第23話明かされた現実
「おかえりなさいませ、蝶次郎様」
「ああ、ただいま」
蝶次郎が町人長屋に戻ったのは、夜のことだった。
しかし深夜と言うほど遅い時刻ではない。蟷螂との食事は案外早く終わったのだった。理由はまた燭中橋で問題が起きたからだった。
蝶次郎は世話をかけますねと頭を下げた。
蟷螂は気にするなと笑って返した。
瀬美によろしくと彼は勘定を払い、子分を連れて店を後にした。
「お食事の用意ができておりますが、いかがなさいますか?」
「食べるよ。作ってくれたものは残せない」
蝶次郎は微笑みながら瀬美に言う。
彼女は朝のときと違って、普段通りの落ち着きを取り戻していた。少なくとも蝶次郎はそう感じた。
着物を楽なものに着替えてから、蝶次郎は瀬美が用意した晩御飯を食べる。
今日の献立は普段より量が少なかった。何故か分からないが、瀬美は蝶次郎が稲子屋に行ったことを知っていたらしい。
「よく――俺が食事してきたのが分かったな」
食べ終えてから蝶次郎は訊ねた。
酔っていたものの、そのくらいは頭が回るらしい。
瀬美は「蝶次郎様の位置が分かるようになっております」と機械的に答えた。
「どうやってだ?」
「数日過ごしていますから、蝶次郎様の生体反応を記録して、検索できるようになっております。今日は帰りが遅かったので調べました」
「ふうん。未来ではそんな技術があるのか」
「イエス。それにいざというとき、蝶次郎様を守るためでもあります」
そういえばと思い出す。蝶次郎は自身が何かに巻き込まれて死ぬということを。最近は色々なことが起こって失念していたが、そのために瀬美がいるのだった。
「……瀬美。俺が死ぬ原因、分かるか?」
「ノー。依然として不明です」
「本当か? 俺に隠し事していないか?」
疑うようなことを言ってしまったのは、酔っているから――だけではない。
前々から疑問に思っていたことが山ほどあったからだ。
「ノー、隠し事などしておりません」
「じゃあ俺の質問には何でも答えるのか?」
「イエス。私に答えられることなら答えます」
蝶次郎はふーっと息を吐きだして。
今までの生活を振り返って。
それから瀬美に問う。
「瀬美。どうしてお前は食事をしない?」
瀬美はその問いに「以前も答えました」と言う。
「私には食べる機能が備わっておりません」
「ああ、そうだ。しかしその後確か、燃料が内蔵されているとも言っていたな?」
「イエス。そのとおりです」
「だったら――」
蝶次郎は瀬美を真っすぐ見つめた。
その視線はどこか責めるようなものだった。
「その燃料はいつ尽きるんだ?」
十分に燃料があるとはいえ、動いている以上消費されるのは、幕末の時代に生きる蝶次郎でも分かることだった。人間は食事をしなければ死ぬ。ならば絡繰である瀬美も燃料を補給しなければ動かなくなるのは自明である。
「未来では永遠に動ける絡繰が作れるのか? そうじゃないよな。何故ならお前と最初に会った夜、言っていた。未来に不足する物資を届ける実験をしているって。永遠に生産できるなら不足なんてしない。違うか?」
蝶次郎の問いに瀬美は「永遠に動く絡繰は作れません」と答えた。
「蝶次郎様の推察はすべて当たっております」
「だろうな。それからもう一つ、疑問が残る」
蝶次郎は酔った勢いで瀬美を問い詰める。
しかしそれは、蝶次郎を苦しめる問いだった。
聞かないほうがいいとしらふの状態なら気づいていただろう。けれど酩酊した彼は止まらない。
「俺の死因を突き止めて、俺を助けた後、お前は――未来に帰れるのか?」
今まで過ごした数日の間、瀬美は一切そのことについて言及しなかった。
「今思えば、タダシのことも不自然だった」
タダシの名を口に出したとき、瀬美は僅かに反応した。
それに気づかず、蝶次郎は続けた。
「タダシを飼うことを頑なに遠慮したのは、いずれ未来に帰るからだと、俺は思っていた。だが、こうも考えられる。瀬美、お前は――タダシの面倒を最後まで見られないから、飼えなかったんじゃないか?」
