考証

 リアリティとは違うらしいが、よく分からん。昨今、話題になっているから乗っかっちゃおうと思っちゃった私の心性の方が分からんというのはあるが、考証というのはまずもってマジで分からんものなので考えたくなる。


 話題になっているのはプラネテス(何故かプラテネスと空目する)なのだが、まぁ色んな事情があってアレコレしていそうだなという曖昧模糊とした話だけは分かる。悲しいが分かってしまう。


 それはそれとして、考証はどこまでしたほうがいいのか。


 好きにしろの一言で終わらせられる話なのだが、実は、ここに関してそれなりの経験と蓄積があったりする。もちろん、アマチュアとしての経験と蓄積なので雲上の世界もといプロレベルの話ではない。


 考証に拘ると納品が遅れる。


 調べ物が多くなったり、考え事が多くなるので、当然である。そして、正しくすれば正しくするほど面白い(と思えること)はやりにくくなる。

 

 たとえば、顔のすぐそばで発砲されて銃口から弾丸が飛び出す際に発生した衝撃波によって脳震盪を起こすというマンガ表現がある。そのスジでは有名な作品だったりして、面白いと思った。で、自作でも使おうと思って、論文を読んでみると、


 起きたり起きなかったり銃の種類だったり(以下略)。


 小説を書き始めたばかりの頃の私は悩んだ。何にって、使っていいのかどうかでなく、主人公の身長が○○で射手は○○、銃を出した角度と避けた角度がうんぬんかんぬん。論文には鼓膜に対する角度がどうたら書いてあったのだ(うろ覚え)。


 まあ、考えた。

 考えたが、書き方が分からなかった。


 今なら省略(要約)を工夫して三行もバトルシーンをくれれば書いてみせると豪語するが、当時は無理であった。

 どうしたか。


 省いたのである。そのシーンを。


 本筋には関わらない。どのみち主人公が死ねば物語が終わってしまうので、けっきょく勝つのだ。物語的には最悪で、主人公のピンチが消えた。考証の結果である。


 ややこしいのはそこからで、私の脳内はピンチシーンを書くモードだったのだ。すると、どうなるか。手が止まる。ヤバい。以降のもっさり具合は(書いたことがある人なら)書くまでもあるまい。


 ただ私は転んでも梅雨時期の桜並木に見られる毛虫の如くモゾモゾ道路を這い渡る習性の持ち主なので、時代とかで考証しようという方向に向かった。正直に言うならば、今ではこれも失敗だったように思えてならない。分からん。


 特に困るのが、現実に即して書こうとすればするほど、過去の現実が殴りかかってくることであった。もはや遠い過去となりつつある本編でも書いたが、過去の科学的理解ほど取り扱いに困るものはない。


 当時の理解に合わせれば現代に殴られ、現代に合わせれば過去を知る者に殴られるのである。最近の私からすると正直クソもといウンチどうでもいい最もたるものが考証なのだが、それは作品のリアリティバランスがめんどくせえからいいかこの話題。


 なんでこんな話題をしたのかと言えば、科学考証の是非とかうんぬんかんの話題にのっかりたかったからだが、実は別に理由があったりする。


 なんで科学考証ばっか槍玉にあがって、人間性の考証とか、セリフの考証について声高に騒ぎ立てる人は埋没するんだろうか。


 なんで科学ばっかりフィクションの世界で考証を問われるんだろう。


 分からん。分からんので、私は今日も分からんままに考証がクソもといウンチないしダメダメな小説を書いておる。唯一、分かるのは、考証が生み出す面白さは、演出に比べて圧倒的にコスパが悪そう、というくらいである。

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