§035 首席

 俺の前に立つのは――セドリック・レヴィストロース――。


 家を追放され、もう二度と会うことがないと思っていた我が弟だ。


 入学試験が始まって以降、俺がセドリックと相対したのは一回だけ。試験開始前の中庭だ。


 その時のセドリックは俺のことを視界で捉えながらも、まるで俺のことなど眼中にないかのように素通りしてみせた。


 あの瞬間、俺に芽生えた感情は『悔しさ』と『復讐心』。


 俺は家を追放されて『劣等感』に苛まれていた。

 けれど、【速記術】の真価に気付き、どうにかセドリックを見返してやりたいという感情が生まれたのだ。


 じゃあ……俺はいまどんな感情を抱いているのか。


 俺は自分自身に問いかけてみる。


 正直なところ、いざセドリックと相対するまで、自分がどんな感情になるのか想像もできなかった。

 セドリックの顔を見たら我を忘れてしまうかもしれないという一抹の不安もあった。


 でも……今気付いた。


 俺の心は全く別のもので満たされていることに。


 何を隠そう、俺の感情の中心となっているのは『レリア』だった。


 セドリックとの邂逅の時、あの場から逃げ出さずにいられたのはレリアの言葉があったからだ。

 一次試験を無事に勝利で飾れたのもレリアのサポートがあったからだ。

 【世界奉還シルメリア】の時だって、慰霊碑の時だってそうだ。


 いつだって俺の心の中にはレリアがいた。

 それも今は前とは比べ物にならないくらい、レリアのことを強く強く想っている。


 もちろん俺の中の『悔しさ』と『復讐心』が消えたわけではない。

 その気持ちは未だに俺の心の中で生き続けている。

 けれど、もうそんな負の感情のみに満たされている俺じゃない。


 だって俺には、復讐なんかよりも、もっともっと大切なものができたのだから。


 昨日、レリアが俺に言ってくれた言葉を思い出す。


――弟君と遭遇したら思う存分戦ってください。今のジルベール様の力を見せつけてやりましょう――


 ……俺の力を見せつける。


 そう……だからこれは決して復讐などという大層なものではない。

 もっともっと安っぽくて、もっともっと自己中心的なもの。

 敢えて言うならそうだな。反抗的な弟に兄の威厳を見せつける戦いとでも言っておこうか。


 そして、レリアが見ている以上、俺は負けるわけにはいかないのだ。


 この兄弟ゲンカに――


「セドリック。久しぶりだな」


 俺はセドリックに対し、自ら声をかける。


 すると彼はわずかに驚いた表情を見せ、俺のことを確と瞳に捕らえて、口の端を緩める。


「ははっ。久しぶりだね、出来損ないの兄様。あなたを試験会場で見かけたときには笑いをこらえるのに苦労したよ」


 セドリックはそう言って嘲笑を浮かべ、ここぞとばかりに高笑いをあげる。


「てっきりその辺で野垂れ死んだのだと思っていたけど案外しぶといんだね。【速記術】とかいうハズレ魔法しか持ってないくせに」


 セドリックは俺をバカにしたように両の手を広げると、少しずつこちらに歩み寄ってくる。


「ここは神聖なる王立学園だよ? 兄様のような弱者が来る場所じゃない。レヴィストロース家の名をこれ以上穢すのはやめてくれよ」


 そこまで言ってセドリックが歩を止める。


 俺との距離、約八メートル。詰めようと思えば一瞬で詰められる距離だ。


 セドリックの俺を見下した表情もよく見える。


 俺とは違ってやや明るめの茶髪に同色の瞳。

 魔法剣士として動きやすさを重視したタイトなジャケット。

 そして、背中に泰然と納まっているのが、セドリックの身長とほぼ同等の大きさを誇る【焔の魔法剣】だ。


 刀身は炎に焼べた鋳鉄のように灼熱色に発光し、その周りを煉獄の焔が渦を巻くように取り囲んでいる。

 もはやどれくらいの温度なのか想像もつかないが、おそらくあの剣には触れられた時点でアウトな気がする。


 俺が『啓示の儀』の時に見た【焔の魔法剣】はせいぜい片手剣程度の大きさだった。

 それがいまでは両手で持ち上がるのだろうかという大きさ。

 しかも常時顕現しているのだから魔力の消費量はかなりのもののはず。


 にもかかわらず、セドリックは汗一つ流していない。

 それだけセドリックも成長していると言うことなのだろう。


「そういうお前こそ、なぜ地元の魔導学園を受験していないんだ? レヴィストロース家は代々州立レヴィストロース魔導学園に進学するのが通例だっただろ」


「これは父上のご意向だよ。父上は僕が王立学園を卒業した暁には、家督を継がせてくださると約束してくださった。学園を卒業と同時に伯爵だ」


 ぶふっと吹き出すように笑うセドリック。


「これも無能な兄様が追放されてくれたおかげだよ。もし、兄様が家にいたらそれこそ僕が家督を継ぐことはなかっただろうからね。まったく全てがうまくいきすぎて笑いが止まらないよ」


