第27話お祭りの日

 全てを吐き出すように泣いた蝶次郎は、夜が明けて城に出仕する時刻になっても向かおうとしなかった。それは瀬美に休むように言われたからだ。怠惰で面倒くさがり屋な蝶次郎だったが、流石に無断欠勤をしたことはなかった。


「蝶次郎様はゆっくりお休みください。燭中橋やコドク町のことは、一度お忘れになって静養に努めてください」

「だが……俺がやらねば……いや、やっても無駄だと分かっているが……」

「蝶次郎様の精神は混乱状態にあると診断できます。その状態ではいい考えなど浮かばないでしょう」


 一晩ずっと蝶次郎を胸に抱いた瀬美だったけど、最後に優しく正面から抱きしめて「ここはお休みください」と同じ文言を繰り返した。

 確かに精神がおかしくなっているらしく、蝶次郎はそれを聞き入れてしまった。


「それでは、私はたまさんとの約束がありますので、失礼します。しばらく一人になりますが、よろしいですか?」

「たまとの約束? なんだそれは」

「出店が目抜き通りで催されているそうです。そこでの買い物に付き合う約束をしているのです」

「そうなのか。ま、俺はゆっくり寝ているから、時間を気にせず楽しんでくれ」


 瀬美には楽しむという感情はない。

 たまに頼まれたから買い物に付き合うだけだ。

 だけど蝶次郎が無理やり笑って言った気遣いを無碍にすることなく瀬美は頷いた。


「イエス。そうさせていただきます」


 瀬美が長屋を出ると、外で世間話をしていたおもんとおしろとおちょうが「あらやだ瀬美さん!」と近づいてきた。


「昨日、長屋中に蝶次郎様の怒鳴り声が響いたけど、大丈夫だった?」

「暴力は振るわれてない?」

「何かあるなら相談に乗るわよ!」


 壁の薄い町人長屋は隣の声が聞こえるらしい。それに詳細は分からないものの、蝶次郎が声を荒げるのは、よっぽど珍しいことだった。怠惰であるが気性は穏やかで滅多に怒ることが無いのが、蝶次郎という男なのだ。


