奇想
以前、突拍子もなさそうで実はある発想の分からなさを書いた。何がわからなかったのかといえば、奇想あつかいされる(ことがある)のが分からなかったのだ。この分からなさは、創作における逆張りと斬新の差にも通ずる。
――持たざる者は賭けと呼ぶ。
持てる者は逆張りと笑う。
ようするに、十を二十にするより百を百十にする方が簡単なのです。なんだこの胡散臭い金融コンサルじみた言動は。私は創作の話をしていたはず。ウゴゴ。宇宙の法則が乱れる。心を無に。ルパインアタック。
ざっくり言うと、どっから逆張りになるのかよく分からんという話である。
まだ地球が卵型に歪んでいた頃、私は突拍子もない発想といいつつランダムに選んだ単語をつなぎ合わせてストーリーを作っているだけだと開陳ちんしたわけですが、実はもうひとつウル
とりあえず、逆にする。
λμ
何を逆にするかと言えば、設定の根幹だったり、視点だったりである。基本的に私は技術力に自信が皆無なので、ネタのちん珍奇性で差別化を図っておるのだ。よくないことだと分かっているけどマトモに戦っても勝機が見えねぇんである。だから。
追放物が流行れば追放した側の話を書きたくなる。
悪役令嬢が流行れば対抗する正ヒロインが書きたくなる。
勇者は犯罪者になり、極悪人はダークヒーローになり、スーパーパワーはたった一発の銃弾に敗北するのである。
まぁ分かりやすくネタの一部を直接的に逆転させたが、もちろん普段はもっと小狡い形で逆にしている。たとえば人気作の人間関係をそのまま持ってきて、性別と役割を入れ替えるとかもしておる。なんと
例えば、桃太郎。
爺が山で拾った桃から女の子が。顔はいいが腕力ばかり強く鬼のような性格で。困ったジジババは銭を渡して外に放逐。桃子は犬をしばき倒して群れを従え、猿山を焼くと脅して土地を手に入れ、ショバ代として雉に斥候を努めさせる。都の人々は難問にぶち当たる。海の向こうにはガチの鬼。山には鬼のような人。どうにかして、山の鬼と海の鬼を殺し合わせられないか――
都の人々のハードネゴシエーションが今はじまる――!
さて、これは逆張りなのか否か。私としてはとても楽しいが、魅力的かと言われるととても困ると思う。話のメインは命がけの交渉で、カッチョイイ感じのバトルは残虐行為として描かれる。都の人々は苦悩の果てに賭けに出るのだ。海の鬼に財宝を引き渡したことにしようと。目をつけるのは奴隷状態の桃子の家臣たちで――いかん、妄想が止まらなくなる。設定の逆転のさせかたはココで終わろう。
問題は、これが逆張りか否かである。
いま一時は面白そうに思えるかもしれない。それは本文がないからである。つまり粗筋が逆転元と同じゆえに興味が湧くのだ。現実さんはちょっと厳しい。私がおっ広げた程度の珍個性は現実さんに粗末な珍すなわち粗珍として扱かれてしまうのだ。脱字だ。わぁを忘れてさぁ大変。
これも、逆張りである。
現代ではえっちを想起させる文章は字義通りに受け止められるのである。ご存知ない方がおられるかもしれないので、私の知っている都市伝説をお教えしましょう。えっちとはヘンタイの頭文字で明石家のさんまさんが言い出した。しん(略)。どういうことか。
正道ないし王道あるいは前張りにおいて、えっちはウケが悪い。
分からん。攻めが下手もとい悪いことだってあるだろうに。
ただひとつだけ分かっておる。
気付いていても気づかないフリをして王道を書いたほうがいいよ。たぶん。
わからんけど――。
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