 そこまで言うとセドリックは初めて俺の隣に立つレリアに目を向ける。


「それにしても女連れとはいい気なものだな」


 レリアに次いで後ろにいるアイリスの方向にも目が向けられた。


「ああ、いいこと思い付いた。その白い服の君と、後ろの黒い服の君。もし君達が僕の下につくのであれば、今回君達は見逃してあげても……」


「お断りします!」


「なっ!」


 セドリックが言い終わらないうちに、レリアのきっぱりとした声が響き渡る。


 その声にセドリックは一瞬目を見開いたが、すぐさま表情を繕うと吐き捨てるように言う。


「無能の連れはやっぱり無能か……。それで後ろの君はどうだい?」


 セドリックは最後通告とばかりに冷徹に目を細めてアイリスを見つめる。


 しかし、アイリスはそれに返事をせず、その代わりに鋭い視線をセドリックに向けると、横たわるユリウスをセドリックから守るように数歩だけ横にずれる。


 それを見てセドリックは嘆息する。


「はぁ……どいつもこいつもバカばっかか。まあいいや。僕は父上の期待に応えるためにも、この学園を首席で合格しなければならない」


 歓談はこれまでだとばかりに、セドリックは背に帯刀していた【焔の魔法剣】を引き抜き、熱を帯びた剣先をこちらに向ける。


「というわけで、僕は無能な兄様達になんか構ってる暇はないんだ。僕はより多くの魔石を確保しなければならなくてね。兄様もその子達を守りたいならさっさと魔石を渡した方がいいよ。さもないと兄様が手にすることが叶わなかったこの【焔の魔法剣】・エスペシアル・ディオサの煤になるから」


 そう言ってセドリックが剣を両手に持ち替えて臨戦の構えを取った瞬間――


『あーあー。受験生の皆、聞こえるかな。本日の試験を統括しているシルフォリアだ』


 ――突如として念話リプレルが展開した。


 どうやらこの念話リプレルは、俺だけではなく受験生全体に展開されているようだ。


 セドリックも剣を構えつつも、耳に意識を向けたのがわかった。

 隣のレリアもよく聞き取るために片耳を押さえ、後ろにいるアイリスも「え、なに、なに」という顔をしている。


『いましがたちょうど試験時間の半分。六時間が経過したところだ。これより私も森に入って巡回を開始しようと思うのだが、せっかくなので中間発表として現時点の魔石保有数上位五名を発表しようと思う』


 その言葉にセドリックの意識は完全に念話リプレルに向けられた。


 首席合格を狙うセドリックとして、これは何よりも知っておきたい情報なのだろう。


 俺も別にセドリックに不意打ちしてやろうとは考えていないためシルフォリア様の声に耳を傾ける。


『えー、まず第五位から……』


 シルフォリア様から次々と上位ランカーの氏名と魔石の個数が読み上げられる。


『……一八〇個。それでは栄えある中間第一位は……』


「…………」

「…………」

「…………」


『セドリック・レヴィストロース。魔石保有数は九〇〇個』


 圧倒的だった。

 二位と七〇〇個以上離しての一位。


 この結果にセドリックは歓喜の雄叫びをあげる。


「あーっはっはは。二位で一八〇個? くそ雑魚かよ。王立学園って言っても大したことないなー」


 そう言ってセドリックは舌を見せ、陰惨な笑みを浮かべる。


「兄様。いまの念話リプレルを聞いてただろ。僕が、このセドリック・レヴィストロースが圧倒的なトップだ。あと六時間でさすがにこの差は埋められまい。もう首席合格も決まったようなものだ。というわけで気が変わったよ。せっかくだからちょっと遊んであげる。もう魔石狩りゲームは終わりだよ」


 セドリックはそう言って改めて【焔の魔法剣】を握り変えると、かかってこいとばかりに挑発的に手をこまねいて見せる。


「ああ、セドリック。俺も端からそのつもりだ」


 俺とセドリックの視線が交差する。

 集中力を高め、相手の一挙一動も見逃さない。


 俺は遠距離型の魔導士。対してセドリックは近距離型の魔導士。


 距離を詰められてはセドリックには……あの【焔の魔法剣】には勝てない。

 一定の距離を保ちつつ戦うのが理想。


 狙うのはセドリックが攻撃を仕掛けようと踏み出したその瞬間。

 その瞬間に超重力の罠グラビティ・バインドを展開して動きを止め、深紅の火山弾ヴォルケーノ・バレットを叩き込む。


 俺の魔法の展開速度はセドリックを圧倒的に上回る。一撃で決めてやる。


――来い! セドリック!


 そして、セドリックの腱が軋み、動く。


 今だ――


 しかし、そのコンマ数秒前、が俺とセドリックの間をまるで風のように舞い踊った。


「「!!!」」


 その異常事態に俺とセドリックは飛び退くように一歩退避。


 まるで俺とセドリックを寸断するかのように突如として現れた氷柱。

 よくよく見れば一直線の軌道を描いており、それが放たれた魔法であると理解する。


 俺とセドリックは同時にその魔法が放たれた方向に目を向ける。


 するとそこに立っていたのは両手に魔力を宿した男だった。


 またしても敵。

 それをすぐさま理解した。


 だってこいつは――レリアを暴走させた元凶。


 二属性の保有者ダブル・ホルダー、スコット・バルドーだったのだから。




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