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「それって……」
「あー、誤解しないでね。別に泣かない子がいけないって話じゃないから」
どれくらい泣くのかは個人差もあるだろう。親と離れても平気で遊べる子や、うちの妹みたいに冷めたタイプの園児がいたって不思議じゃない。
ただ、昔の梨々花ちゃんの場合、事情が少し違うらしい。
「泣かないだけじゃなくて、反応が薄いかんじで……そう、感情表現を全然しない子だったんだよね」
「今と正反対じゃないですか」
「それは私もびっくりしている」
榊先生|
毎朝登園してきてもずっと黙ったまま、他の友達と遊ぶことなく部屋の隅にぽつんと一人。名前を呼んでも返事はせず、ただ静かに
ダンスや体操の時間もぼーっと立っていて、戸外活動にも興味を示さない。ケガをしても誰にも言わずそのままにしている。
まるで生気が抜けたみたいだったそうだ。
「それ、マズイんじゃないですか?」
「当時は色々対応を考えたんだけどね、どれもうまくいかなかった」
発達の遅れか家庭の問題か、様々な角度で支援策を練ったらしい。新人だった榊先生は知識を総動員して必死に考えたがどうしようもなく、ベテラン先生に助けを求めるたのだがそれでも解決しなかった。
「というか、家庭の事情が全然分からなくて、手の打ちようがなかった」
「えっ。普通に暮らしているみたいですけど」
「今はそれなりなんだけど、当時どんな状況だったかは結局不明のままなのよ」
梨々花ちゃんが二歳だった頃、家庭がどんな状況だったのか誰も知らない。恐らくそれが原因なのだろうけど、その正体は謎に包まれたまま
「そ、それで、何があって今の、賑やかさ全開な姿になったんですか?」
「うん。それも分かんない」
「えぇ……」
そんなあっさりと説明を諦められると、こっちが困るんですが。
「本当に分からないんだって。年少組に進級したあたりで、急にキャラ変わったんだから」
「いやいや。高校デビューじゃないんですから」
「マジだってば」
何の理由もなく真逆に様変わり、なんてあり得るんだろうか。少なくとも自分から意図的に変えた訳じゃないだろう。子供をバカにするつもりはないけれど、さすがに二、三歳児にそんな高度な振る舞いは無理なはずだ。少なくとも当時の僕には出来ない。
だとすると、どうして急に性格が今みたいになったんだ?
「最初は私も他の子も困惑したけどね、その内慣れちゃったんだよ。特に子供達は順応性高いからね、元から元気っ子だったってみんな思うようになっちゃった」
その後はずっと明るい性格のままで、特別問題は起きずに済んでいる。
「報告書的にはよくないんだけど、全部不明でこの件はおしまい。とりあえず梨々花ちゃん自身がこの調子なら大丈夫ってことになったの」
「なんか不可解ですね。一体どうして――」
「なになに~?りりかのおはなししてるの?」
気付くと目の前に、塗り絵を脇に抱えた梨々花ちゃんの姿が。紙には色とりどりのクレヨンの線が描かれており、勢い余ったらしくはみ出るくらいに塗られていた。
「あっ、いやぁ、梨々花ちゃんの昔話をちょっとね」
視線をあさっての方向に逸らして
「……その、入園したばかりの梨々花ちゃんって、どんな子だったのかなぁって……」
僕は力なく答える。聞いてはいけない話題だと思い後ろめたく、語尾の方は消え入りそうになっていた。
自分の過去を詮索されるなんて嫌な気分だろう。僕だって昔の失敗をほじくり返されたら怒る。当然の反応だ。と思ったら――
「えー、もうおぼえてないよー」
「何にも?」
「なんにもー」
――あっけらかんとしていた。
本人も当時のことはさっぱり思えていないらしく、ぽかーんとしている。
「あー、悠都さん。実は二、三歳頃の記憶って、ほとんど残らないんだよね。それに記憶違いもよく起きるから、事の前後もごっちゃになるのよ」
「そうなんですか……」
言われてみれば、一番はっきり残っている記憶は四歳くらいのものだ。あとは全部忘れてしまっている。梨々花ちゃんの頭の中も同じ状態ということだ。
「そんなことよりみてみてー。ピュアジェリーきれいでしょー?」
「ああ、そうだね……――うん?」
紙にはピンク色で塗られたピュアジェリーの他に、黒いクレヨンで描かれたものが一つ。大きな丸と中には点々が三つ。人の顔のように見える。
「……これは?」
「ゆーとさんだよ!だいすきだからかいちゃった❤きゃーっ!」
耳まで真っ赤に染めて身を
見ているだけでこそばゆくて、背筋がむずむずする感覚。
でも不思議と嫌じゃない。
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