異世界デリカシー
試論を書いたところ、半濁天゜さんから確認のコメントを頂き、その回答を考えているうちに少し見えたきた気がしたので、続きをば。ありがたい話である。SFと異世界ファンタジー書きの人である。私なんぞより真面目に深く考えておられますぞ。
もとい。
前回に書いた私の話というのは、異世界モノを書くときのデリカシーの問題に通じるのではないかと思った。ざっくり言うと、ジャガイモ警察への配慮のなさ。あるいは異世界エビフライ問題である。
今のトレンド的には異世界にエビフライがあると笑われたりするのだが、私的にはエビフライというのがあるのだな、で終わる。この異世界モノへの(トレンドとしての)デリカシーのなさが諸悪の問題なのかもしれぬ。分からんけど。
あんまりしたくない話ではあるが、異世界モノひいては『なろうもの』あるいは『なーろっぱ』なる概念がある。私はおかしいと思ったことがあんまりない。あんまりである。批判的な目でみればいくらでも指摘しようがあるのは、どんな権威が相手であっても同じである。と、思う。
以前、私はメートルをメルトルとするのを嫌うと書いた。それは子供だましであるとも。また主人公がラッキースケベに赤面するなら赤面せよとも書いた。それらは冗談めかして書いたのだが、別に全然、冗談じゃなかったのだと気づいたのである。気づいたのであるて偉そうな。まあよい。
私が、何を子供だましと思うのかが、ちょっと分かったのだ。
異世界にメートルがあったら変だろうという現実から異世界へ向かう思考が子供だましだと
異世界にメートルがあって悪い理由を、正しく説明できるはずがない。
だって現実と同じだぜ? は理由にならない。それは現実と異世界は違うものでなくてはならないという確固たる信念に基づいていて、主張としては現実至上主義に基づく異世界論だからである。何いってんだ私は。でも本気だもん。
信念は信仰と等しく想像に限界を設定する。
大質量の竜が飛んで何が悪いか。現実と違うから論理がいる。論理は現実の科学と等しくならねばならない。なんでさ。だってほら竜が青空を飛んでいる。原理なんか知るかい。きっとこうなんじゃねえのかい? 違うかもしれないけど、それでいいじゃん。
ここが私のズレポイントである。
トレンドは現実との接続の仕方で、現実至上主義である。いまはもう竜は飛べないんだけどさ、は通用しない。飛べなくなったから竜は絶滅したんだよとか、絶滅した竜の骨はなんで残っていないのかとか、異世界側からのアプローチはトレンドじゃないのだと思う。
それが、いわゆるSFの衰退の、本当の理由じゃなかろうか。
ハードSFは徹底的に現実から異常を観察しようとしていて、異常から現実を見ようとはしない。いや、創作物にはそういうのも連綿と出つづけているんだけど、読む側のトレンドは現実から異常を理解しようと試みているので、説明不足≒荒唐無稽すぎてつまらなく思えるのでは。
説明が足りていないのではなくて、読む側の想像が足りていないのでは。
……読者に責を求めるのは愚の愚である。それは違う。異世界から現実へのアプローチを採用する者は、もっと楽しく分かりやすく説明する義務があるのでは。
結局、伝達力不足ってことじゃん。じゃん。
創作ってほんとムズい。投げたくなる。
でも、投げないもん。
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