第30話蝉が鳴いた日

 蝶次郎は目覚めると、自分がいる場所が極楽でも地獄でもないことに気づく。

 見覚えのある部屋。だけど記憶と少し違う。

 物の配置が違う。壁の色や天井、床が真新しい気がした。

 布団に寝たまま、自身に何が起こったのか、辿っていくと――


「――っ! 瀬美! 瀬美はどこだ!」


 起き上がって、我も忘れて叫ぶ。

 すると外から足音がした。

 咄嗟に刀を探す――


「――蝶次郎さん! ああ、目覚めたんですね! お父さん、蝶次郎さんが、起きました!」


 白い割烹着を着ている、蝶次郎より少し年上の女性が、嬉しそうに声をあげた。

 何が何だか分からない蝶次郎に、女性は近づいて手を握った。


「本当に、会いたかったですよ――蝶次郎さん!」

「す、すまない。あなたは誰だ? というより、ここはどこだ?」


 見知らぬ女性――よく見ると相当の美人だ――に動揺しつつ、蝶次郎は問う。

 すると彼女は「ご安心ください」と満面の笑みで言った。


「ここは安全ですから。父がやってきたら診断してもらいます」

「だ、だから、あなたは……」


 繰り返し女性の正体を問う。

 女性は手を放して、正座になった。


「たまです。あなたに遊んでもらっていた、あのたまです」

「……たま、だって?」


 目の前の女性――たまは「冗談だと思いますか?」とはにかんだ笑みを浮かべる。


「でも本当なんです。私は、あのたまですよ」

「まさか……し、しかし、確かに面影が……」


 目鼻がすっきりとしている美人で、たまが大人になったらそうなるであろう姿。

 正直、信じられない気持ちでいると、部屋に五十代くらいの男性が入ってきた。


「久しぶりだな、蝶次郎。お前にしてみれば数刻前のことだろうが」

「あなたは……」

「源五郎だ。すっかり年を取っちまって、分からないと思うがな」


 どかりと床に座る源五郎。

 それから「気分が悪いとかないか?」と問う。


「吐き気がするとか。頭痛がするとか」

「いや、それはないが。今の状況が分からない」

「わしだって分かっていない。だからとりあえず知っていることを話してやる」


 源五郎は咳払いしてから説明をする。


「お前は二十年前――突然いなくなったんだよ」

「二十年前……」

「ああ。そして昨日。姫虫城跡の広場でお前を見つけた。傷を負っていなかったが、ひどく疲労していた」


 蝶次郎は混乱する頭で考え続けた。

 二十年の時を超えたのか?

 自分の身体を見ると、歳を取っている感じはしない。

 だったら――


「そうだ! 瀬美はどうした!」


 笑顔だったたまは、急に悲しげになり「傍にはいませんでした」と答えた。


「当時、父はその場にいた武士から詳しい話を聞いていました。火あぶりにされて、死んだと思った瀬美さんが、お殿様を殺して――蝶次郎さんと一緒に消えたと」

「だったら、傍に居るはず――」


 蝶次郎の脳裏に、瀬美と最初に会ったときの会話が浮かんだ。


『一方通行で過去か未来に行こうとすると莫大な力が必要です。しかし、過去に行こうとする力と未来に行こうとする力を同時に行なうと、半分の力で済むのです』

『…………』

『これは鶏卵理論と呼ばれる方法なのですが、未来の時空移動では一般的になっております』


「あ、ああ……」


『人工皮膚にセラミック骨格。内部は特性の金属で作られ、特殊な液体でコーティングされております。たとえ人工皮膚が燃え尽きても、行動は可能です』


『独力ならば、五年から十年ほど時空移動できます。その分の燃料は貯蓄されております』


「う、うう、うううう……」

「蝶次郎さん、大丈夫ですか?」


『私は蝶次郎様の前では停止しません』


「そうか、そういうことだったのか……!」


『姿を消して、一人になります。ご迷惑をかけません』


「鶏卵理論! 『二十年前の物の怪』! 全てそうだったのか!」



◆◇◆◇



「蛾虫よ。見ろ、あの者の動きを。素晴らしいではないか」

「はい、父上。見事ですね」


 今は遠き昔。

 天道藩主が馬虫だった頃の話。


 年に一度開かれる武芸大会を観覧していた馬虫と蛾虫。その視線の先には若き日の吉瀬鍬之介が木刀を振るい、相手を圧していた。


 馬虫は夢中になって見ていたが、蛾虫は散漫になっていた。

 自分たちがいる城の一室のさらに奥で、こっそりと妹のまゆ姫が覗き見していたのだった。蛾虫が手引きして見させていた。母を病で失ってから、兄の傍を幼い姫は離れたがらなかった。蛾虫もそんな妹を愛おしく思っていた。


