書いているときは気になるのに、読むときは気にならないもの

 今やっている原稿の最終チェックとして、言い回しやら語尾やら語順やら面倒なところをやっていて、ふと気付いたのだ。書いているときは七転八倒の七転び八起きで計十四転八倒二十二起きするくらい気にしていたのに、読むときまったく気にしていない部分があると。倒置法。話題にしたいのは違う。


 これ『言った』でいいな問題である。ぼわーんと銅鑼の音。


 私は書いているとき「」を入れる前の『言った』を省略することが多い。なんとなくダセー気がしたり、読者に何度も同じ文字列を読ませるのも忍びねぇなと思うからです。でもこれ、店に入って秒でまとわりついてくる店員くらい余計な気遣いだったりしないか分からんくなる。


 たとえば、所沢ところざわさんという、よく苦笑する男がいるとする。


 所沢は苦笑した。

「春日部とかド田舎でしょ」

 アッチョンブリケする春日部かすかべさんに、所沢はまた苦笑する。

「ほぼ千葉じゃん」

 埼玉の時点で同じ田舎か、と所沢は内心で苦笑した。


 ふと思うのだ。いや、言ってないじゃん。

 もはや難癖だが、読んでいるときにちょっとだけ気になるのである。なぜなら。


 所沢は苦笑した。

「春日部とかド田舎でしょ」

 と、アッチョンブリケする春日部かすかべさんに、所沢はまた苦笑する。


 このパターンが子供の頃のやらかしの思い出しと同じくらいの頻度で脳内にチラつくのだ。つまり『苦笑した』は笑っただけなので、次にくる「」が誰のものか確定しない。しかも、分かりやすくするため『と、』をつけたが、別になくても成立する。

 となれば。

 喋らせよう。


 所沢は苦笑しながら言った。

「春日部とかド田舎でしょ」

 と、アッチョンブリケする春日部かすかべさんに、所沢はまた苦笑する。


 春日部に恨みはない。所沢さんがそういう奴なのだ。このパターンの場合「」内はほぼ確実に所沢の発話なので、「」後の『と、』は時間経過的な意味や、反応を表記する前の前置きの『――と。』みたいな感じだ。たぶん。わからんが。


 さて、結果として湧いた『苦笑しながら言った』だが、これ読むときは実に煩わしい――ことがある。全部ではない。全部ではないが、長すぎる説明セリフを二つに分けるときとか使うと途端に、情報量!! ってキレる。読者の私が。


 前にも書いたかもしれないが、基本的に、小説の文章というのは、一文の情報量が少ないほうがよろしいとされている。脳への負荷が理由である。

 たとえば、先述の所沢さんには肩を竦めるとき眉間にしわを寄せる癖があり、困ると頭をく習性があるとする。


 所沢は眉間に皺を寄せて肩を竦めると、頭を掻きつつ苦笑しながら言った。


 もはや全創作者の苦悩を凝縮した地獄絵図である。このあとコーヒー飲んで煙草を吸って目を細めて微笑むかもしらん。分からんが、私はこんな悪夢を見たら悲鳴を上げて飛び起きる。分かるだろうか。動作が三つでも結構なしんどさがあるのが。しかも実は『悪夢を』『見る』『悲鳴を』『上げる』『飛んで』『起きる』と、四つの動作と二つの動作を連想させる単語がある。


 脳によくないから『言った』でよくない?


 創作者としての繊細なハートを失った読者の私は、そう容赦なき言葉を浴びせる。


 所沢は言った。

「春日部とかド田舎じゃん」

 アッチョンブリケした春日部に、所沢は言う。

「ほぼ千葉じゃん」

 埼玉の時点で同じ田舎か、と所沢は胸の内で言った。


 語呂が悪かったので内心だけ変更したが、どうだろう。読者な私は別にまったく気にならぬ。分からん。気になる人もいるかもしれん。

 

 だからどうしようでなく、この辺のバランスがよく分からんという話であった。

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