第22話奇妙な因縁

 城の勤めを終えた蝶次郎は、真っすぐ自宅へと帰ろうとしていた。

 瀬美のことが心配だったからだ。源五郎の診療所に行って、治療を受けているとん坊の様子も見たかったが、昨日と今日で流石に疲労が溜まり、少しでも休みたい気持ちが勝った。


 源五郎曰く、とん坊の怪我は数日で治るとのことだったので、強いて見舞う必要もなかったのもある。それにたまが付きっきりで世話をするとも言っていた。自分がいると騒がしくなってとん坊も休めないだろうと考えた。


 姫虫城の城下町を歩いていると、正面にやくざ者たちが町人に睨みを利かせて、蝶次郎のほうへ来るのが見えた。絡まれたら厄介だなと思いつつ、道の端に寄ろうとすると「おお? なんだ蝶次郎じゃないか」と彼の名を呼ぶ声がした。


 顔を上げるとやくざ者に周囲を守られていた、蟷螂親分がいた。

 蝶次郎が「ああ。久しぶりですね」と返答した。


「何か用事があるんですか?」

「今終わったところだ。燭中橋で大工が揉め事起こしてな。仕方なく俺が出張ったわけだ」

「なるほど。お疲れ様です」


 周りの町人と蟷螂一家で事情を知らないやくざ者たちは、どうして見た目は頼りなさそうな蝶次郎が、天道藩で最も勢力の大きいやくざ者の親分と親しげに話しているのか、まったくもって分からなかった。子分の中にはあからさまに奇妙な目で見つめる者もいる。