「お前も、あれぐらい強くならなければな」

「お言葉ですが、父上。私は強くなどなりたくありません」


 蛾虫の言葉に馬虫は少し驚いて「どういう意味だ?」と問う。


「私は父上のように、民に優しく、賢い藩主となりたいのです」

「……ふふふ。言いよるわ!」


 馬虫は安心した。

 この息子ならばきっといい藩主になれる。

 四才でそう思えるのなら――


「……うん? なんだあの光は」


 気づいたのは警護役の鎌田宗一郎だった。続いて自分の出番を待ち構えていた青葉鎌三郎が気づく。


 閃光が辺り一面に広がった――全員目をつぶってしまう――そして蝉の鳴く声が響き渡った。


「あ、あれは……!」


 馬虫は驚愕のあまり声が出なかった。

 この場にいる者全員、見たことのないものが目の前にいた衝撃で口がきけなかった。


「ひぃいいい! 物の怪だ!」


 誰かが叫んだ。

 黒くて放電している、蝉の鳴き声を発しているものを、『物の怪』と呼んだ。


「……殿を守れ! 蟻村、逃げるな!」


 鎌田が必死に命じた。

 真っ先に立ち向かったのは、青葉鎌三郎だった。


「うおおおおおおおおおおお!」


 持っていた木刀で『物の怪』の頭を殴打する。

 だが効かない――鎌三郎は自身の手が痺れるのを感じた。まるで固いものを殴ったようだった。

 『物の怪』は鎌三郎に腕を振るった。

 壊れたことで手加減ができず、限度のない強い攻撃を受けて、鎌三郎は吹き飛んだ。そして後頭部を思いっきり打った。


 『物の怪』は辺りを見渡した。

 そして成人した蛾虫によく似ている馬虫を見つける。

 自分が守らなければならない蝶次郎を殺そうとする者。

 そうとしか認識できない『物の怪』は馬虫に素早く近づいた。


「蛾虫、逃げろ――」


 それが最期の言葉だった。

 馬虫の首が宙に飛んだ。


「父上……?」


 隣にいた蛾虫は、噴き出た血を浴びて呆然としている。


「若様を守れ!」


 鍬之介ら近習の者が勇気を振り絞って、『物の怪』に襲い掛かる。


 鎌田は命を賭して、蛾虫を抱いて逃げ出した。


「待って! 妹が、まゆが!」


 蛾虫の声は届かなかった。

 鍬之介の一撃が『物の怪』を活動を限界にさせた。

 というより、燃料が漏れだして、放電による引火が起こりそうになった。


 『物の怪』は隠れている子供の気配を見つけた。

 元々、子守りを目的として作られたのだから、子供を最優先で守るのはインプットされていた。たとえ故障しても、それだけは遵守していた。


 このままだと爆発に巻き込まれる。

 なんとかしなければ。


 『物の怪』は自分の燃料を使い切って、その子供を時空移動させた。

 独力によるものだったから、五年しか飛ばせない。


「何かやばいぞ! 退避しろ!」


 武士たちは一斉に退いた。

 同時に『物の怪』は木っ端みじんに爆発した。


「まゆ、まゆ……!」


 蛾虫は燃え盛る城の一室を涙を流しながら見ていた。

 彼の心にぽっかりと穴が開いた瞬間だった。


「青葉殿! しっかりしてください!」


 倒れている青葉鎌三郎に駆け寄ったのは、鍬之介だった。

 意識が朦朧とする中、鎌三郎は誰か分からぬまま、鍬之介に頼んだ。


「息子と……娘を、頼む……」

「分かり申した! 任せてください!」


 鍬之介が咄嗟に鎌三郎の手を握った。

 安堵して、鎌三郎はそのまま息を引き取ってしまった。



◆◇◆◇



 物の怪が現れる五年前。

 その鎌三郎は一人広場に向かっていた。先ほど行われた剣術大会で、忘れ物をしたからだった。


 角を曲がるとき、輝く光を見て目を閉じてしまった。

 広間の中心に、一人の幼子がいた。

 まだ三才くらいの女の子だ。


「うん? おぬし、何者だ。どうしてここにいる?」


 鎌三郎が問うと、女の子は答えようとして――倒れてしまった。


「お、おい! うーん……藩医のところに連れて行くか」


 その藩医は源五郎の父親で、後に町医者となる者だった。

 結局、娘の両親は見つかることはなく、鎌三郎が引き取ることとなった。

 娘は記憶を失くしていた。自身の名前も分からないらしい。

 仕方なく、鎌三郎は少女に『さなぎ』と名付けた――

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る