【3話】創造物
「転移者であるクマガミ・リコは自らを『神様かも』などと言っている。高校生にもなってなお中二病を患っているようだ。これはとても重症かもしれない。俺は専門のカウンセラーに相談しようかと悩んだ」
「アルヒラさん、変なこと言わないでください」
「だって!いきなり現れた制服姿の女子高生が神様なんて、変じゃんかっ!」
「転生とか転移とか体験しちゃってるのに、今さらですっ!」
リコの言うことも一理あるし、何より彼女の表情はかなり真剣だ。そしてウーウー唸っている。
「うーん……。じゃあ、聞こうか」
俺はベッドに腰かけたひざの上に立て肘をついた。こちらに聞く姿勢ができたことを確認すると、彼女は唐突に話を始めた。
「あの、私、小説を書くのが趣味だったんです。特に設定とか世界観とか、そういうのを考えるのが大好きでした」
「……あの、“主人公はこんなキャラクターにしよう”とか?」
「はい。それでいくつかの物語を書いてきたんですが、たぶん、ここ、私が作った設定の世界なんです」
「……っ!」
彼女があまりにもさらりと言ったもので、俺は一瞬息をするのを忘れてしまっていた。
「主人公の名前はアルノルフェン・ヴェルルスって言う名前で、仲間からは“アル”って呼ばれるんです。……こういうことほかの人に教えるのって、ちょっと恥ずかしいですね」
リコは恥ずかしがるように自分の髪の毛を触った後、また両手をひざに戻し表情を引き締めた。
「アル……」
声は出ていなかったかもしれないが、俺の口は自然と動いていた。
「それでその、主人公の“アル”は捨て子で、小さな村の教会で育てられます。それから大きくなって、働き口を探しに村を出て――」
おいおい。
「都を目指してる最中に」
「前世の記憶を取り戻すんです」
沈黙した。その後で急に我に返り、思わず立ち上がってリコの肩を掴んでしまった。焦点が定まらず、俺の目はあっちこっちを忙しく見て回っている。
彼女はそんな俺を真っ直ぐに見上げたまま淡々と続けた。
「主人公の“アル”は今、バルム王国の王都にあるレストランでアルバイトをして生計を立てている設定です。たぶん、いえ絶対、アルヒラさんのことです」
彼女の肩から離れた手は自然と自分の頭を掴み、そのまま俺はストンとベッドに腰を落とした。
まるで“トゥルーマン・ショー”の主人公だ。
「……っか、お、俺は、あのっ……、えっ?」
言葉にならない。これまでの異世界人生での違和感が、ものすごいスピードで処理されていくのを感じる。“主人公はバルム王国の王都のレストランでアルバイトしている”。恐らくその設定が違和感の元凶だったのではないか。そう思った。
転職しようとしても神がかり的な偶然が重なり、頑張って真面目に働いても給料が上がらず、生かさず殺さずの現状維持を強いられてきた。それが、俺のこの国でのシナリオだったのではないか。そう思った。
俺はベッドから立ち上がり、正面に座る彼女を見下ろした。
「……リコ」
湧き立つ感情を抑えつけるように小さく名前を呼ぶと、彼女はメガネを外してテーブルに置き、静かに目を閉じた。乱暴しようと思ったわけではない。ただ、弄ばれたというこの感情を表現したかった。
「いいのか」
「だって、私の作った設定に巻き込まれて、アルヒラさんに何の苦労もなかったなんてないと思います。だから私は、アルヒラさんが気の済むように扱われないといけないんです」
彼女の身体が強張っているのが分かる。よく見ると小さく震えているようだった。それを見ていると、自分よりも年下の少女にここまでの覚悟をさせてしまった自分がとんでもない外道のように思えた。
「……やっぱいいや。やめた。すまん」
くぐもった声でそう言うと、またベッドに腰を下ろした。
俺が苦労をしていたのはリコの意思ではない。彼女は何も悪くない。俺は一つ深呼吸をした。
「それで、リコの作った物語で“アル”っていう主人公は、いったい何をするんだ?」
俺がそう言うとリコはゆっくりと目を開き、流れるような動作でまたメガネをかけ直して答えた。
「はい。実は、そこがたぶん、ややこしいところだと思うんです」
「ストーリーの話だろ?つまりは主人公が何を目的に行動するかってことだからシンプルだと思うんだが」
「解決すべき当面の課題っていうのはあるんです。ただ……」
そこまで言うと、リコは少しだけ伏し目がちになった。
