改行

 ひと段落がついたら改行する。わかっておる。分かっておるから、わからんのだ。

 実は、改行は小説の華だと思っている。書いていて意味わからんが、割と本気である。ネット小説だと一行あたりの文字数が読書環境によって変わるので、私のドクターストレンジラブな改行へのこだわりは隠蔽されているのだ。まあ、このワケワカラン話は、ほとんど改行にこだわってませんが。


 私の改行への愛は、長編小説を42文字×34行の環境にコピペすると少しくらい分かります。とても面倒くさいし、意味も薄いので、やってみたい人だけどうぞ。章のタイトル前後にある空行や『*』前後の空行の法則を見つけられるかが勝負です。まあ、ネットに落とすときにイジっているので伝わらないかもしれませんが。


 でもって、そんな私はかつて、『改行が甘いですが』と言われたことがある。


 血管が切れた。もちろん切れたけれども、改行が甘いとかホントかと実際に舐めてみた。コピー紙らしい枯れ草っぽい味だった。なので、私が好きだった小説の改行も舐めた。古い本だったから埃クサく、アレルギーのせいか喉がしばらくイガイガしたのを覚えている。まあ、たしかに味はあった。甘みまでは分からんが。


 改行の難しさは、段落にある。

 段落というのは意味のつながりがある文章のまとまりのことで、小説だと行頭の一文字目を空白とすることで分かりやすくしている。


 こんな感じである。


 意味つながってない? つながってる。強調の改行のつもりだが、わからん。

 難易度は高いが、ばんばん改行してテンポや情感を出すという手法もある。有名なのは夢枕獏だろうか。ラノベだと『ゴブリンスレイヤー』も独特な改行をしている。


 技法とは違うが、すごいのになるとページ丸ごと飛ばしてしまう。もっと知られろと思うのは筒井康隆の『虚人たち』で出てくる、気を失っている間を表現する空ページである。連載小説でやるとか正気じゃないと思う。わからんがすぎる。


 改行の話に戻ると、実は私は、ネット小説の空行が苦手だったりする。というのは、ちょくちょく空行が挟まるせいで、空行の可能性が食われてしまうからです。つまり、読みやすさのための空行と、演出としての空行の――これは空行の話としてまとめることにしよう。書くか分からんけど。


 改めて改行の話に戻ると、改行をしないという手もあるかと思う。そもそもにして小説はひとつのテーマをあの手この手を駆使して書き尽くす苦行であるので、本文すべてが一段落でもいいのだ。


 ここぞの場面では読点や句点のぶら下げで行を変えればよい。まあ、学校では避けるべきとされるやり方だが、小説は自由だ。分からんが。

 

 行の頭にくる文章は印象に残りやすいので、短文で終わらせて改行し、周りの黒々とした紙面から浮き立たせたりもする。こういうことを考えているときは、可読性なんて頭の片隅にも――。


 こういうのを演出の改行という。たぶん。

 改行の話をしたすぎて字数が足りなくなっていて、割とマジでなんでこんなに改行にこだわりがあるのか分からん。分からんすぎて爆発しそう。ページ跨ぎの話と分けて書いててコレだから始末に負えない。


 ページ跨ぎの話はこれまた長くなりそうだし、行頭との絡みも多く、またこいつら揃いも揃って例のアノ野郎との関係を匂わせてくる。そう。奴だ。

 

 文章力。


 まあ、まだ早い。早いと思う。

 早いか分からんけど、まずは行頭の話を……千文字いくのか、それは。

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