自由間接話法のなかで使う一人称代名詞

 私は自由間接話法の達人である。すまぬ。のっけから嘘を吐いた。単に多用しているだけだ。そもそも直接話法だの間接話法だのわけわからん技法のうちの、特にわけ分からんものの、究極わけ分からん内容について分からなくなっている。何か。タイトルにもある、


 自由間接話法でつかう一人称、である。


 まず自由間接話法の話をしなくてはならない。面倒くさい。が、前提を共有しないと伝わらないので、仕方なく、書きます。


 足立は四股を踏んだ。どっこいしょ。


 この、『どっこいしょ』が自由間接話法である。三人称の対象人物が心のなかで思っていることを、そうと明言せずに書く技法だ。


 どっこいしょ。足立は四股を踏んだ。


 こうでもいい。『どっこいしょ』の客観性の低さによって三人称の地の文じゃありませんよと暗にニオワセしているのだ。よく分からんが、あまり露骨でないほうがよいらしい。


 インスタに上げられた夕食風景になぜか二つ目のグラスが見切れているくらいのニオワセだろうか。あるいは自撮りの背景の自宅廊下に乱れたスリッパが転がっているくらい。


 で。


 自由間接話法は何をニオワセてもいい、イコール、たとえば背景にミステリーサークルやキャトルミューティレーションされた牛を転がしておいてもよいのだ。となれば、一人称で急に呟きだしても構わない。


 足立は四股を踏んだ。俺はどっこいしょ。


 文面に意味はない。足立くんはどっこいしょ星人か何かなのだろう。もしくは自分は独鈷杵どっこしょ(どっこいしょの語源)だと自らを鼓舞しているのやも。

 話題にしているのは、この一人称代名詞『俺』である。


 急に出てくるとびっくりするけど、急じゃなく出せる時がある。なぜ。


 急に出てくるとびっくりする理由は分かる。いちおう、三人称では地の文で一人称代名詞を使わないよという、みんな知ってるくせに黙っといて事態を見守る吉良上野介きらこうずけのすけ系マナーがあるからです。俗に暗黙のルールと言います。


 なんでそんなルールがあるのかよく分からんけれども、まぁ、ジッサイ急にぶち込まれるとびっくりするから、心臓の弱い人のためにあるのだろう。弱い人は守護まもらねばならぬ。


 さて、そんな自由間接話法のなかの一人称代名詞だが、私の経験上、びっくりさせずに使えるいくつかのパターンがある。たとえば、


 足立は思った。俺はどっこいしょ。四股を踏んだ。

 

 とかする。思ったと明言することで自由間接話法なんだけど直接話法みたいにしてやるのである。あるいは、


 足立は四股を踏んだ。

(俺はどっこいしょ)


 もう足立の心の声として()で直接話法にしちゃう。()じゃなくてもコレは足立の心の声ですアピールがあれば、びっくりしないですむ。


 けど、ダサい(個人の感想です)。


 だから自由間接話法として使いたい――などと言語化を試みているうちに、今ナウ現在イング気づきました。一人称代名詞を入れるとこれ、自由間接話法じゃなくて自由直接話法なのでは。分からん。私は雰囲気で文法を操っている。


 そもそも直接と間接の違いは何かというと、直接は自分(語り手)の視点で、間接は自分以外の視点という意味である。おそらく。


 仮定を仮定のまま論を進めるという愚を地で行くと、先の『どっこいしょ』はかなり絶妙なカメラ位置を取っておりますね。三人称と一人称のちょうど中間くらい。


 足立は四股を踏んだ。どっこいしょってな。


 こうするとかなり自由直接話法っぽい。分からん。違うかもしらん。

 なんとなく、この距離のコントロールが文字数。


 分からんまま、今日も日が暮れていく。私なにやってんだろ。今日の夜が楽しみすぎる。NHKBSで、女子カーリング三位決定戦が放送されるである。


 うん。分からん。

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