「さっきも言いましたけど、私、小説をたくさん書いてました。でも完成させた小説は、あんまりありません。良い設定を思いついたら物語を書き始めて、文章に詰まったり熱が冷めたりしたら途中で投げ出しちゃうんです。それでまた別の設定で初めから書こうとするから、中途半端な作品ばかりになって……」
「ちょっと待て、それじゃあ、この世界も……?」
「未完成……です。だから、主人公は何を目的に動くのかも決まってません……ごめんなさい」
彼女の声はとても弱々しく、このまま消えてしまうのではという感覚に陥った。
また色々とこの世界の違和感が処理されていく感じがした。中世ヨーロッパ風の街並みなのに木造2階建てのアパートがあったり、ガスや水道が備わっていたりなど所々設定が滅茶苦茶なのも、恐らく作品が完成できていないから、あるいは彼女の持つ異世界のイメージが固まっていないためだろう。
リコの肩を鷲掴みにして少し揺さぶってやりたい衝動に駆られたが、彼女の様子を見て止めた。
「ええ……オホン。よく考えたら、物語ってのはだいたい最初は主人公の行動から始まるんじゃないのか?途中まで書いてたなら、まず俺がすべきことくらいは分かるだろう?」
「あ、はい。実は、物語が始まるきっかけは昨日の夜にももう起こっていたんです」
「昨日の夜?」
昨日の夜と言えば、広場で大家と会って、知らないオッチャンと飲んだくれてただけだ。
「アルヒラさん、私と会った場所覚えてますか?」
「噴水の広場?」
「そうですけど、アルヒラさん、広場の掲示板のところで吐いてましたよね?」
そういえば、そうだったっけ。
「実は、あの掲示板には、お城の製薬研究所からの治験参加者募集のお知らせが書いてあって、それに主人公が参加するところからお話が始まるんです。報酬は、一日でリーフ金貨5枚」
「金貨5枚!」
「はい、ですが――」
「リコっ!行こう!」
報酬を聞いていてもたってもいられなくなった俺は、急いで掲示板を見に行こうと思った。
だが、ほかの用事を先に済ませることにした。
「はい、銅貨90枚ね。たしかに。毎度あり」
まずは俺が大事にとっておいた虎の子の貯金袋を握り締め、リコを連れて靴屋に来た。彼女に俺の靴を履かせようとすると散々遠慮されてしまったが、休日は裸足で過ごすことがこの世界での男のステータスだ、と謎の理論で押し切った。ちなみに貯金は村を出発するときに渡された路銀の残りで、これまで大切にとっておいたものだ。
彼女は靴を履いていなかった。彼女の靴下がドロドロだったのはそのためだろう。近代的なアスファルトならいざ知らず、こんな場所で裸足ってのは危なすぎる。
「いいんですかっ?わぁっ、これがこの世界の靴なんですねっ!嬉しいっ」
一番安い革のブーツをさらに値切り、なんとか彼女に買ってあげることができた。残りの財産はあと11枚の銅貨のみとなったが、彼女が神のようなものであるならなんとかなるだろう、と妙な安心感を覚えていた。
広場の掲示板の前までやって来た。
『治験参加者大募集 ―来たれ、次世代のモルモット達―』
木製の掲示板にはそう書かれていた。
治験と言うのはポーションや新しい毒消し薬が開発されて、それを魔獣で試した後に人間の身体で試すことを言う。それで安全性が確認できたら、その製法が製薬商人に伝えられて市場に流通していくのだ。
「“モルモット”って」
「なんて書けば良いか分からなかったんです……」
「それにしても、金貨5枚……、本当だ……」
「アルヒラさん、この日付見てください」
彼女が指さしたのは実施予定日のところ。明日の日付になっている。
「昨日の夜、私が確認した時には今日の日付になっていました。でも、今見たら明日になってる。推測ですけど、たぶん明日になったら明後日の日付になってますよ」
「なんか……、ちょっとホラーだな」
彼女の言葉に俺は少し身震いした。
「つまりアルヒラさんが参加するまで、この日付は常に翌日であり続けるんです。物語を進めるために。でも、早とちりしないでくださいね。私はアルヒラさんに早く参加してほしくて、これを教えてるわけじゃないんです」
「うん?参加しないと物語が進まないんだろう?」
「それはダメですっ!ダメっ!ぜったいダメ!」
そう言いながら彼女は開いた両手を俺の目の前に突き出した。
「このまま参加すると、たぶんアルヒラさん、死んじゃいますからっ!」
「ええっ!?」
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