第12話主君への落胆
瀬美がタダシを拾う数刻前、姫虫城にある勘定方が用いる部屋にて、吉瀬鍬之介は青葉蝶次郎に報告を受けていた。
「事後報告は好ましくないが、燭中橋の件は良くやったと褒めておこう」
鍬之介が素直に褒めないのはやくざ者を使って改修工事をしていることと、言及しているように事後報告だったためである。それは蝶次郎も重々承知しているので、不平は言わずに「ありがとうございます」と頭を下げた。
鍬之介は眉間に皺を寄せながら「しかしよくもまあ、あの蟷螂を動かしたものだ」と感心半分困惑半分な感情を込めて呟く。蝶次郎は瀬美のことを説明していない。飲み屋で偶然出会った蟷螂親分と意気投合し、改修工事を請け負ってくれたと報告していた。
「互いに酔っていましたので。しかし私も蟷螂親分が約束を守ってくれたのは驚きです。それに吉瀬様から、あの人が伝説の博徒だと知らされて驚きを禁じえません」
「あやつはなかなか男気があるが、何の見返りも無く動く男でもない。酔っていて話した内容を覚えていないとお前は言ったが、よほど上手く言葉を並べたのかもしれんな」
「……吉瀬様は、蟷螂親分とお知り合いなのですか?」
先ほどから蟷螂親分の人となりを知っているような口調だったため、蝶次郎が何気なく訊ねると、鍬之介は顎を指で掻きながら「お知り合いではないな。よく知っている間柄だ」と認めた。蝶次郎が何も言えずに黙っていると、鍬之介は「昔の話だ」と事情を話す。
「二十年前の物の怪の話は存じておるな?」
「ええ。もちろんでございます」
「その物の怪が先代を殺めたとき、誰かが責任を取る必要があった。それは分かるな?」
唐突に現れた物の怪が先代藩主の馬虫を殺した。それは誰の目から見ても防ぎようが無かったと上の世代から聞いていた蝶次郎。であるならば責任など取る必要はないと庶民ならば考えるだろう。
けれど武士であるならばそうはいかない。自身の主君が殺されて、それが防ぎようが無い仕方のなかったことだったとしても、誰かが責任を取って切腹しなければならない。それが蝶次郎の生きる武士社会というものだった。
「警護を担当していた者――鎌田宗一郎殿が切腹し、お家断絶することで一応の決着がついた。そしてその息子、鎌田藤次は浪人となった。その者こそ蟷螂だ」
「……では、蟷螂親分は元武士だった、ということですか」
「ああ。その藤次はわしの下で働いていた。奴が二十歳そこそこの若造のときだ。だから上役と部下という関係だった。あやつが浪人になってからも時々会っていたが、奴がやくざ者になってからは付き合いが薄くなってしまった。そんな関係だ」
懐かしそうに語る鍬之介の様子を見て、薄くなったと語るが本当はまだ交流があるのかもしれないと蝶次郎は思った。
鍬之介は「まあ奴のことはどうでもいい」と話を切り替える。
「燭中橋のことは上に報告しておく。ま、さほど揉めることなく認可されるだろう。だが今度からはやくざ者に頼るようなことをするなよ」
「……かしこまりました」
内心、やくざ者に頼らなければ橋は改修できなかったくせにと蝶次郎は毒づいた。それを見抜いたのかどうか分からないが、鍬之介が「わしがお前を庇うのにも限界がある」と付け加えた。
「ただでさえ、普段の勤労態度が最悪なのだ。今回のことを己の手柄などと、ゆめゆめ思い込むな。ただ運が良かっただけだ」
それは蝶次郎自身、重々分かっていた。
賭け事に勝って蟷螂親分を認めさせたのは瀬美のおかげだった。
それに乗じて蝶次郎は頼んだだけである。言うならば手柄を横取りしただけだ。
「深く胸に刻んで自省いたします」
蝶次郎の無表情が、痛みを堪えているように見えた鍬之介。よく見ると拳が固く握られている。これは蟷螂と何かあったのかもしれないと彼は思った。