「イエス。大丈夫です。暴力は振るわれておりません。相談は――少しあります」


 本当は相談など無いと言おうとしたが、この人たちなら安心だろうと瀬美は判断した。

 三人のお喋りは顔を見合わせて、それからおもんが「どんな相談かしら?」と質問した。


「蝶次郎様、ひどく落ち込んでいるのです。慰めるために何か贈り物をしたいのですが、何がよろしいでしょうか?」

「うーん、お酒以外浮かばないわ」

「たまちゃんならいいの思いつくかも」

「そんなことより、瀬美さんって蝶次郎様のこと、どう思っているの?」


 おしろの問いに瀬美は以前たまに言った答えを言おうとして――


「私の――大切な方です」


 瀬美自身、思考しなかった答えを出した。

 三人は冷静な美人が素直に本心を打ち明けたことに驚いた。

 短い付き合いだけど、瀬美が恋心――三人の女性はそう解釈した――を吐露するとは思えなかったのだ。


「だったら、私たちからは何も言えないわ」


 おちょうが世間話をする感じではなく、いつになく真剣な面持ちで言う。


「瀬美さんが贈りたいものを考えるの。大切な人に贈るものは、他人に決められたものじゃ駄目だわ」


 瀬美は噛み締めるようにその言葉を受け取った。

 そして深く頭を下げる。


「ありがとうございます。皆さまにお会いできて良かったです」


 瀬美自身、意図したものはなかったけど、どこか最後の挨拶、永遠の別れのようにおもんとおしろとおちょうは感じてしまった。



◆◇◆◇



「あ、瀬美さん! 待ってたよ!」


 時刻ちょうどにやってきた瀬美と、楽しみ過ぎて四半刻前から待っていたたま。二人は目抜き通りから少し外れた広場を待ち合わせ場所にしていた。


「お待たせして申し訳ございません」

「ううん。私が早く来すぎちゃったから。さあ、行こうか!」

「イエス、そうしましょう」


 自然とたまと手をつなぐ瀬美。

 感応センサーで多くの町人が目抜き通りでごった返しているのが分かったからだ。


「出店では何が売られていますか?」

「いろんなの! 飴菓子とか焼き菓子とか! おもちゃも売られているんだよ!」


 いつもは大人びいた発言が多いたまだけど、お祭りとなるとはしゃいでしまうらしい。


「一つ疑問があるのですが、よろしいですか?」

「うん。なあに?」

「どうして冬に祭りを行なうのですか?」

「えっ? ああ、そうか。他のところは夏にやるもんね。えっとね、確か……『二十年前の物の怪』のせいだって、お父さん言ってた」


 たまは「こっちが近いよ!」と裏通りを選んだ。

 瀬美は黙って従った。


「なんでも、夏だとお殿様が『二十年前の物の怪』のこと思い出すんだって。冬に現れたのに、おかしいと思うんだけど」

「どうして思い出すのでしょう?」

「それはね――」


 たまが答えを言う前に、正面の物陰から数人の武士が現れた。

 おそらく天道藩の武士だろう。瀬美たちの後ろにも数人の武士。囲まれた形になった。


「えっ? なにこれ――」

「瀬美さん、ですね。私、光原蛍雪といいます」


 正面の角から現れたのは、件の家老だった。

 訳の分からないたまと状況が掴めずにいる瀬美に対し、光原は「あなたのことを調べさせていただきました」と語る。


「あの博徒、蟷螂との戦いに勝ったこと。そこの少女を助けるために真冬の川に飛び込んで平気だったこと。そしていつからか、青葉蝶次郎の元にいること」

「イエス。全て事実です」

「その言葉遣いも独特ですね。他の者は他藩の国言葉であると思っているでしょうが、私はこれでも家老でして、そういうのに詳しいのですよ」


 どこか追い詰めるような口調の光原。

 瀬美は武士たちを警戒しながら「それで、何の御用でしょうか?」と問う。


「殿が青葉と会うと決めたときから、私は彼の身辺調査をしました。結果、あなたという女性が浮上した」

「…………」

「あなたは、何者ですか? 素性を調べても何一つ出てこない。まるでいきなりこの世に現れたようだ。もしかすると――」


 武士たちは一斉に刀を抜いた。

 たまは悲鳴を上げて瀬美に抱きつく。


「考えすぎかもしれませんが、あなたは『二十年前の物の怪』と同じ存在かもしれません。その仲間の可能性がある……城までついてきてもらえませんか?」

「もし断ればどうなりますか?」

「この状況で断るという選択肢があると思いますか? よほどの度胸がおありのようですね」


 周りの武士たちの緊張感が高まる。

 もしこの見目麗しい女性が物の怪であるならば、恐ろしいことになると彼らは分かっていた。


「な、何を言っているの……瀬美さんが、物の怪なわけ、ないよ……」


 たまが精一杯の勇気を振り絞って否定するけど、大人たちは聞く耳を持たなかった。

 瀬美は「私は、出店に行かねばなりません」と言う。


「たまさんとの約束を守らないといけません」

「では、拒否すると?」

「ノー。出店での買い物を終えたら従います」

「そ、そんな! 瀬美さん!」


 光原はこの女、よほどの度胸があるのか、それとも何も考えていない馬鹿か、もしくは物の怪なのかと様々は考えを巡らせた。光原の目的は蝶次郎の立場を危うくして、主君の蛾虫に処断させることである。はっきり言って、いつまでも青葉家に関わってほしくなかった。きちんと藩政を行ない、幕末の動乱に備えてほしかった。加えて他の五人の家老より優位に立つことも重要だった。光原家が筆頭家老となるのは、代々の悲願であった。


「大丈夫です。たまさん――」

「でりゃああああああ!」


 そのとき、たまから手を放したのを見て、一人の武士が瀬美に斬りかかってしまった。

 緊張感に耐えられなかったようだ。瀬美はその武士の刀を避けることができなかった。もし避けたらたまに当たるかもしれない――


 がぎん、という音が辺り一面に広がった。


「せ、瀬美さん……?」

「……馬鹿な」


 呆然として漏れたたまの声。

 驚愕以外の感情が無い光原の呟き。

 周りの武士たちは発することもできない。


 瀬美は刀を腕で受けていた。

 切り落とされることもなく、痣すらできずに無傷だった。


「み、光原様……」

「――捕縛せよ! 今すぐにだ!」


 傍らにいた武士からこぼれた声で、光原は指示ができた。

 武士たちは瀬美に襲い掛かった――


「――瀬美さぁあああああん!」


 たまの絶叫が、裏道に響き渡った――

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