならない場合があるんだぞ。戦争中や大災害に見舞われたときがそうだ。経済が破綻して金の価値がなくなったり、政治不信で全国的な暴動が起きたりしたときもそうだ。お前はそういう過酷な状況を1度も経験していないから、そんな気楽なことを考えていられるんだ。お前が可愛過ぎて甘やかしたばかりに……、全部父さんのせいだ、すまない正子、こんな父さんを許してくれ」なんていわれるに決まってる。


 それでアタシが話題をかえようとして「我が家もそろそろ無線LANにしたらいいのに」なんて話せば、たぶん「バカだな正子、無線だと電波状態を気にしたり、セキュリティー対策を気にしたり、いろいろと厄介なことも多いんだぞ。それに今インターネットに接続しているのは正男のパソコンだけだろ? そのためにわざわざ無線ルーターを設置するまでもない。お前は小説ばかり読んで、ろくにコンピューターのことを勉強しないから、そんな気楽なことをいっていられるんだ。女の子に理系の学は必要ないと思って甘やかしたばかりに……、全部父さんのせいだ、すまない正子、こんな父さんを許してくれ」なんていわれるに決まってる。


 どちらのお小言も一理あることだからまあよしとしよう、受け入れるわ。

 さあて準備も整ったことだし、そんじゃあワインダーズで一丁、パワーショベルをやりますか!


 およそ2分後、アタシはくじけている。ていうか、たった2分? ――まだカップ麺すらできあがってませんよ!

 なにをどう始めればいいのかわからない。そもそも猪野さんの書いた本が難し過ぎるから。

 そうよ、それもそのはず。だって上級マニュアルなんだもん!

 初級者ですらない、初歩を今まさに踏み出そうとしてるアタシには、まるで読解不能の世界なんです。


「パワーショベルなんてアタシにはムリね。さっさと諦めることにしよう。許す、アタシをな。それよりもなによりも『人気だす草なぎ君!』だよ」


 USBメモリのファイル2個を、メモリカードに移動する。


「ババロアのレシピはどうしよう。今はそんなの作る気分じゃないし、取りあえずデスクトップに移動させておくか」


 空になったUSBメモリを見て思う。これ返さなくていいのか?

 ていうか、アタシ猪野さんとメアドの交換すらしてないよ! もちろん電話番号も知らない。

 相手が彼女持ちだから、かえってその方がいいのかなあ?

 でも、完結版『人気だす草なぎ君!』の感想とかメールで送ってあげたいよ。猪野さん大喜びしてくれるはずだもん。

 トンコなら猪野さんのメアドも電話番号も知ってるだろうから、ちょいと頼んで教えてもらおう。

 そう考えたアタシはスマホを取り出し、メールアプリを起動する。


《おいトンコ、猪野さんのメアド教えて栗鹿の子。》


 送信を終えたので、今度はデジタルフォトフレームにメモリカードをセットしてOSスタート!

 と、ここで早くもトンコから返信がきた。


《ごめんなさい正子、個人情報の漏洩はできません。》


 シケたお煎餅みたいなやつだ、この真面目営業人仮面!


《なんだよトンコ、それなら猪野さんに、教えていいか聞いてクリーム。》


 それくらい気を利かせろよな。


《了解しました。》


 最初から了解しとけってぇの、このブタ鼻女!

 ムカつきながら、読み専アプリの〈PageOnページオン〉を起動させる。

 すると「新しい小説ファイルを検出しました。書籍登録しますか?」ですって。

 もちろんしますよ。〈書名〉は『初版 人気だす草なぎ君!』と『修正版 人気だす草なぎ君!』で決まり。

 まずは初版を最初から読もう。


 およそ2分後、アタシは集中できずにいる。猪野さんのことが頭にチラつくのだ。


「ウルトラ読み専のアタシが読書に専念できないとは、どうかしちゃってる……」


 ページに〈栞〉を挟む。

 そして久しぶりに、このデジタルフォトフレームの本来の機能である〈フォトギャラリー〉を起動する。

 保存してある写真のスライドショーが始まる。中学のときのトンコのブタ鼻もあるし、最近撮ったお父さんのアニソン熱唱シーンも追加してある。もちろん幼い頃の正男の姿もね。

 お母さんもいる大森家4人の写真が表示される。これを見ると、今から10年とちょっと前の晩秋を思い出す。


   $


 正男はいつもお母さんに甘えてばっかり。

 お母さんを取られた気分だ。


「正男ちゃん明日のお誕生日、どこに行きたい?」

「遊園地がいい」

「それじゃあ、そうしましょうね」

「お母さん、アタシは?」

「正子も一緒よ」


 11月28日は晴れた。それほど寒くもない。

 アタシと今日9歳になった正男はお母さんに連れられて、横浜ギャラクシーパークにやってきた。学校を休んでまでね。


 いろいろなアトラクションで遊んで、最後に正男が1人でコースターに乗ることになった。大人が同伴しなくていい条件の身長チェックをギリギリでクリアできた。

 待っている間、お母さんがアタシに話す。


「正男ちゃんの面倒、しっかり見るのよ。正子はお姉ちゃんなんだから。ね?」

「わかってるって」


 そうよ、アタシも13歳だから全部わかってる。

 お父さんとお母さんは、もう終わったんだってこともね……。


「これを正子に渡しておくわ。お母さんの番号が登録してあるから、なにかあったら電話するのよ」

「ありがと」

「お父さんにはいわなくてもいいわよ」

「わかった」


 初めての携帯電話。これがお母さんからもらった最後の1品。


   $


 この次の日に大森家は3人になったのよ。

 同時に、アタシが我が家の福利厚生の一切を任されることにもなった。

 正男は毎日ぐずって泣いた。そうなるのも仕方のないこと。まだ小3のおチビちゃんだったから。

 毎朝ご飯を食べさせて、なだめすかして学校へ連れて行ってやったものよ。

 それが浪人はしたものの、工学部偏差値ランク1位の大学を目指して頑張っている。よくぞそこまで立派に育ったものよ。

 アタシもよく頑張った。マサコちゃん偉い偉い!


 もらった携帯電話には、お母さんからの連絡はなかった。

 アタシも意地を張ってかけたりしなかった。

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