しかし深く聞くつもりは鍬之介にはなかった。やぶ蛇になる可能性もあるし、そのことだけを聞くために、蟷螂と話す気にもならなかった。
「そうか。分かっているのなら良い。それとお前に話しておかねばならないことがある」
「なんでしょうか?」
己の報告が済んで終わりかと思った蝶次郎は、浮きかけた腰を戻す。
鍬之介は少しの間逡巡していたが、目を伏せつつ言う。
「殿が鷹狩りの日程を早められた」
「なっ――どういうことです?」
「側近の話だと『燭中橋が庶民の手で改修されるのなら、奴らの懐に余裕があるに違いない』と殿が仰せになった」
唖然としている蝶次郎を余所に、鍬之介は目を合わせることなく続けた。
「五日後に鷹狩りを行なう。急ぎ準備を整えよと、お達しがあった」
「急な話ですね……よく家老様たちが了承なさいましたね」
「知っておるだろう。今の家老様は殿の言いなりだ。いや、殿がああでいるほうが、藩政を動かしやすいのだろうな」
主君がお飾りであったほうが、家臣は実権を握りやすい。
当たり前のことだったけど、それでも虚しい気持ちを抑えられない蝶次郎。
これらはいまいち勤めにやる気を出せない一因である。
「とにかく、鷹狩りの準備のために、今ある仕事をさっさと片付けよ」
「…………」
「返事はどうした?」
念を押すように強く言った鍬之介に、声に出さず頭を下げた蝶次郎。そしてそのまま部屋を出て行った。
一人になった鍬之介は、ふうっと溜息をついた。彼は蝶次郎の気持ちが十二分に分かっていた。いや、同じ気持ちだったと言うべきかもしれない。
「青葉鎌三郎殿……わしは今、難儀なことをしておりますぞ」
かつての上役であり、蝶次郎の父親であり、そして二十年前の物の怪の犠牲者の一人である男の名を呟く鍬之介。横顔は淋しげで、握った拳からは少しだけ血が流れていた。
◆◇◆◇
「はあ? 犬を飼いたいって?」
「イエス。この子です」
怠惰に行なった勤めを終えて、蝶次郎は町人長屋にある家に帰宅した。
途中でおもんとおしろとおちょうが燭中橋についてあれこれ聞いてきたのを、迷惑しながら答え終わって家に入ったとき、いきなり胸の中に仔犬が飛び込んできた。
「わ! なんだこいつ!?」
「タダシ。蝶次郎様にご迷惑をかけるのはやめなさい」
尻餅をついた蝶次郎の顔を舐めまわしているタダシ。
蝶次郎は仔犬を抱えながら、瀬美に事情を聞いた。
「まあ別にいいけど。餌やりとかの面倒をきっちりしてくれれば」
「ありがとうございます」
「でもどうして飼いたいと思ったんだ?」
蝶次郎の問いに瀬美は「ノー。このまま飼うつもりはありません」と彼の抱えた仔犬の頭を撫でながら否定した。
「飼ってくれる人を見つけるまでです」
「犬を飼う余裕のある知り合いはあまりいないが……まあ聞いてみるよ」
「さほど優先することではありません。お気になさらず」
「うん? 瀬美はこの犬……タダシを誰かに飼ってもらいたいんじゃないのか?」
矛盾するようなことを言う瀬美。
蝶次郎に指摘に対し、彼女は「私が間違っていました」と頭を下げた。
その仕草が何故か物悲しく見えたので「謝ることではない」と蝶次郎は無理に笑った。
「別の飼い主を見つけなくてもいい。飼いたければずっと飼っていいさ」
「よろしいのですか?」
「瀬美には飯を作ってもらっているからな。それくらいいいさ。それより晩ご飯にしてくれ」
瀬美は「イエス、こちらに用意しております」とお膳を示した。
もしも蝶次郎の見間違えでなければ、少しだけ口元がほころんでいた――気がした。
腕の中のタダシがくううんと鳴く。蝶次郎はその頭を撫でながら物を思う。
まるで家族がいた頃みたいだなと――
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