第7話 誰か為に生きる
有加さんからの離婚の申し出を、断れない事は分かっていた。
修也が生まれてきた時、この結果が回避できない事も分かっていたと思う。
有加さんは、自分に子供が産めない事にずっと負い目を感じていたのだと思う。
そして、僕が心の何処かで子供を欲していた事も、見透かされていたのかもしれない。そんな有加さんに僕がどんなに酷い事をしたのか。
それでも、有加さんが離婚を申し出ない事を心の何処かで願っていた。
泣いて引き止めくれる事を、僅かでも期待していた。
僕が有加さんとの離婚を望む事は、あり得ない。
だから僕から切り出す事は無かっただろう。
きっとそれに気付いて、彼女は離婚を切り出してくれたのだ。
僕は彼女の思いを無にしてはいけない。
修也と紗綾さんを幸せにする事を最優先しよう。
そう固く決心し、あの日 有加さんに「行ってきます。」と言って我が家を出た。
あれから幾日、何ヶ月たっただろうか。寒さが緩んで、『樹雨』の桃の花が良い香りで鼻をくすぐるようになった。
僕は紗綾さんと修也と、樹雨の近くに一軒家を買って住んでいる。
新築ではないが、子供が楽しめるような仕掛けが施してある家だった。
以前の持ち主は子供の成長とともに住み替えの為、売りに出していた掘り出し物件だった。
娘親子が家を出て後、店の二階にはお義母さんが一人で住んでいる。
寂しいのでは?と同居を提案してみたが、まだ義父と暮らした思い出の家に居たいからと断られた。
『私の帰る場所は、お義父さんの居る場所よ』と言われた気がした。
修也は可愛くて、紗綾さんは僕の愛しい人だ。
だから僕はこの家が僕の帰る場所になる事を切に願いながら、「ただいま」の意味を持たない「ただいま」を重ねていった。
しかし、いつまで経っても僕の居場所にはならなかった。
意味を成さない言葉を口にする事は、思った以上に負担となった。
僕は、ただただ何かに蝕ばまれていった。
笑顔は日増しに歪になっていった。
この前、気が付くと有加さんマンションの前に立っていた。
帰りたいと願いながら、マンション前の公園で日が暮れてゆくのを眺めた。
そしてそっと目を閉じ、有加さんの待つ我が家を思い出した。
手を伸ばせば有加さんが居る我が家がある。
でも、修也と紗綾さんの顔を思い出した。そして、有加さんの別れ際の笑顔を思い浮かべ、耐えた。彼女が修也の為にくれた精いっぱいの笑顔を。
僕の我儘で彼女の想いを台無しにしてはいけないと。
修也の未来を大切にしないといけないと自分に言い聞かせた。
そして、今日も修也と紗綾さんの待つ家に戻った。
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