瀬美の能面のような無表情を見つめながら、蝶次郎は酔いに任せて彼自身言いたくないことを言う。
「お前は、未来に戻ることなく、いずれ死ぬのか?」
瀬美は彼女らしくない、沈黙を作った後――
「イエス。そのとおりです」
――機械的に肯定した。
「……どうして黙っていた?」
「聞かれませんでしたので。さらに博士から自ら明かすなとも厳命されました」
「博士……今野忠博士だな」
「イエス。博士は『知らなくていいこと』だからと」
「……ふざけるなよ」
蝶次郎の心中は怒りで満たされていた。
同時にやるせなさも感じていた。
「知らなくていいことじゃねえだろ! 重要なことじゃねえか! 瀬美、お前いいのか? 未来に帰れないんだぞ!」
「私は構いません。そのために作られたのですから」
「……くそっ!」
蝶次郎は床に思いっきり拳を叩き込んだ。
どしんと揺れる蝶次郎の家。
「捕捉しますと、まったく時空移動ができないわけではありません」
瀬美はあくまでも冷静に、機械的に、蝶次郎に言う。
まるで情報を伝達するようだった。
「独力ならば、五年から十年ほど時空移動できます。その分の燃料は貯蓄されております」
「……お前が来たのは、六百四十年後だろう? 全然足りないじゃねえか」
「イエス。まったくもって足りませんね」
「なんでお前は……つらくないんだよ」
蝶次郎の目からぽたぽたと涙が零れた。
瀬美は「つらいと言う感情はありません」と答えた。
「そうであるように。そしてそうなるように作られました」
「お前はタダシの死を悲しんでいたじゃないか。悲しみは苦しいって言っていたじゃないか」
蝶次郎は瀬美に「俺は悲しいよ」と涙を拭うことなく告げた。
「お前、いつまで燃料があるんだ?」
「四年から六年は起動可能です」
「たった、それだけ……」
「ご安心ください」
瀬美は口元を緩ませて、目元を優しげにして、頬を明るくした。
まるで子供をあやす母親のような、慈愛の籠った笑みだった。
「私は蝶次郎様の前では停止しません」
「…………」
「姿を消して、一人になります。ご迷惑をかけません」
蝶次郎はそうじゃないと言いかけたが、瀬美の次の言葉で何も言えなくなる。
「ですから、安心して生活してください。私の使命は蝶次郎様を守ることです。それさえ全うできれば私は破壊されても良いのですよ」
◆◇◆◇
蝶次郎はその晩、眠ることができなかった。
当たり前のことだった。数日とはいえ、一緒に暮らしてきた瀬美がいずれ動かなくなってしまうと分かったのだから。
無論、蝶次郎は、彼女が未来に帰るとばかり思っていた。そして未来で生き続ける――瀬美に対する表現ではないけど、それ以外言い表せない――と思い込んでいた。
だがそうではなかった。未来から来た瀬美だけど、彼女には未来が無かった。
ただ蝶次郎を守るだけに作られて、そして一人きりで死んでいく。
隣の布団で目を閉じている瀬美を横目で見る。
きっと眠ったふりをしているんだろうと蝶次郎は思った。
蝶次郎は考える。
自分はどう瀬美に報いればいいのだろうか。
蝶次郎は考える。
どうすれば瀬美を救えるのだろうか。
蝶次郎は考える。
瀬美のためにできることを。
考えても考えても、良い考えは浮かばない。
それどころか、最悪の結末を考えてしまう。
「姉上。どうしようもないことでも、逃げてはいけないのですか?」
死んだ姉に問うけれど、答えが返ってくるはずもなく。
ただ暗闇に溶けてしまった。
◆◇◆◇
翌日、昨夜のことなど気にも留めてない瀬美に見送られ、登城した蝶次郎に待ち受けていたのは、青い顔をした吉瀬鍬之介だった。
「青葉! 大変なことになった!」
「い、いかがなさいましたか?」
鍬之介は声を落として蝶次郎に言う。
「殿がおぬしと話がしたいそうだ! 至急、姫虫城の謁見の間へと向かえ!」
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