「うん? なんか疲れているみたいだな」

「ええ。昨日、嫌なことがありまして。そして今日は疲れることがありました」

「あの姉ちゃんと喧嘩でもしたのか?」

「いいえ。そうじゃありません。しかし、どうしてそう思ったんですか?」


 蟷螂は真面目な顔で「勘だ」と短く答えた。


「あの姉ちゃん……瀬美だったか。何か関わっていると思っただけなんだ」

「……鋭いですね。喧嘩ではありませんけど、関わってはいます」

「俺の勘も鈍っていないってわけだ。お前らとの勝負で失いかけた自信を取り戻せたぜ」


 蝶次郎は蟷螂が伝説の博徒だと言われていることを思い出した。

 続けて蟷螂が「今から時間あるか?」と訊ねた。


「ええ。帰るだけですから」

「なら飯でも食わねえか? 奢ってやるよ」

「…………」


 瀬美のことが頭に浮かんだが、昨夜、源五郎に言われた、最近酒を飲んでいないことに気づく。


「酒も馳走してくださったら」

「お? いける口なのか? そりゃあいい。行こう!」


 蟷螂は蝶次郎の肩に手を回して機嫌よく歩き出す。

 子分の一人が「親分。先に行って店を押さえましょうか?」と問う。


「いや。行くのは稲子屋だ」

「あそこですか。なら押さえる必要ありませんね」


 子分がすっと離れると、蝶次郎が「稲子屋? あの酒場ですか?」と聞き返す。


「俺も行ったことありますよ。あそこの飯は美味しいですから」

「知っているのか。ますます嬉しいねえ」


 程なくして稲子屋に着いた蝶次郎と蟷螂一家。

 中に入ると店にいた客がぎょっとした顔になる。


「店主。いつものくれ」

「蟷螂親分。子分衆は引き連れないでくださいよ。客がびびって来なくなる」


 店の奥から店主らしい老人が愚痴をこぼす。

 蟷螂は「その分払ってやるから」と豪快に笑った。


「さっさと作ってくれ。二人分だ。それからお前らも好きなの頼め」

「へい。ごちそうさまです!」


 蝶次郎と蟷螂は、店の奥の席に向かい合って座った。

 それから店主自ら運んできた、魚の煮込みが二つ置かれる。


「これ食え。美味いぞ。疲れも吹き飛ぶ」

「……いただきます」


 蝶次郎は柔らかい魚の身を箸でつまんで口に運ぶ。


「これは……美味しいですね……!」


 目を見開くほど美味しい。以前、数回来たがこの料理はお品書きに書かれていなかったので注文したことが無かった。


「常連しか食えねえ絶品だ。秘伝のたれを使っているようだが、店主は決して作り方を言わない」

「言えないから秘伝なんですよ」


 軽口を言いつつ「いつもありがとうございます」と店主は蟷螂に頭を下げた。


「俺ぁそこそこ銭を持っている。だからふぐやら松茸やら、高いもんは片っ端から食ったが、ここの煮込み料理が一番うめえ」

「凄い話ですね」


 蟷螂は「酒と一緒に食うとさらにうめえ」と店主に催促した。

 はいはいと言いながら店主が奥に引っ込むと「それで、何があったんだ?」と蝶次郎に問う。


「嫌なことと疲れること。話せよ」

「それが目的ですか……」

「まあな。あの日、俺と向かい合ったときと比べて覇気が無かった」

「もしかして、心配してくれたんですか?」


 蝶次郎の指摘に「ああそうだ」と素直に答える蟷螂。

 その照れることのない男気に感謝しつつ「飯を食いながら話す内容ではないのですが」と前置きした。


「この煮込み料理を食べてからでいいですか?」

「いいだろう。おーい、酒はまだかよ?」


 店主は「今持っていきますよ」と両手に一升瓶抱えてくる。

 それは『大兜』と書かれた高級酒だった。



◆◇◆◇



「コドク町を改善する……お前、とんでもないこと考えるんだな」


 飯を食い終わってしばらく談笑した後、蝶次郎は静かに語りだした。

 タダシのことや墓の前の瀬美のことも、全て話した。

 言い終わると蟷螂は呆れたものか驚いたものか、複雑そうな顔をした。


「家臣のお前に言うのもどうかと思うが、藩主は動かないと思うぜ」

「そうでしょうね。でも俺は嘆願書を書かないといけなかった」

「自己満足のためか?」

「いいえ。自分でも分からないのですが……瀬美が悲しんでいるのを見たのがきっかけです」


 知り合って数日しか経っていないけど。

 瀬美の物悲しげな姿を見れば、自分でなくても動きたくなると、蝶次郎は思った。

 きっと蟷螂もそうだと確信できた。


「無駄だと思っても書いたのか」

「動かなきゃ俺は武士のままでいられなかったんです」

「そこまで言い切るのなら、俺は何も言わねえ」


 蟷螂は酒を飲み干すと、自分と蝶次郎の空いた盃に注ぐ。

 様子を窺っていた子分衆は、自分たちの親分が他人に手酌するのを初めて見た。


「精々頑張れよ。協力――できるかもしれねえが、藩主が動かないとできん」

「協力できるかもって、どういう意味ですか?」

「そのまんまだよ。コドク町で見込みのある奴を子分に加えてもいい」

「…………」


 蝶次郎が困った顔になると「俺は極道者だ」と酒を少し飲む蟷螂。


「そういう手助けしかできねえ。だが引き受けた野郎共はきちんと面倒を見る。それによ、あいつらは極道者になるしかねえだろ」

「そうかもしれませんね」

「文字通り、きちんとそいつらの道は作ってやる。そこは安心しろ」


 人として生きる道すらなかったコドク町の住人にしてみれば、十分まともになれると考えたほうがいい。

 そう思い直すことにした蝶次郎。それからふと頭に浮かんだことを訊ねる。


「吉瀬様から聞きましたが、蟷螂親分の父上は『二十年前の物の怪』に関わっているらしいですね」

「うん? ああ、そうだ。あんとき親父が下手を打たなきゃ俺は今でも吉瀬のじじいの下で働いていた。ひょっとしたらお前の同僚だったかもな」

「しかし、失礼を承知で言いますが、どうしてあなたはコドク町へ追放されなかったんですか?」


 慣れない高級な酒に酔ったこともあって、やくざ者相手だと言うのに、大胆な質問をする蝶次郎。

 しかし蟷螂は気分を害することなく「事情があったんだよ」と打ち明けた。


「今の藩主が物の怪に殺されそうになったのを助けたんだよ、親父は」

「殿をですか? ならば責任を取らされたのは……」

「藩主に妹がいたこと。お前は知っているか?」


 蝶次郎は首を横に振った。まったく知らなかったからだ。

 蟷螂はため息をついて「今の若い連中は知らなくて当然か」と言う。


「妹――まゆ姫が、あの場にいたらしいんだよ。でも姫は先代に隠れてこっそり見ていて、それを知っていたのは藩主だけだった。まだ三才だった」


 もしかしたら、父だけではなく、妹も一緒に失ったから、藩主の蛾虫は無気力になったのかもしれない。

 蝶次郎は自分の姉、さなぎと重ねて考えてしまった。


「藩主は親父を責めたそうだ。どうして妹を助けなかったと。だが言い訳すると親父もあの場に妹君がいたことを知らなかった。それに先代が死んで、場が混乱していた状況で幼い藩主を救ったのはなかなかできることじゃねえ」


 蟷螂はぐいっと酒を飲み干して「功罪合わせて、俺はコドク町に行かずに済んだ」と答えた。


「親父は切腹しちまったがな。その件に関して、俺は藩主を恨んでいない。切腹を命じられなくても、多分殉死していたしな」


 蟷螂は「俺も訊きたいことがあるんだ」と蝶次郎に言う。


「青葉って苗字、聞き覚えがある。お前、鎌三郎さんの息子か?」

「はい。そうです」


 蟷螂は「不思議な縁もあるもんだ」と顎に手を置いた。


「あの人の息子とこうして酒を酌み交わしているとはな」


 意味深に言う蟷螂に対し、蝶次郎も頷いた。

 互いに奇妙な因縁で結ばれていたとは思わなかったのだ――

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